この記事では、Hey! Say! JUMPの伊野尾慧さんの学歴をまとめています。
芸能人御用達高校への進学を断った理由や大学院進学疑惑の真偽は果たして…
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小学校時代
伊野尾慧さんは1997年4月に小学校に入学しました。
入学先は、ネット上に流出した卒業式の写真等から埼玉県にある入間市立豊岡小学校といわれています。
Myojo2014年3月号に掲載された「10000字ロングインタビュー「裸の時代 ~僕がJr.だった頃」伊野尾慧」で伊野尾慧さんは小学校時代について語っています。
本人曰く、小学校時代の伊野尾慧さんは「フツ━━━━のコ」。
クラスの中心でみんなの引っ張るタイプではなく、モテることもなし。
運動も苦手で、徒競走では本気で走ってもたいていビリだったそうです。
ジャニーズ入所は小5
先のMyojoのインタビューではジャニーズ入所の経緯についても語られています。
それによると、最初にジャニーズに興味を持ったのは幼稚園時代。
テレビでおいしそうなものを食べるジャニーズのアイドルを見て、自分もおいしいものを食べたいがゆえにジャニーズを夢見るようになったそうです。
当初母親は「頑張っても成功するかわからない世界だから」と反対していたそう。
しかし、何年たっても伊野尾慧さんの想いは変わらなかったため、小学校5年生のときに履歴書を送ってくれました。
伊野尾慧さんはオーディションを受け薮宏太さんらと共に見事合格。
2011年(小学校5年生時)にジャニーズに入所しました。
もっとも、小学校5~6年の時の仕事は少なく、あっても大人数が必要なコンサートくらいだったそうです。
中学校時代
伊野尾慧さんは2003年4月に中学校に進学。
伊野尾慧さんが埼玉県入間市出身であることや複数の一般人のツイート等から、進学先は入間市立豊岡中学校ではないかといわれています。
2015年8月1日放送の「メレンゲの気持ち」(日本テレビ)では、伊野尾慧さんの中学時代について語られていました。
それによると、中学時代の伊野尾慧さんは、ジャニーズであることを鼻にかけずフレンドリーでお調子者。
全国大会出場経験のある父親の影響で卓球部に入ったものの、最初の数か月以降は幽霊部員だったそうです。
他方で、学業には力を入れていたようで、
定期テストで500点満点中410点(国語76点、数学82点、英語78点、理科92点、社会82点)を取ったこともあるのだとか。(ただし出典不明)。
勉強のコツは授業中はノートを取らずに先生の話に集中し、授業後に友達にノートを写させてもらうことだそうです。
中学時代の芸能活動
先のMyojo2014年3月号のインタビュー記事で伊野尾慧さんは、
小学生時代はほとんど呼ばれることがなかったが、中学1年生になって少し仕事が増えた、と語っていました。
Wikipediaに掲載された中学時代の伊野尾慧さんの仕事は以下の通り。
中学1年生時(2003年4月~2004年3月)
・音楽バラエティ番組「Ya-Ya-yah」(テレビ東京)出演
・ジャニーズJr.内ユニットmintのメンバーに選出
・舞台「DREAM BOY」出演
中学2年生時(2004年4月~2005年3月)
・ジャニーズJr.内ユニットJ.J.Expressのメンバーに選出
高校時代
伊野尾慧さんは2006年4月に高校に進学しています。
進学先といわれているのは東京都千代田区にある東洋高校(偏差値60~67)。
ネット上に流出した卒業アルバムの制服等がその根拠のようです。
芸能人御用達校に進学しなかった理由
ジャニーズのタレントは堀越高校や日出高校といった芸能人御用達の高校に進学する傾向が強いイメージがありますが、
伊野尾慧さんが進学したといわれる東洋高校は芸能人が多いわけではありません。
学校選びの理由について伊野尾慧さんは先のMyojo2014年3月号のインタビューで以下のように語っています。
「最初、”堀越、行くんでしょ”みたいな感じで社長に言われたんですけど、”行きたくない”って言って。なんか、仕事以外の友だちがほしくて。仕事だけじゃない空間を持ってるのが、居心地いいっていうか。堀越だと(八乙女)光とか薮とか、みんな行ってたわけじゃん」
高校に友達ゼロ
しかし、続けて伊野尾慧さんは、高校時代は友達ができず先生も自分にだけ厳しく高校に全然馴染めなかった、と明かしています。
高校2年生になった頃には友達が一人もいない状態で、
移動教室の前の授業で居眠りをしていたら、誰も伊野尾慧さんを起こすことなく移動していたこともあったそうです。
また、Oggi.jp2017年5月11日配信記事「【伊野尾慧】高校時代はまさかの暗黒期だった!?|映画「ピーチガール」インタビュー前編」では、
