この記事では柿澤勇人さんの幼稚園から大学までの学歴を出典付きで紹介しています。
※2022年10月18日投稿、最終更新日はタイトル下参照
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幼稚園小学校中学校
柿澤勇人さんは幼稚園から中学校まで成城学園に通っていました。
・成城幼稚園(1991年4月~1994年3月)
・成城学園初等学校(1994年4月~2000年3月)
・成城学園中学校(2000年4月~2003年3月)
成城学園は幼稚園から大学まで系列校を有する名門校。
芸能人やその子供も多数通うことで知られています【成城学園に通う芸能人の子供一覧を見る】。
根拠
成城学園同窓会のHPには、会員活動情報として柿澤勇人さんの出演舞台等の情報が多数掲載されています。
※活動情報の一例
柿澤勇人(中学桂)出演ミュージカル 海辺のカフカ
※成城学園同窓会HP掲載同窓会会員のイベント等2015年9月26日更新情報より引用
先述の通り成城学園は幼稚園から大学までですが、柿澤勇人さんは過去のインタビュー記事内で幼小中高大一貫校に幼稚園から中学校まで通っていたことを明かしています。
幼稚園から入れてもらった学校が、本来ならエスカレーター式で大学まで行けるところだったんです。
それなのに僕は「プロになりたい」と、サッカーの強豪校に入るために、そこを出たんです。だけど、高校に入ってすぐに自分にはサッカーの才能がないんだとわかって……。
※LivedoorNEWS2018年9月8日配信記事「「言葉を届ける意味を、劇団四季が教えてくれた」俳優・柿澤勇人の原点」より引用
家族にも応援してもらって、一大決心をして中学からエスカレーターで上がれる高校に行くのを辞めて、サッカー強豪校に進んだので、
※Astand2014年8月4日配信記事「スターファイル 【インタビュー】「タイトル・オブ・ショウ」出演の柿澤勇人に聞く サッカー少年時代から、舞台などでフル回転の今まで」より引用
サッカーで都選抜
柿澤勇人さんは過去のインタビュー記事内で
・3歳頃からサッカーに打ち込んでいたこと(※1)
・中学時代に東京都都選抜に選ばれたこと(※2)
などを明かしています。
※1:AllAbout2013配信記事「柿澤勇人、“背水の陣”の精神【気になる新星vol.4】」
※2 Astand2014年8月4日配信記事「スターファイル 【インタビュー】「タイトル・オブ・ショウ」出演の柿澤勇人に聞く サッカー少年時代から、舞台などでフル回転の今まで」
高校
柿澤勇人さんは東京都立駒場高校保健体育科(偏差値60)に推薦で入学しています(在籍期間2003年4月~2006年3月)。
※偏差値はサイト「みんなの高校情報」2022年10月18日掲載のもの、ただし柿澤さんの入学は20年近く前の推薦
ちなみに同校は某インテリ系ジャニーズの出身校(こちらは普通科)でもあります。
根拠
学校名や推薦入学であることは所属事務所ホリプロHPに掲載された柿澤勇人さんの略歴に掲載されています。
幼少からサッカーに打ち込み、名門・都立駒場高校に推薦で入学するほどの実力だった。
※ホリプロオフィシャルサイト掲載柿澤勇人略歴より引用
学科は朝日新聞社提供サイトAstand掲載のインタビューに掲載されています。
高校(サッカーの名門・都立駒場高校)でスポーツコース(保健体育科)サッカー専攻に入学したら、…(以下略)
※Astand2014年8月4日配信記事「スターファイル 【インタビュー】「タイトル・オブ・ショウ」出演の柿澤勇人に聞く サッカー少年時代から、舞台などでフル回転の今まで」より引用
挫折と新たな目標
柿澤勇人さんは過去のインタビュー記事(※3)内で、
・プロサッカー選手を目指して一貫校を飛び出しサッカー強豪高校に入ったこと
・部員は200人おり自身は4軍スタートで早々にプロは無理だと思ったこと
・高1の夏に芸術鑑賞の授業でミュージカル「ライオンキング」を見てミュージカル俳優を志したこと
・しかしサッカーのために一貫校を飛び出したこともあり、高校3年間は全国大会出場を目標にサッカーに専念したこと
など高校時代について語っています。
※3:参照インタビュー
