先代猿之助の直系ながら歌舞伎界入りは8歳と遅かった香川照之さんの息子五代目市川團子さん。
この記事では、歌舞伎界入りが遅かった理由や歌舞伎界入り後の様子等を紹介しています。
※2020年8月7日投稿、最終更新日はタイトル下参照
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名俳優の息子→歌舞伎役者
Wikipediaによると、
香川照之さんは1995年12月に元日本航空国際線のCAだった女性と結婚。
2004年1月16日に第一子となる息子政明さんが誕生しています。
※下にももう一人娘あり
2010年の小学校入学の際に名門私立小学校に向かう姿が週刊誌の報じられたこともあったようですが、
香川照之さんの息子さんは7歳まで一般人として過ごしていました。
しかし、2012年、8歳のときに五代目市川團子を襲名し父親と共に歌舞伎デビューすることに。
歌舞伎とは無縁だった香川照之さんの子供(息子)がなぜ突如として歌舞伎界に足を踏み入れることとなったのでしょうか?
名歌舞伎役者の孫
歌舞伎役者は歌舞伎の家に生まれた子供がなるものというイメージが強いですが、
中には片岡愛之助のように一般家庭出身者(実家はスクリュー製造工場)もいます。
しかし、実は香川照之さんの息子は歌舞伎役者の血統です。
香川照之さんは1965年、歌舞伎役者の三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんと女優の浜木綿子(はま ゆうこ)さんの長男として生を受けました。
「市川猿之助」とは有名歌舞伎一門澤瀉屋(おもだかや)の看板名跡の一つであり、
それを受け継ぐ香川照之さんの父親は当時の澤瀉屋のトップに位置する人物でした。
順当にいけばその長男である香川照之さんも幼くして歌舞伎役者となり今頃は澤瀉屋のトップになっていたかもしれません。
しかし、香川照之さんが2歳の時に父親の駆け落ち不倫により両親は離婚。
香川照之さんは母親に引き取られ、父親とも歌舞伎とも無縁に成長しました。
香川照之さんが25歳のときに父親を訪ねた際には「あなたは私の息子ではありません」「あなたとは今後、二度と会うことはありません」と取り付く島もない対応だったようですが、
澤瀉屋の後継者問題(※)もあり二人は和解。
香川照之さんと息子政明さんは2012年に九代目市川中車、五代目市川團子をそれぞれ襲名し歌舞伎初舞台を踏みました。
歌舞伎役者の片岡愛之助さんは女性自身のコラム(第5回)で、
香川照之さんと出会ったのは2005年の新春浅草歌舞伎であること、
香川照之さんは従弟の市川猿之助さんと仲が良く息子を連れてよく楽屋に顔を出していたこと
などを明かしています。
また、【こちらの記事】に書いた通り香川照之さんの息子は歌舞伎界入り公表のかなり前から歌舞伎役者御用達の学校に入っていたようです。
香川親子の歌舞伎界入りは、何年も前から計画されていたものだったのでしょう。
※澤瀉屋の後継者問題
香川照之さんの父親には香川照之さん以外子供はいませんでした。
父親は2012年に香川照之さんの従弟に市川猿之助(四代目)を譲りましたが、
四代目猿之助さんは未婚で子供もいません(2020年8月時点)。
澤瀉屋の次世代の血縁は香川照之さんの息子以外いない状況でした。
歌舞伎入り発表当時、香川照之さんは以下のようなコメントをしています。
この度九代目として市川中車を襲名させていただく事になりました。今年で46歳、歌舞伎の世界とは無縁に過ごして参りましたが、私の中では140年にわたり続いている家系を、私、そして政明という長男がいながら、継いでいかなくてはよいものだろうかと、ずっと自分に問うて参りました。
※歌舞伎公式総合サイト「歌舞伎美人」より引用
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駄馬事件
香川照之さんの子供(息子)政明さんの歌舞伎界入りは2011年に発表され、2012年に8歳で五代目市川團子を襲名し初舞台を踏みました。
