【ラランド】ニシダの小中学校高校大学はどこ?学歴まとめ。


この記事ではラランドのニシダさんの学歴(小学校中学校高校大学)に関する噂を検証しています。

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家族構成

父親:西田祐樹※UBE株式会社社長
母親:
長男:ニシダ(本名:西田亘輝、1994年7月24日生まれ)
長女:   (7歳年下(2001年頃生まれ))

父親については「大企業の偉い人」などぼかして語られることが多いですが、ニシダさんが出演したラジオ番組「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」(ニッポン放送)2023年12月13日放送回では会社名が出ていたよう(※1)。
2025年には現代ビジネスが父親の名前や実家取材に応じた母親のコメントが掲載された記事を配信しています(※2)。

家族構成や妹との年齢差についてはニシダさんがインタビュー記事など各所で明かしています(※3)。

 

※1:出演ラジオで父親の会社名
-https://miyearnzzlabo.com/archives/107072
※2:母親コメント付きマスメディア記事
-https://gendai.media/articles/-/151279?page=2
※3:家族構成
-https://realsound.jp/book/2025/01/post-1908773.html
-https://www.joqr.co.jp/ic/article/61924/

 

小学校(2001年頃~2007年3月)

ラランドのニシダさんは以下の小学校に通っていたといわれています。
デュッセルドルフ日本人小学校(ドイツ):2001年頃~2003年3月頃
マドリード日本人小学校(スペイン):2003年4月頃~2005年12月頃
鎌倉市(JR大船駅付近)の小学校:2005年12月頃~2007年3月卒

 

海外2校の根拠

ニシダさんはPOPEYE2021年6月11日配信記事「【#1】 ラランドのニシダと申します。」内で、小学校時代に2度転校したこと、1度目の転校は「デュッセルドルフ日本人小学校」から「マドリード日本人小学校」へだったことを明かしています。

 小学生の頃、親の仕事の都合で二度の転校を経験した。
一度目の転校で「デュッセルドルフ日本人小学校」から「マドリード日本人小学校」に転校することになった私は、登校初日に全学年の集まる朝礼で自己紹介することになった。マドリード日本人小学校の体育館で私は「デュッセルドルフ日本人小学校から来ました、西田亘輝です。好きな食べ物はしゃぶしゃぶです。」と自己紹介をした。

※出典:https://popeyemagazine.jp/post-24889/

 

各校在籍時期の根拠

2度目の転校先が日本であったことや各校の在籍時期は父親の経歴から推測できます。
ニシダさんの父親がUBE株式会社代表取締役社長の西田祐樹さんだといわれているのは先述の通り、ニシダさんの転校時期が同氏の転勤時期と近い可能性は高いでしょう。

同氏の社長就任時の資料(※4)に掲載された経歴のうちニシダさんの小学校時代(2001年頃~2007年3月)と被るものは以下の通りです。
2000年2月:ウベヨーロッパ出向(デュッセルドルフ)
2003年4月:ウベケミカルヨーロッパ出向(マドリ-ド)
2005年1月 :機能品・ファインディビジョン
      ファインケミカルビジネスユニット営業グループリーダー

※4:西田祐樹略歴
https://ssl4.eir-parts.net/doc/4208/tdnet/2570975/00.pdf

 

帰国後小学校の根拠

帰国後の小学校がJR大船駅(鎌倉市)付近と言われるのは、ラランドのyoutubeやマネージャーのXに掲載された情報が理由のよう。

ラランドのyoutubeに2022年10月15日に投稿された動画内で、ニシダさんは自身の実家に近づく車の中で“この付近の小学校に1年半ほど通っていた”という趣旨の発言をしています(※5)。

ここから2022年の時点でニシダさんの実家の場所は小学校時代から(少なくとも大きくは)変わっていなかったことがうかがえますが、この動画の2年ほど前のラランドのマネージャーのX投稿には、ラランドがニシダさんの実家最寄駅付近でライブをやる旨の記述がみられます(※6)。
同投稿に掲載されたライブのチラシによると、このライブは2021年1月17日に鎌倉芸術館で行われたもののよう。
鎌倉芸術館はJR大船駅から徒歩10分ほどの場所にあります。

 

※5:ララチューン【ラランド公式】)2022年10月15日投稿動画「ニシダ、実家に挨拶【レモンジャム社員旅行 #4】」(該当部分は4.03~)
-https://www.youtube.com/watch?v=rW9NuvX4mGc
※6:ニシダ実家最寄駅ライブ告知
-https://x.com/HashitakuJ/status/1350446580592070656

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中学校・高校(2007年4月~2013年3月)

ラランドのニシダさんは中学受験を経て藤嶺学園藤沢中学校・高等学校(中学偏差値39-43※)に通っていたといわれています。

同校は神奈川県藤沢市にある私立中高一貫男子校です。

※偏差値はサイト「みんなの中学情報」掲載の2025年度版のもの、ただしニシダさんの進学は15年以上前

 

根拠

これは、藤嶺学園藤沢中高の学校だよりにも書かれていますからほぼ確実でしょう。
ニシダさんは同校の開校記念講演に卒業生として登壇していたようです。

【ラランドニシダ母校に凱旋】
去る 5/13(金)の「開校記念講演会」で本校卒業生(一貫 7 期生)のラランドニシダこと西田
亘輝氏が高校生を相手に講演をしてくれました。西田氏は 2007 年 4 月に本校入学。中高と
もバレーボール部で活躍し、高校では当時の「選抜クラス」に在籍していました。

出典:藤嶺藤沢高校だより2022年6月号(URLは※5参照)

※5: 藤嶺藤沢高校だより2022年6月号
-https://netty01.lekumo.biz/tohreifujisawa_news/files/koukoudayori6gatugou2022.pdf

 

大学(2014年~)

ラランドのニシダさんは1年の浪人期間を経て上智大学外国語学部イスパニア語学科に入学するも3年間通ったのちに退学。翌年再入学制度で復学するも2年間通ったのち再び退学しています。

退学はいずれも単位不足による強制退学だったよう。
1度目は必修単位(スペイン語会話)を2年連続で落としたこと、2度目は入学後2年間での必要単位数に届かなかったこと、が理由だったようです。

ちなみに、浪人時代は上智大学の2学部、早稲田大学の2学部に合格していたようです。

 

根拠

これらはニシダさん自身が各所で明かしています。
以下は現代メディアが2023年6月3日に配信したニシダさんのインタビュー記事からの引用。

1浪して、上智大学外国語学部イスパニア語学科に入学して3年通ったんですけど、必修を落としてしまって1回退学したんです。そこから1年間なにもしないニートみたいな時間があって、そのあと再入学者用の試験を受けた。
…(中略)…そして復学して、2年間通ったんですけど、その頃には仕事も忙しくなってきて、2度目の退学をしました。

※出典:https://gendai.media/articles/-/110770?page=3

 

その他の合格校や退学理由の詳細は以下の記事で語られています。
上記引用では2度目の退学は仕事が理由のようにも読めますが、単位不足による強制退学だったようです。

・産経ニュース2024年2月8日配信記事「「伸びる浪人3割」で焦り勉強12時間 2度退学で結局高卒 お笑いコンビ「ラランド」ニシダさん」
-https://www.sankei.com/article/20240208-XWXSR6QHVFJNDLX2XITDFFCNPU/

・Real Sound2025年1月31日配信記事「ラランド・ニシダ、小説『ただ君に幸あらんことを』変化していく家族カーストを描いた想い」
-https://realsound.jp/book/2025/01/post-1908773.html

※※※

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