宮沢りえはハーフで父親はオランダ人。現在は異母妹もいる?


この記事では、宮沢りえさんの父親や異母兄弟に関する噂を検証しています。

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日蘭ハーフを公表

宮沢りえさんは自身が日本とオランダのハーフであることを各所で明かしています。

私は日本人とオランダ人のハーフなのですが、私が10代の頃はまだハーフの人が特別な目で見られていました。その影響もあって、子どもの頃から人種や性別や年齢といったラインにとらわれることなく、パーソナル、つまり、一人の人間として生きたいという気持ちを強く持っていたように思います。

※PARCO STAGE2024年4月19日配信記事「『オーランド』宮沢りえさん オフィシャルインタビュー」より引用

※引用元URL
-https://stage.parco.jp/blog/detail/3369/

 

実父:オランダ人

宮沢りえさんの両親は、母親が日本人、父親がオランダ人です。

両親は宮沢りえさんの母・光子さんが留学のためにヨーロッパに向かう船の中で出会ったそう
父親は船乗りだったようです。

二人は当初はオランダの片田舎で暮らしていたものの、母親が退屈な生活に耐えきれず帰国。
宮沢りえさんは日本国内で生まれました。
父親も後を追って日本に来たようですが、夫婦は宮沢りえさんが生まれた直後に別れており、宮沢りえさんには実父の記憶はないようです。

また父親は別れたのちオランダに帰り、娘(宮沢りえの異母妹)が生まれたようです。

…以下詳細。

 

父親の国籍について

父親がオランダ人であることは宮沢りえさんがたびたび言及しています。。
以下のインタビュー記事からは両親の国籍に加え、父親とは会ったことがないこともうかがえます。

1973年、東京の練馬区に生まれる。幼少期はいつも男の子に間違えられた。
…(中略)…
日本人の母親とオランダ人の父親を持ち、父親の顔を知らずに育つ。母から父のことを聞いていたが、自身のルーツは気にならなかった。
「子どもなので、別れる理由とか具体的なことは聞かなかったけれど、とても素敵なラブストーリーを話してくれていたし、それ以上知ろうとはしなかったんですね。自分に半分流れている血を持つ人に会ってみたいという気持ちは、もっと後になって、30過ぎたぐらいからあったかなと思いますけど

※Yahooニュースオリジナル2020年12月20日配信記事「「転ばない人生はつまらない」――宮沢りえの覚悟」より引用

※引用元URL
-https://news.yahoo.co.jp/feature/1861/

 

両親の馴れ初め~別れについて

上記インタビュー記事内で宮沢りえさんは母親から聞いた両親の話を「とても素敵なラブストーリー」と表現しています。
宮沢りえさん自身が語ったものは見当たりませんが、文藝春秋のnoteに掲載された宮沢りえさんに関する投稿にはもう少し具体的な内容が書かれていました。
著者はノンフィクション作家の石井妙子さん。
自著の実写化の話が出た際、宮沢りえさんを売り込みに来た母親と電話で話したことがあるとのことです。

私はその「りえママ」こと宮沢光子と一度だけ、電話で話をしたことがある。
…(中略)…
この母を知らなければ、「宮沢りえ」は理解できない。
光子は昭和24(1949)年に生まれ、東京で育った。
…(中略)…
外国で語学を学ぼうとヨーロッパ行きの船に乗り、オランダ人の船員と恋に落ちる。しばらく、オランダの片田舎で暮らしたものの退屈な生活に耐えきれず帰国。昭和48(1973)年4月、りえを東京で出産する。夫が光子を追いかけてきたが、文化の壁は厚く、以後、りえを女手ひとつで育てる。

※note「文藝春秋digital」2021年3月28日投稿「特別読物 宮沢りえ「彷徨える平成の女神」」より引用

※引用元URL
-https://note.com/m_bungeishunju/n/n793ff8b25479

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そのほか複数の週刊誌記事にも同様の記述がみられました。以下のURLを参照。
※2014年の記事
-https://www.nikkan-gendai.com/?p=news_detail&id=153619
※2025年の記事
-https://eigachannel.jp/select/182046/

 

帰国後の父親、異母妹について

モデルプレスに掲載された宮沢りえさんのプロフィール(過去のwikipediaの転載?)には「テレビ朝日のワイドショーの取材で異母兄弟がいることが明かされた。」との記述がみられます(※1)。

番組名や放送日は不明ですが、SNS上には同放送を見たと思われる人の投稿がいくつか見られます。
Xには、「腹違いの妹さんが「お姉さんに会いたい」って泣いてた」との投稿(※2)。
threadsには「お父さんのオランダの方が全然似てなかった。」「異母妹ちょっと似ていたような。」との投稿がみられました(※3)。

※1:モデルプレス掲載宮沢りえプロフィール
-https://mdpr.jp/model/detail/1256
※2:放送を見たと思われる人のX投稿
-https://x.com/tammy_morinaga/status/1399212406522347520
※3:放送を見たと思われる人のthreads投稿
-https://www.threads.com/@makichan967/post/DRVdyo0E1Cs/

 

義父(継父):小沢典仁

オランダ人男性と別れたのち、宮沢りえさんの母親・光子さんはピアニストの小沢典仁さんと再婚しています。

二人は双方が働いていた銀座のクラブで知り合い、約2年の交際を経て1976年1月に結婚。
1977年には息子(宮沢りえさんの異父弟)も誕生しています。
しかし、息子誕生の約4か月後に結婚生活は破綻。
光子さんが娘(宮沢りえさん)を、小沢典仁さんが息子を引き取り夫婦は1978年に離婚しました。
離婚後光子さん宮沢りえさんは息子(異父弟)とは会っていないようです。

 

根拠

これは、小沢典仁さんが各所で語っています。
詳細は以下の記事を参照。

・note文芸春秋digital2021年3月28日投稿「特別読物 宮沢りえ「彷徨える平成の女神」」
-https://note.com/m_bungeishunju/n/n793ff8b25479
・Smart Flash2018年2月14日配信記事「宮沢りえの結婚に「生き別れた義父」が「いつか弟に会って……」」
-https://smart-flash.jp/entertainment/entertainment-news/34052/

※※※

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