幼いころから稽古を重ねるのが当たり前の歌舞伎界においてはかなり遅いスタートではないかと思いますが、
歌舞伎界内部でも批判はあったようです。
NEWSポストセブン2017年3月1日配信記事「香川照之の長男・團子と因縁の男・田中傅左衛門が和解共演」には、
田中傳左衛門さんが自身のブログで香川照之さんの息子を血統はあっても鍛えられていない「只の駄馬」であると酷評した旨書かれています。
現在このブログ記事(2013年10月11日の記事)を閲覧することはできませんが、そのコピーと思われる文章はネット上で見ることができます。
今日は国立劇場、染五郎丈の「鏡獅子」。
「食べたものが出る」という喩えがあるが、幼少期から厳しく仕込まれているだけあって、金太郎君の胡蝶が品も行儀も良い。楽屋でのあいさつからして、やはり違う。
世襲は環境である。血統があってもちゃんと鍛えられなければただの駄馬。
ここでいう「金太郎君」とは松本幸四郎さん(松たか子さんの兄)の息子のこと。
このブログ記事当時、市川金太郎さんは香川照之さん息子と共に「春興鏡獅子」の“胡蝶の精”を演じていました
上記記事が二人を比較してのものであることは明らかでしょう。
歌舞伎界入り後
事情はあれど、香川照之さん息子(五代目)市川團子さんの歌舞伎役者としてのスタートが遅かったことは事実でしょう。
上記のように、入門間もない頃には「駄馬」とまで言われていましたが、その後はどうなのでしょうか。
歌舞伎界入りから5年後には週刊誌に以下のようなことが掲載されています。
「もともと人懐っこい性格で“スレていない”團子ちゃんは、マスコットのように可愛がられています。猿之助さんとは年の離れた兄弟のようで…(中略)…直々に稽古もつけてもらっています。大事に育てられていますよ」(前出・演劇雑誌編集者)
※週刊女性PRIME2017年4月12日配信記事「香川照之、CA妻と離婚も「團子とは離れたくない」繰り返される“父子確執”」より引用
「團子の役者としての成長はめざましい。熱心に稽古に励んでいて、父親の芝居にダメ出しをできるほど演技の妙がわかるようになってきている。そんな團子を松竹も“将来の市川猿之助”として売り出したい思いがある。…(略)…」(梨園関係者)
※NEWSポストセブン2017年3月1日配信記事「香川照之の長男・團子と因縁の男・田中傅左衛門が和解共演」より引用
さらに、香川照之さんは歌舞伎界入りから7年後の2019年末におこなわれたトークショーで以下のように話していました。
「昨日、團子(だんこ)は新春公演の稽古初日で、夜中12時まで稽古していました。自分とはまるで違う人生。高校1年生でよく歌舞伎に打ち込めるよね」
※NEWSポストセブン2020年1月10日配信記事「香川照之、トークショーで息子・市川團子の“外ヅラのよさ”を褒めちぎる」より引用
スタートは遅くとも、その恵まれた血統と環境、そして本人の努力で歌舞伎役者の道をまい進しているようです。
香川照之市川猿之助の記事を読む
※香川照之さんの息子が通う歌舞伎役者御用達の学校とは
→香川照之の子供(息子)政明の小学校中学校はどこ?歌舞伎界進出も納得の学校選び。
※香川照之さんの息子を駄馬呼ばわりした歌舞伎界の大物とは?
→香川照之の子供(息子)政明の“駄馬ブログ事件”に離婚の真相が隠されていた?
※香川一家と市川海老蔵の先祖たちには深い関係がある?
→市川猿之助の家系図は市川海老蔵なくして存在しない?市川宗家の恩人でもあるが…
※香川照之さんの東大合格させた矛盾する要素とは?
→香川照之を東大の“あの学部”に合格させたのは母親の執念と父親の※※
※香川照之さんの両親の離婚後の関係はこちら
香川照之の母親浜木綿子の仕事&プライベート総まとめ。元夫との現在の関係は?
※40代での歌舞伎界入りには意外なお家事情があったようで…
→香川照之と子供(息子)政明が歌舞伎界入りした理由は家系図を見れば一目瞭然?
香川照之と市川猿之助は兄弟並激似だが家系図関係はいとこ。生い立ちは正反対。
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