・Astand2014年8月4日配信記事「スターファイル 【インタビュー】「タイトル・オブ・ショウ」出演の柿澤勇人に聞く サッカー少年時代から、舞台などでフル回転の今まで」
・LivedoorNEWS2018年9月8日配信記事「「言葉を届ける意味を、劇団四季が教えてくれた」俳優・柿澤勇人の原点」
・AllAbout2013配信記事「柿澤勇人、“背水の陣”の精神【気になる新星vol.4】」
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大学
柿澤勇人さんは首都大学東京(現:東京都立大学)に指定校推薦で合格。
在学中は表象言語を専攻していました(在籍期間2006年4月~2013年3月)。
卒業までの経緯は以下の通り。
2006年4月:入学
2006年秋 :劇団四季 オーディション合格
2007年~ :休学
2009年末 :劇団四季 退団
2010年4月:復学
2011年 :ホリプロ所属
2013年3月:卒業
…劇団四季在籍中は「ライオンキング」の主人公に抜擢をされるなどしています。
根拠
柿澤勇人さんはインタビュー記事内で指定校推薦で「都立大学」に合格したことを明かしています。
家族との約束としては、まず大学に進学してくれ、と。僕、ちゃっかり勉強してたので(笑)、運良く都立大学の指定校推薦がもらえたんですよ。
※LivedoorNEWS2018年9月8日配信記事「「言葉を届ける意味を、劇団四季が教えてくれた」俳優・柿澤勇人の原点」より引用
上記インタビューでは「都立大学」とされていますが、当時の東京都立大学は2005年に後身の首都大学東京が出来たことで募集を停止(柿澤さん卒業前2011年に閉校)していましたから、入学したのは首都大学東京でしょう。
こちらの柿澤勇人さんのツイートからもそれはうかがえます。
我が出身校☺︎
「どこ卒業したの?」
と聞かれたら
いつも
「とりつだい」
と答えてました。すいません。てか。
その後、大体
「かっきー、大学行ってたの?!」
って言われてた。
おーい。なんでやねーん。 https://t.co/oG1NAtzQ5W— 柿澤勇人&STAFF (@kakizawa_hayato) August 24, 2018
休学・専攻・卒業時期についてもインタビューで明かされています。
――その年末、劇団四季を退団されたのですね。
「タイミング的に、大学に戻りたかったんです。僕は高校を卒業後、大学に半年間行ってその秋に劇団四季のオーディションを受け、翌年から休学している状態だったのですが、籍を置いておけるリミットがあり、もう少し勉強するなら今だ、と思ったんですね。また『春のめざめ』を体験したことで、新しい世界をもっと見てみたいという気持ちも芽生えていました。大学では表象言語を専攻していて、お陰様で今年の3月、卒業できました」
※AllAbout2013年配信記事「柿澤勇人、“背水の陣”の精神【気になる新星vol.4】」より引用
また、復学後の1年でほとんど単位を取り切ると3年時(2011年)にはホリプロに所属し俳優業を再開。
復学して2年生のときにほとんどの単位を取って、3年生のときに今の事務所に入りました。そこで最初に立たせてもらった舞台が『スリル・ミー』。稽古場にもMac book Airを持っていって、行き帰りの電車で卒論を書いていたことを覚えています(笑)。
※LivedoorNEWS2018年9月8日配信記事「「言葉を届ける意味を、劇団四季が教えてくれた」俳優・柿澤勇人の原点」より引用
wikipedia「柿澤勇人」によれば、
大学3年生だった2011年にドラマ「ピースボート -Piece Vote-」(日本テレビ系)でテレビドラマデビュー、映画「カイジ2」で映画デビューを果たし、
また、4年生だった2012年には大河ドラマ「平清盛」に以仁王役で出演しています。
柿澤勇人の学歴まとめ
幼稚園:成城幼稚園
小学校:成城学園初等学校(内部進学)
中学校:成城学園中学校(内部進学)
高校 :東京都立駒場高校保健体育科(推薦)
大学 :首都大学東京(指定校推薦)※現:東京都立大学
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