この記事では、千葉雄大さんの学歴や偏差値や当時のエピソードを
・小学校中学校時代
・高校時代
・大学時代
と順を追って紹介していきます。
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小学校~中学時代
千葉雄大さんは、
・大學新聞第37号(平成30年1月31日発行)
・サイト「進路ナビ」掲載のインタビュー
等で、自身の学生時代について語っています。
それによると、
千葉雄大さんは宮城県多賀城市出身。
多賀城市立城南小学校に通っていました(学校名は2016年5月18日放送の「あいつ今何してる?」(テレビ朝日)より)。
幼い頃から積極的な性格で小学校時代は学級委員をやっていたそう。
家でゲームをするよりも外で遊ぶ方が好きな活発なタイプで、放課後は友人とドッジボールなどの球技に熱中していました。
また、水泳やピアノも習い事としてやっており、発表会にも参加していたそうです。
小学校卒業後は、多賀城市立高崎中学校に進学(学校名は2016年5月18日放送の「あいつ今何してる?」(テレビ朝日)より)。
ソフトテニス部に入部すると日焼けで真っ黒になるまで毎日練習に明け暮れ、3年時には副部長も務めました。
他方では母親が教育熱心な母親だったこともあり、塾にも通っていたそう。
部活と同じくらい学業にも力を入れていたようです。
そんな努力の甲斐もあり、千葉雄大さんは地元有数の進学校に進学しました。
高校は仙台第三高校
大學新聞第37号(平成30年1月31日発行)のインタビューで千葉雄大さんは
高校は宮城県仙台第三高等学校(仙台市)に進学
と自身が通った高校を明かしています。
サイト「みんなの高校情報」によれば、
宮城県仙台第三高校の偏差値は67。
宮城県内6位偏差値を誇る県内有数の難関公立高校です。
京都大学や一橋大学といったトップレベルの国立大学にも合格者を輩出する進学校である一方で、
陸上部、ソフトテニス部、水泳部がインターハイに出場するなど部活にも熱心。
2009年より共学化されましたが、千葉雄大さんが通っていた時代(2004年4月~2007年3月)は男子校でした。
入学早々に手術で欠席
県内有数の進学校に入学した千葉雄大さんでしたが、入学早々不幸に見舞われます。
2020年2月14日放送の「A-Stuido」によれば、
千葉雄大さんは高校に入学して間もなく手術で数日学校を休むことになりましたが、
間が悪いことに欠席期間中に学校の合宿があったそう。
そこで人間関係がある程度出来上がっていたため、後からうまく入っていくことができなかった、と千葉雄大さんは語っていました。
千葉雄大の意外な高校生活
小学校時代は積極的かつ活発で、中学時代も勉強に部活に熱心だった千葉雄大さんですが、
スタートで躓いたことも影響しているのか、高校時代は少し様子が違ったよう。
サイトReseMom掲載のインタビュー記事「千葉雄大、学生時代は非・学生生活エンジョイ派!?俳優になって「キラキラを追体験」」では
「僕自身、高校時代は無口で、学校と家だけを往復しているような学生でした」
…(中略)…
「女性から好意を寄せられるような、学生生活エンジョイタイプではありませんでしたから。いわゆる明るい青春時代的な思い出もない。目立たなかったし、引っ込み思案でした」
また、大學新聞第37号(平成30年1月31日発行)とサイト「進路ナビ」掲載のインタビューによれば、
高校時代はライブハウスに通っていたそうですが、
中学時代に打ち込んでいたソフトテニス部には入らず帰宅部。
一時期は成績も下から数えた方が早いくらいにまで落ち込んでいたそう。
先の「A-Studio」では、両親に内緒で学校をさぼったこともあると告白していました。
サイト「進路ナビ」掲載のインタビュー記事内で千葉雄大さんは当時を振り返り、
高校生の頃は、自分は何ができるのか、何をすべきなのか、何をしたいのかがまるで見えなくて悩んでいたような気がします。
時折、無理に学校に通うこともないという思いが頭をよぎったりもしましたが、辞めたとしても何かやりたいことがあるわけでもなく……。その意味では、勉強にも、部活動にも打ち込むことができずに悶々としていました。