友達があまりいなかったんです。それに、高校2年生の時にHey! Say! JUMPとしてデビューしたので、その時期に人生の分岐点を迎えていたんですよね。なので学校生活の特別な想い出が少ないんです。唯一いま思い出せるのが、購買で売っているツナパンがおいしくて、それを授業中に教科書で隠して食べていたら、先生に怒られたことかな~。
と語っています。
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高校時代の芸能活動
伊野尾慧さんは高校2年生の時にHey! Say! JUMPのメンバーとしてCDデビューしています。
上記oggiのインタビューで伊野尾慧さん自身もこれが「人生の分岐点」だったと評していますが、
学校になじめなかった理由の1つは、芸能活動が忙しかったこともあるのでしょう。
Wikipediaから高校時代の伊野尾慧さんの主な芸能活動を抜粋すると、
高校1年生時(2006年4月~2007年3月)
・期間限定ユニットKitty GYMメンバーに抜擢、フジテレビ放送の女子バレーボールWGPのスペシャルサポーター就任。
高校2年生時(2007年4月~2008年3月)
・Hey! Say! JUMPのメンバーに選出、CDデビュー
・「ワールドカップバレーボール2007」スペシャルサポーター
・テレビ番組「百識~百で知るひとつの知識~」準レギュラー
・東京ドームで単独コンサート
・第39回春の高校バレー全国大会サポーター
高校3年生時(2008年4月~2009年3月)
・2008北京オリンピック バレーボール世界最終予選 サポーター
・第40回春の高校バレー全国大会 サポーター
・CD3枚発売
・コンサート3回開催
当時の伊野尾慧さんはグループトップレベルの人気メンバーというわけではなかったようですが、
それでもグループ全員の仕事は平等にありますから一般の高校での学業との両立は大変だったのではないかと思います。
大学時代
伊野尾慧さんは2009年4月に大学に進学に進学しています。
進学先は明治大学理工学部建築学科。
これはスポニチ2009年1月6日配信記事に
10人組ユニット「Hey!Say!JUMP」の伊野尾慧(いのお・けい、18)が明治大学理工学部建築学科に合格し、4月から進学する。伊野尾が5日、横浜アリーナで開催された全国ツアー(3カ所10公演)最終公演で発表した。
とあるように、合格時に伊野尾慧さん自身が公表しています。
被災地で現地調査
先のスポニチの記事によれば、
伊野尾慧さんは「コンサートのセットから始めて将来的には劇場の建築をしたい」と語り、AO入試の際にも「劇場建築」というタイトルの論文を提出していたそうです。
しかし、大学2年生の時に起こった東日本大震災をきっかけに、伊野尾慧さんは震災直後から被災地に赴いていた山本俊哉教授の研究室に入りました。
詳細は【こちらの記事】に譲りますが、伊野尾慧さんも被災地の現地調査を行っていたようです。
卒論執筆時の地獄&青春
先述の通り伊野尾慧さんは明治大学理工学部建築学科に通っていましたが、理系学部は卒論が非常に大変なイメージがあります。
WU2013年4月号掲載の「今、話しておきたいこと」によれば、
卒論の締め切りは2013年1月末。
当初の予定では、2012年11月~12月にミュージカル「JOHNNYS’ World -ジャニーズ・ワールド-」が終わった後の1か月で書き上げる予定だったそうですが、急遽2013年1月の追加公演開催が決定。
さらに力学の試験や発表などもあったため、「最後にすごいサプライズがきた」と冷や汗をかいたそうです。
また、Myojo2015年5月号に掲載されたインタビュー記事によれば、
卒論の締め切りが近くなると寝袋を持ち込んで研究室に泊まり込み、提出期限直前の3日くらいはお風呂にも入っていなかったそう。
研究室の同級生も同じ境遇で全員が必死だったため、不思議な一体感が生まれていた、と当時を振り返っていました。
また苦労の一方で、泊まり込み期間中に同級生と研究室で鍋やラーメンを作る、卒論提出後に皆でお風呂に行く、など
友達のいなかった高校時代にはできなかったであろう学生的青春も経験することができたようです。
大学院進学説の真偽
伊野尾慧さんは2013年3月、一度も留年することなく明治大学理工学部建築学科を卒業しました。
卒業後は芸能活動一本…と思いきや、一部では伊野尾慧さんが明治大学大学院に進学したのではないか?ともいわれているよう。
この手の情報は根も葉もない噂であることも多いですが、調べてみるとこれにはそれなりの根拠がありました。→この続きを読む
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