モデル・女優として活躍する玉城ティナさん。
父親米軍関係者説が出るのは出身地区と父親の国籍が理由だったようです。
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父親アメリカ人のハーフ
玉城ティナさんはアメリカ人の父親と日本人の母親の間に生まれたハーフです。
これは、玉城ティナさんが雑誌ViViの専属モデルを卒業する際に同誌サイトに掲載された記事に以下のような記述があることからもわかります。
生年月日 1997年10月8日
血液型 O型
出身地 沖縄県
兄弟構成 1人っ子
どことのハーフ アメリカ(父)と日本(母)
※ViVi2018年10月24日配信記事「玉城ティナがViViNightで卒業発表!!ティナ×ViViの歴史♡」より引用
幼い頃の方がよりアメリカの血を感じられる顔立ちでしょうか。
※幼少期
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※現在
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出身地
玉城ティナさんは沖縄県浦添市港川出身です。
上記ViViの記事では沖縄県出身とされるのみでしたが、
浦添市のHPに掲載された「浦添市勢要覧2014」の39ページに掲載された玉城ティナさんのプロフィールにはより詳細な場所が書かれています。
※画像は浦添市公式HP(うらぞえプラス)2014年4月16日掲載「浦添市勢要覧2014 日本のいまを走る!うらぞえのひと 38-39.pdf」より引用
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「玉城」という名字は沖縄県に多い印象がありますが、母方の家系は長く沖縄に住んでいるよう。
朝日新聞デジタルマガジン「&M」の記事内で玉城ティナさんは、戦争を経験した曾祖母が沖縄に住んでいる旨話しています。
プライベートで沖縄に帰るのは年に1~2回ですけど、その時も実家よりひいおばあちゃんの家に行くことのほうが多いですね。親は東京に来ようと思えばいつでも来られる年齢ですけど、ひいおばあちゃんはもう飛行機に乗れないので、いつも私から会いに行きます。
…(中略)…
例えば、ひいおばあちゃんから戦争の話を聞いたりすることも、その思いに影響しているのかもしれません。
…(中略)…
地上戦のことなど、本当に壮絶な、心が痛む話ばかりで、もう二度とそんなことが起こらないでほしいと思います。その話の中でも、ふとした日常、例えば当時ひいおばあちゃんは妊娠していて逃げるのに苦労したこととかを、経験した人だからこそ少しユーモアを交えて話してくれるんです。
※朝日新聞デジタルマガジン「&M」2019年7月3日配信記事「大人になるほど沖縄への思いが強まる玉城ティナと、大切な「ひいおばあちゃん」」より引用
ちなみに、玉城ティナさんは地元浦添市のガイドブックにも登場しています。
沖縄本島南部・浦添市(うらそえし)のガイドブック「暮らすように旅する都市(まち)、浦添市」が、このたび完成した。
…(中略)…
今回のガイドブックでは、そんな浦添市を、同市出身のモデルで全国的に活躍する玉城ティナが案内。
※エンタ魂2017年10月7日配信記事「【沖縄】玉城ティナがガイドブックで地元・浦添市を案内」より引用
[うらそえナビ] 浦添市出身カリスマモデル・玉城ティナさんと、浦添市の新ガイドブック発行直前インタビュー! https://t.co/sAOIBFr2Qz #浦添 #沖縄 #イベント #スイーツ
— うらそえナビ(一社)浦添市観光協会 (@UCTA901) September 22, 2017
父親米兵説が出る理由
玉城ティナさんの父親がアメリカ人であることは先述の通り各所で確認できますが、一般人であるが故その職業等詳しいことは公表されていません。
しかし、ネット上では玉城ティナさんの父親は在日アメリカ軍基地の米兵なのではないか、との噂があるよう。
調べた限りこれを裏付けるような情報は確認できず真偽は不明ですが、
この噂が出たのは玉城ティナさんが沖縄県浦添市港川出身であることも理由の1つなのではないかと思います。
浦添市には米軍基地(牧港補給地区)があり、港川にはかつて牧港補給地区の軍人が住んでいた港川外人住宅地があります。
浦添市公式ホームページ掲載PDF「浦添市の基地の概要」によれば、
浦添市は米軍施設・牧港補給地区(キャンプ・キンザー)が市面積の14.3%を占めているそう。
同基地は主に軍需物資の補給基地としての役割を担っており、管理、補給、整備施設、食糧品などの倉庫施設、各種工場、厚生施設などがあるようです。
また、うらぞえナビ2020年3月12日配信記事「レトロかわいい通りに注目ショップが集中する「港川外人住宅街(港川ステイツサイドタウン)」-その楽しみかた・アクセス方法までエリアを徹底解説」によれば、
現在は観光地としても知られる港川外人住宅街(港川ステイツサイドタウン)はもともとは牧港補給地区の軍人の居住地区だったそう。
1960年代にアメリカ軍人やその家族が住むための住宅が基地内だけでは足りなかったために宅地開発されたのが同エリアなのだそうです。
もっとも、80年代~90年代には沖縄県民の賃貸住宅としても利用されていたそうですから、1997年生まれの玉城ティナさんの父親が米軍人・軍属か否かとは直接の関係はないでしょう(そもそも外人住宅街は港川の一部でしかありません)。
ちなみに、港川外人住宅街が観光地として知られるようになったのは2000年頃から。
玉城ティナさんも先述の浦添市勢要覧2014内でおすすめスポットとして挙げています。
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