市川團子の家系図。父親香川照之は歌舞伎名門澤瀉屋長男だが…。


この記事では、異例の経緯で歌舞伎界入りした市川團子(五代目)の血筋を家系図風に紹介しています。

※2022年9月の投稿を再投稿しています。

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家族構成

父親:香川照之(俳優、歌舞伎役者)

母親:(一般人)【名前年齢職業等はこちら】

長男:五代目市川團子(歌舞伎役者)【学歴等はこちら】

長女(一般人)【詳細はこちら】

 

香川照之(市川中車)と長男・五代目市川團子(本名:政明)は2011年9月27日に歌舞伎界入りを発表していますが、二人は歌舞伎の名門・澤瀉屋(おもだかや)の長男の家系です。

以下では市川團子に至るまで澤瀉屋の来歴を家系図風を紹介します。

 

澤瀉屋について

歌舞伎の歴史は江戸時代初期にさかのぼりますがWikipedia「澤瀉屋」「市川段四郎 (2代目)」によれば、

澤瀉屋は明治スタートの比較的新しい家。

喜熨斗龜次郎(きのしかめじろう)氏が1890年に初代市川猿之助を名乗ったのが始まりです。

 

宗家の名跡は「市川猿之助」「市川段四郎」の二枚看板で、当初はこれを一代ごとに交互に襲名していくことになっていたよう。

ただし、五代目團子の祖父の世代ではとある事情によりこれが乱れています(詳細は「大叔父:四代目市川段四郎」の項目参照)。

澤瀉屋宗家の名跡はこれ以外にもいくつかありますが、これまでのところ「市川團子」の襲名者全員が後に看板名跡のいずれかを襲名しています。

 

5代前:二代目市川段四郎(初代市川猿之助)

Wikipedia「澤瀉屋」「市川段四郎 (2代目)」によれば、

1885年に浅草の立師の家に生まれた喜熨斗龜次郎(きのしかめじろう)は、

九代目市川團十郎(市川海老蔵さんの高祖父)の門下に入り、一度は破門となるも研鑽を続けることでこれを解かれ初代市川猿之助を襲名、市川一門の番頭格にまで至ります。

九代目團十郎が後継者を残さず亡くなり宗家不在となった後は、二代目市川段四郎を襲名し東京歌舞伎の長老として重要な地位を占めていました。

 

高祖父:二代目市川猿之助(初代市川猿翁)

Wikipedia「市川猿翁 (初代)」「市川猿之助」によれば、

二代目市川猿之助は二代目段四郎(初代猿之助)の長男

初代市川團子として初舞台を踏み、1910年に襲名した二代目市川猿之助の名跡で53年間活躍。

死の直前に初代市川猿翁を襲名しています。

 

当時の歌舞伎役者は芸事一筋が当たり前でしたが、二代目猿之助はこれからの歌舞伎役者には豊かな教養が必要と考えた父のすすめで私立京華中学へ進学。

猿之助襲名後も欧米へ留学し最新の舞台芸術を学び、この時の経験は芸事にも大いに活かされたよう。

生涯新しい歌舞伎の形を模索し続け、歌舞伎界の風雲児と評されました。

 

曽祖父:三代目市川段四郎

Wikipedia「市川段四郎 (3代目)」によれば、

三代目市川段四郎は二代目猿之助の長男

二代目市川團子として初舞台を踏んだのち、1930年に看板名跡・三代目市川段四郎を襲名しますが、1963年に55歳の若さで亡くなっています

 

夫人は女優の高杉早苗(團子の曾祖母)

二人の間には2男1女が生まれ、第二子である長女(團子の大叔母)は女優の市川靖子(團子の大叔母)、長男次男はそれぞれ三代目猿之助と四代目段四郎を襲名しています(詳細は後述)。

後述のように、澤瀉屋初の兄弟での看板名跡襲名は三代目段四郎が早くに亡くなったことと関係しているのではないかと思います。

 

祖父:三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)

Wikipedia「市川猿翁 (2代目)」によれば、

三代目市川猿之助は三代目段四郎の長男

三代目市川團子として初舞台を踏むと、1963年に24歳で看板名跡である三代目市川猿之助を襲名。

2012年に甥に猿之助を譲ると同時に二代目市川猿翁を襲名しています。

 

三代目猿之助は2000年に紫綬褒章、2010年に文化功労者を受賞するなど歌舞伎界に多大な貢献をしていますが、他方で家庭人としては決して褒められたものではなかったよう。

これは女優・浜木綿子(團子の祖母)との間に生まれた長男・香川照之の人生にも極めて大きく影響しています【家族の確執についてはこちら】

 

大叔父:四代目市川段四郎

Wikipedia「市川段四郎 (4代目)」によれば、

四代目市川段四郎は三代目段四郎の次男(三代目猿之助の弟)。

初代市川亀治郎として初舞台を踏み、17歳で四代目市川團子を襲名、慶應義塾大学を卒業した1969年に四代目市川段四郎を襲名しています。

 

・看板襲名は非常措置?

