この記事では、五代目市川團子さん(香川照之さんの息子)の歌舞伎界入りの経緯や同業者からの評判、さらには今後の展望を公開された情報を基に検討しています。
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歌舞伎界入り
五代目市川團子(本名:政明)さんは歌舞伎の名門・澤瀉屋(おもだかや)の長男筋です【初代から現在までの家系図はこちら】。
これだけを見れば幼少期から澤瀉屋の跡継ぎとして歌舞伎界に入っていても不思議ではない立場のようにも感じますが、
祖父・三代目猿之助さんが離婚により長男・香川照之さんと長らく絶縁状態になったため、香川照之さんはもちろん2004年に生まれた香川さんの長男・政明(五代目團子の本名)さんも歌舞伎とは無縁の幼少期を過ごしました【父子の確執と和解の経緯はこちら】。
しかし、後述のように香川照之さんは長男が生まれた2004年頃から漠然と息子の歌舞伎界入りを考えていたよう。
政明さんが7歳だった2011年に歌舞伎界入りが発表され、政明さんは五代目市川團子を襲名しています(香川照之さんも九代目市川中車を襲名、当時46歳)。
歌舞伎界入り時のコメント
香川照之さんは、自身と長男の歌舞伎界入りの経緯等について2011年9月27日に行われた襲名披露記者会見で語っています。
下に香川さんのコメントの一部を引用しますが、会見では
・歌舞伎界入りは長男が生まれた時から考えていた
・長男の名前に曽祖父から続く「政」の字を入れたのはそのため
といったことも語られていました。
※会見での香川照之さんのコメントの一部
私自身ことしで46歳になりますけれども、歌舞伎の世界とは無縁に過ごして参りましたのは皆様ご存じの通りでございます。しかし2004年に私の右隣にいる政明が誕生いたしました。父も祖父も曾祖父もつけていた「政」という文字を頭につけました。それは偶然ではありません。僕自身の意図があります。それはきょうこういう日を迎えるためでございます。7年かかりましたが、私の中で140年にわたって続いているその代を僕自身が生きていて政明という長男がいて、やらなくていいのか、「この船に乗らなくていいのか」とこの10年、それと彼が生まれたこの7年、ずっと思ってきたことです。
…(中略)…
問:香川照之さんは歌舞伎の世界に入ると決めたのはいつごろから。
香川照之さん:
うちの息子が生まれた2004年から芽生えたことです。女の子でしたら考えませんでしたが。その後やはり本格的には去年、徐々に固まっていった意識があります。
もっと早い段階で名前のこととか亀治郎君に相談していたので、流れの中で起こってきたことだと思います。
※出典:Ellipsis(NHKサイト掲載の記者会見文字起こしの引用)
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評判~駄馬ブログ事件~
上記のように、五代目市川團子さんは澤瀉屋長男の血筋ではありますが、歌舞伎界に入ったのは7歳の頃です。
歌舞伎の名家に生まれた男子は幼いころから稽古をするケースが多いですから、これはかなり遅い部類なのでしょう。
香川照之さんにもその意識はあったようで、上記襲名披露記者会見の際には自虐が過ぎるのでは?とも思えるコメントをしていました。
今後とも色々迷惑をかけると思いますが、ゼロからの出発です。うちの息子も本当にゼロからの出発です。芸は本当にこのおふたりを(段四郎、亀治郎をさして)見ていただいて、私たちはなんて言うんでしょう、「何々パンダ」的なそういうことで、舞台に立たせていただけたらと思います。本当に今後ともご迷惑をおかけします。どうぞ宜しくお願いいたします。
※出典:Ellipsis(NHKサイト掲載の記者会見文字起こしの引用)
歌舞伎界内部からも批判的な意見は出ていたようで、
NEWSポストセブン2017年3月1日配信記事「香川照之の長男・團子と因縁の男・田中傅左衛門が和解共演」によれば、
2013年10月(團子初舞台から約1年後)に共演した田中傳左衛門さんがブログで團子さんを「只の駄馬」と酷評したそうです【実際のブログの文面はこちら】。
もっとも、後述のように2017年配信の上記NEWSポストセブンの記事には、團子さんの役者としての成長を褒める“梨園関係者”のコメントが掲載されていました。
今後の展望
澤瀉屋の歴史を紐解いてみると、歴代の「市川團子」は4人全員が2大看板名跡「猿之助」「段四郎」のいずれかを襲名しています。
歌舞伎界入りと同時に同名跡を襲名した当代(五代目)市川團子さんも、歌舞伎界入りの時点で将来の看板名跡襲名が内定していたことがうかがえます。
これは澤瀉屋宗家に次世代の血縁者がいなかったことも大きいのでしょう。
三代目猿之助の息子は絶縁状態だった香川照之さんのみだったこともあり、四代目猿之助は甥(四代目段四郎の一人息子)が継ぎましたが、四代目は2022年9月時点で結婚しておらず子供もいません。
また先述の通り、香川照之さんは2011年の襲名披露会見の際、「140年の歴史」を強調していました。
これは「猿之助」の名跡が初代から生前贈与が続き140年一度も途絶えていないことを指しているのでしょう。
さらに上記2017年のNEWSポストセブンの記事にも松竹が團子さんを「将来の猿之助」として売り出したい思惑があるとの“梨園関係者”のコメントが掲載されています。
「團子の役者としての成長はめざましい。熱心に稽古に励んでいて、父親の芝居にダメ出しをできるほど演技の妙がわかるようになってきている。そんな團子を松竹も“将来の市川猿之助”として売り出したい思いがある…(中略)…」(梨園関係者)
※NEWSポストセブン2017年3月1日配信記事「香川照之の長男・團子と因縁の男・田中傅左衛門が和解共演」より引用
こういったことからすると、五代目市川團子さんが将来五代目市川猿之助を襲名する可能性は高いのではないかと思います。
市川團子の記事を読む
市川團子の家系図。父親香川照之は歌舞伎名門澤瀉屋長男だが…。
市川團子の母親(画像有)の謎。名前職業年齢等を出典付きで紹介。
※一家の学歴は↓↓
→香川照之の子供(息子)市川團子の大学はどこ?青山学院大学文学部比較芸術学科報道あり。
→香川照之の娘(長女)の小中学校はどこ?青山学院説雙葉説等あるが…
→香川照之の学歴は暁星学園小中高校→東大文学部社会心理学科卒業。
※東大に入学できたのは家族を捨てた父親のおかげ?
→香川照之を東大の“あの学部”に合格させたのは母親の執念と父親の※※。
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