しかし、高校2年の夏ごろから「このままではまずい」と発奮し成績は100位ほど上昇。
気合を入れるために坊主にしていた時期もあったそうです。
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大学は玉川大学
千葉雄大さんは大學新聞第37号(平成30年1月31日発行)掲載のインタビュー記事で、
ユニークな教育内容に惹かれて受験を決めた玉川大学(東京都町田市)にセンター試験利用入試を活用して入学を果たしました。
と玉川大学に進学したことを明かしています。
また、上記大學新聞では学部について、
玉川大学では、文学やデザイン、プログラミングなどの幅広い分野の授業を受けることができましたので、すごく楽しかったです。
サイトサイト「進路ナビ」掲載のインタビュー記事内では、
入学した学部は、もともと目指していた分野とは異なるものの、理系・文系を問わない内容の勉強ができるところで、とても楽しかったですね。文学研究やデザイン、プログラミングなど幅広い分野の授業を受けることができました。
と語っています。
芸術学部(偏差値37.5~42.5)の可能性もなきにしもあらずですが
文学、デザイン、プログラミングなど文系理系問わず学べるユニークな教育内容という点からすると、
おそらくはひとつの専門分野を超えた学際的な研究を掲げる玉川大学リベラルアーツ学部(偏差値45.0)なのでしょう。
ちなみに、大學新聞第37号の記事には、
進路を決める時期に差しかかり、映画を観るのが好きだったこともあって、映画のノウハウを学べる大学を第一志望にして受験に臨みました。英語・国語・世界史の3教科で受験をしましたが、残念ながら第一志望校には合格することができず
とあることから、入学した玉川大学の学部は第一志望ではなかったことがわかります。
映画製作を学べる、と聞くと日本大学芸術学部映画学科(偏差値52.5)などが思い浮かびますが…
大学生活と芸能界入り
ともあれ、玉川大学に入学した千葉雄大さんは地元宮城県から上京しキャンパスライフスタートさせました。
Wikipediaおよび先述の進路ナビ・大學新聞37号の記事によれば、
徐々に友達も増え、サークル活動に勤しんだり、サブカルの聖地下北沢で遊んだりと大学生活を満喫していましたが、
ある日、行きつけの美容室でカットモデル頼まれたそう。
無料で髪を切ってもらえてラッキーという程度の軽い気持ちで引き受けた千葉雄大さんでしたが、これが大きな転機となりました。
写真がヘアカタログやファッション誌に掲載されるようになり、ついにはファッション誌「CHOKi CHOKi」の専属モデルに。
その写真を見た現在の事務所(ジャパンミュージックエンターテインメント)にスカウトされ、千葉雄大さんは大学3年生だった2009年9月に芸能界入りを果たしました。
チャンスはすぐに訪れます。
事務所所属からわずか数か月後に受けた戦隊シリーズ「天装戦隊ゴセイジャー」のオーディションで、千葉雄大さんはいきなり主役の座を勝ち取ったのです。
戦隊シリーズの主演は玉山鉄二さんや松坂桃李さんらも通った若手俳優の登竜門の1つ。
芸能界でブレイクするまたとないチャンスですが、他方でそのスケジュールは非常に多忙になります。
当初は芸能活動と学業を両立させ大学も卒業するつもりだった千葉雄大さんですが、合格した時点で大学を中退することに。
相談した大学の先生が「多くの学生は大学にやりたことを見つけに来る。それが見つかったのなら大学を辞めてその道で頑張ってもいいのではないか」とアドバイスしてくれたことも後押しとなりました。
こうして玉川大学を中退して芸能界に飛び込んだ千葉雄大さん。
その後も着々と出演作品を増やし俳優としてキャリアを重ね、また「日本一可愛い男」とも称されるルックスも武器にして活躍の場を広げています。
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