先述の通り澤瀉屋は「猿之助」「段四郎」の2枚看板であり、この世代(第四世代)より前は代替わりごとに宗家長男が看板名跡を交互に襲名していました。

 

しかし、第四世代は長男が「猿之助」を襲名しただけでなく次男も「段四郎」を襲名しています。

おそらくですが、これは第二世代・第三世代の看板名跡襲名者を同時に失う非常事態をまだ若い第四世代が乗り切るための措置だったのではないかと思います。

 

これは澤瀉屋第二第三世代から第四世代への変遷から推測できます、

以下は各自のwikipediaから関係個所をまとめたもの。

1947年:長男が三代目團子(※1)を襲名(8歳)

1957年:次男が初代亀治郎を襲名(11歳)

1962年:父(三代目段四郎)病に倒れる(54歳)

1963年5月:長男が三代目猿之助を襲名(24歳)

1963年5月:次男が四代目團子(※1)を襲名(17歳)

1963年6月:祖父(二代目猿之助)死去(75歳)

1963年11月:父(三代目段四郎)死去(55歳)

1969年:次男が四代目段四郎襲名(同年大学卒業、23歳)

※1:歴代團子は全員後に看板名跡を襲名してい

 

これを見ると、

・澤瀉屋は第二世代第三世代の看板名跡襲名者をほぼ同時に失ったこと

・その当時第四世代は非常に若かったこと(長男24歳次男17歳)

がわかります。

この事態を乗り切るため、長男の猿之助襲名と同時に10代だった次男が看板名跡内定の証ともいえる團子を襲名。次男がある程度の年齢になったところで段四郎を襲名することで2枚看板を併存させたのではないかと思います。

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父:香川照之(九代目市川中車)

Wikipedia「香川照之」によれば、

香川照之は三代目猿之助の長男

澤瀉屋宗家長男ですから通例に習えば幼少期に團子を襲名し、今頃は猿之助又は段四郎を名乗り宗家として活躍している立場です。

しかし、幼い頃に両親が離婚し母・浜木綿子(團子の祖母)に引き取られたことで梨園との関係も断絶【詳細はこちら】

後に父と和解し46歳で長男と共に歌舞伎界入りするも、襲名したのもそれまで立花屋の屋号だった「市川中車」でした。

 

従叔父:四代目市川猿之助

Wikipedia「市川猿之助 (4代目)」によれば、

四代目市川猿之助は四代目段四郎の長男

第四世代宗家であった三代目猿之助の甥であり、香川照之はいとこにあたります。

二代目市川亀治郎として初舞台を踏み、2012年に四代目市川猿之助を襲名しました。

 

先述のように澤瀉屋第5世代の宗家は血筋的には第4世代宗家の長男である香川照之ですが、香川は両親の離婚に伴い幼少期に梨園を離脱。

次男筋である二代目亀治郎が看板名跡を継ぐことになったのは、澤瀉屋第5世代に他に適格者がいなかったことも大きいでしょう。

澤瀉屋の歴史上(初代を除き)唯一「團子」を経ずに看板名跡を襲名しているのも、その表れなのではないかと思います。

 

本人も猿之助襲名発表会見で以下のように語っています。

亀治郎は、自身の人生計画の中では一生名前を変えるつもりはなかったと話したが、伯父・猿之助から「僕のやってきた事を継いで欲しい」という希望を受けて「伯父への恩返しになれば」と襲名を決意したいきさつを語った。

※チケットぴあ2011年9月27日配信記事「香川照之が歌舞伎の世界へ 母に「ごめんね」」より引用

 

本人:五代目市川團子

 

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Wikipedia「市川團子 (5代目)」によれば、

五代目市川團子は先代猿之助の長男である香川照之の長男

歌舞伎とは無縁の幼少期を過ごしたようですが2011年に父と共に歌舞伎界入りすることが発表されると、2012年に8歳で五代目市川團子を襲名し初舞台を踏みました。

 

先述のように父・香川照之は長らく梨園と断絶してましたが、長男が誕生したことで後を継がせたいと考えるようになったようです。

香川は緊張した様子ながら「歌舞伎の世界とは無縁に過ごしてきました。2004年に長男の政明が誕生した事で、この船に乗らなければならない」と140年に渡って続いている名跡を守っていきたいという強い思いがあったことを明かした。

※チケットぴあ2011年9月27日配信記事「香川照之が歌舞伎の世界へ 母に「ごめんね」」より引用

※「政明」は五代目團子の本名

 

澤瀉屋長男の血筋ながら梨園入りの年齢や経緯から同業者に「駄馬」と評されることもあったようですが【「駄馬」事件の詳細を読む】

・歌舞伎界入りと同時に「團子」を襲名したこと

歴代「團子」は全員後に看板名跡を継いでいること

からすると、周囲は当初から看板名跡を継がせるつもりだったのでしょう。

 

また、2022年9月時点で澤瀉屋第6世代は五代目團子ただ一人(当代猿之助は未婚で子供なし)。

澤瀉屋第6世代宗家も濃厚なのではないかと思います。

市川團子の記事を読む

市川團子の歌舞伎界入り経緯や評判と今後の展望。

市川團子と“猿之助”の3つの関係。襲名は猿之助段四郎いずれなのか?

香川照之の息子市川團子の親権の所在を公開情報から検証。

市川團子の母親(画像有)の謎。名前職業年齢等を出典付きで紹介。

市川團子の妹(画像有)の謎。年齢差※歳といわれる理由とは。

※一家の学歴は↓↓
→香川照之の子供(息子)市川團子の大学はどこ?青山学院大学文学部比較芸術学科報道あり。

→香川照之の娘(長女)の小中学校はどこ?青山学院説雙葉説等あるが…

→香川照之の学歴は暁星学園小中高校→東大文学部社会心理学科卒業。

※東大に入学できたのは家族を捨てた父親のおかげ?
→香川照之を東大の“あの学部”に合格させたのは母親の執念と父親の※※。

※香川照之さんの離婚の原因は歌舞伎界を目指したことにあった?
→香川照之の子供(息子)政明の“駄馬ブログ事件”に離婚の真相が隠されていた?

→香川照之の息子(子供)の歌舞伎界入り~現在の歩み。市川團子は猿之助になれるのか?

※そもそもなぜ香川照之さんは無謀な挑戦をしたのでしょうか?
→香川照之と子供(息子)政明が歌舞伎界入りした理由は家系図を見れば一目瞭然?


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