香川照之の母親浜木綿子の仕事&プライベート総まとめ。元夫との現在の関係は?


香川照之さんの父親は名歌舞伎役者・三代目市川猿之助さんであることは有名ですが、母親も数々の賞を受賞する大女優です。

この記事では、香川照之さんの母親・浜木綿子さんの経歴や、元夫・三代目市川猿之助さんとの結婚と離婚、その後の関係についても紹介しています。

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女優として

宝塚

浜木綿子(はま ゆうこ)さんは1953年に宝塚歌劇団に入団。

雪組トップ娘役として活躍し、1961年に同劇団を退団しました。

 

舞台女優

宝塚歌劇団退団後の浜木綿子さんは舞台女優に転身。

文化庁芸術奨励賞、ゴールデンアロー賞演劇部門など数々の賞を受賞する実力派として活躍しました。

 

ドラマ

浜木綿子さんはテレビドラマにも多数出演しています。

特に80年代以降の二時間ドラマでの実績はとびぬけており、主演した「女保険調査員」シリーズ「女監察医・室生亜季子」シリーズ、「おふくろ」シリーズなど数々のドラマが高視聴率を記録。

「火曜サスペンス劇場」では最多主演を記録し2時間ドラマの女王と呼ばれました。

 

結婚・出産・離婚

浜木綿子さんは1965年に歌舞伎役者・三代目市川猿之助(現:二代目市川猿翁)さんと結婚しました。

同年浜木綿子さんは大河ドラマ「太閤記」(1965年)に出演していましたが、途中で妊娠が発覚したため降板。

同1965年12月に香川照之さんを出産しました。

 

NEWSポストセブン2011年10月7日配信記事「香川照之 「歌舞伎だけはやらない」と公言していた高校時代」には以下のような「当時を知る歌舞伎関係者」のコメントが掲載されています。

「交際中から新婚当初は、猿之助さんは楽屋に浜さんの写真を持ってきては飾ったりして、本当にふたりは愛し合っていました」

しかし、1968年に二人は離婚

原因は三代目猿之助さんの不倫でした。

不倫相手の藤間紫さんは三代目市川猿之助さんの踊りの師匠の奥さんであり12歳の時からの初恋の人。

浜木綿子さんと結婚した後もその想いを断つことができず、

香川照之さんが1歳の頃(1966年頃)に家庭を捨てて駆け落ち同棲を始めました。

三代目市川猿之助さんは1968年、藤間紫さんは1985年にそれぞれ配偶者と離婚し、

二人は約35年の同棲生活を経て2000年に結婚しています。

 

先のNEWSポストセブンの記事によると、

離婚当時の浜木綿子さんは、当然ながら元夫・三代目猿之助さんとその不倫相手・藤間紫さんに対して激怒。

藤間紫さんを連想させる紫色を楽屋や衣装から排除する「紫禁止令」まで出していたといいます。

 

また、幼い香川照之さんの前でも「あの女は絶対に許さない」と怒りをあらわにし、

「あの二人以上の大物になって見返してやりなさい」と言い続け、決して父子を合わせることしなかったそう。

香川照之さんは東京大学卒の高学歴俳優としても知られていますが、

ここには慶應卒の父親よりも良い大学に、という浜木綿子さんの想いもあったのかもしれません。

ちなみに、香川照之さんは25歳の時に始めて父親に会いに行きますが、その際かなり辛らつな言葉を掛けられたようです【詳細を読む】

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離婚後の恋愛

1968年に三代目市川猿之助さんと離婚したのち、浜木綿子さんは再婚することはありませんでした。

もっとも、女性自身2014年9月13日配信記事「浜木綿子“10年愛”恋人の急逝に送った花」によると、

浜木綿子さんは離婚から約7年後の1975年夏頃から元力士(小結)の龍虎さんと交際していました。

二人の関係は長く続きましたが、交際開始当時小学生だった香川照之さんが龍虎さんになつかなかったこともあり、再婚に踏み切ることはできず約10年後の1985年頃に破局。

2013年3月10日放送の「ボクらの時代」(フジテレビ)で浜木綿子さん自身が語ったところによると、

大学生になった息子・香川照之さんに「もうそろそろ別れたらいいんじゃないか」と言われたことが別れを決意するきっかけだったそうです。

 

息子と孫の歌舞伎界入り

歌舞伎役者・三代目市川猿之助さんの長男として生まれた香川照之さんでしたが、

上記のような経緯もあり幼少期に歌舞伎役者の世界に足を踏み入れることはありませんでした。

 

しかし、後に香川照之さんは父親と和解し2012年に突如として息子と共に歌舞伎界入り

46歳で初舞台を踏んでいます【その背景事情はこちら】

 

息子と孫が歌舞伎界入りを表明した2011年当時、浜木綿子さんは以下のようにコメントしていました。

(※歌舞伎界入り表明の会見後に)「会見ではいい顔してましたね。みんなが幸せになってくれればと思っていましたから、見ていて私も幸せな気持ちになりました」

※女性自身2011年10月4日配信記事「香川照之 母・浜木綿子が語った「恩讐45年」」より引用

 

しかし内心はやはり複雑だったようで、その2年後には以下のように語っています。

「襲名の話は照之からまったく知らされていなかったんです。発表する直前になって『明日、発表するから』と聞かされて、本当に『ありえない!』と衝撃を受けました」

※週刊女性2013年4月6日配信記事「浜木綿子 初めて語る襲名裏「香川照之の名前を捨てると…」」より引用

 

また、女性自身2012年6月14日配信記事「浜木綿子 香川号泣!“絶縁45年”元夫との「2度目の会話」」によれば、

息子香川照之さんの歌舞伎界入りに伴い、絶縁状態だった浜木綿子さんと元夫・二代目市川猿翁(三代目市川猿之助)さんの間にも何度が交流の機会があったよう。

香川照之さんが稽古場に浜木綿子さんを招待した際には、

浜「しばらくでした」

猿翁「このように照之を立派に育ててくれてありがとう。大変でしたでしょう」

浜「はい、大変でした」

 

また、襲名初日の楽屋でも、

浜「初日舞台、おめでとうございます」

猿翁「ありがとう」

と言葉を交わしていたそうです。

 

もっとも、上記女性自身2011年記事によれば息子が元夫と同居していることについて、

照之は『新しい家に一回来てくれよ』と言ってくれていますが、一度も行っておりません。そのうちとは思っていますが……

と語っていることからしても、和解したというわけではなさそうですが…

香川照之の記事を読む

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