壇蜜さんはその独特の色気を武器にバラエティやドラマなど芸能界の様々な分野で活躍していますが、
本格的な芸能界デビューはグラビアの仕事でした。
グラビアからテレビに進出する芸能人は多いですが、29歳でのグラビアデビューというのはかなり珍しいように思います。
そして、壇蜜さんは芸能界に入る前の経歴もかなり個性的だったよう。
芸能界でも異彩を放つ壇蜜さんの色気はどのように作られたのでしょうか。
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出身校(小学校~大学)
雑誌等にある壇蜜さんのプロフィールを見ると昭和女子大学卒業となっていますが、
昭和女子大学は幼稚園(こども園)から高校まで附属校を有しており、壇蜜さんも小学校から昭和女子大学の付属校に通っていました。
昭和女子大学およびその附属校は、幼稚園と小学校は男女共学で中学以降は女子校。
私立ですからそれなりに裕福な家庭の子供が集まるものの、極端な金持ちはいないそう。
生徒の雰囲気は派手過ぎず真面目過ぎず、といった感じのようです。
ブラタモリやあさイチでおなじみのNHKアナウンサー近江友里恵さんも同校出身ですが、
昭和女子の附属には芸能人の子供も多数通うといわれています。
壇蜜さんは
・小学校時代は内気でクラスになじめなかった
・中学時代に髪型をワンレングスにしたら「愛人」というあだ名をつけられた
・大学ではボストンに8か月留学し英語の教員免許も取得した
など昭和女子時代のエピソードを各所で語っていますが、
『「仕事の学校ナビ」壇蜜さんスペシャルインタビュー』によれば、
両親が娘を大学に進学させたいという強い思いから一貫教育の女子校に進学させてくれたものの、
壇蜜さん自身は「人生は目立たず人並みでいい」と目的を持てない学生生活を過ごしていたのだそうです。
調理学校→和菓子工房
そしてその気持ちは就職活動の時期になっても変わらず、
壇蜜さんは社会で働く自分を想像できずに「世間は私のような存在を認めてくれないだろう」と考えていたといいます。
そんな時、壇蜜さんの母親は、自身が知人とともに開業する予定だった和菓子屋で働くに調理師免許を取ることを薦めてくれたそう。
大学卒業後、壇蜜さんは調理の専門学校に進学し調理師免許を取得しました。
※wikipediaの服部栄養専門学校のページには卒業生として壇蜜さんの名前が挙がっています。
anのホームページに掲載された「壇蜜のいみじうあはれ 第6回」によれば、
料理がもともと好きだった壇蜜さんは、調理師は就職も引く手あまたと聞いていたこともあり「これが好きなことを仕事に」ということなのかもしれない、と思い込むようになったといいます。
専門学校卒業後、壇蜜さんは和菓子工房に就職。
そこで3年ほど働いていたそうですが、給料が生活できないほど安かったことや、配送車で事故を起こし廃車するなど職場に迷惑をかけることが複数あったことなどが重なり、壇蜜さんは和菓子工房を退職しました。
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葬儀業界
壇蜜さんが調理学校に入るきっかけは、母親と知人が和菓子屋を開業予定であったことでした。
にもかかわらず壇蜜さんが卒業後に和菓子工房に就職したのには事情があったよう。
先のanウェブサイト掲載の「壇蜜のいみじうあはれ 第6回」によれば、
調理学校卒業の2週間目に和菓子屋の話を持ち掛けてくれた人が突然亡くなったのです。
壇蜜さんは運命を恨むと同時に、「死」についても考えるようになったといいます。
それから約3年、和菓子工房を退職した壇蜜さんは、
「死がタブー視されている世の中を疑い、疑う前に内側を知りたい(2015年8月18日放送徹子の部屋(テレビ朝日系)より)」と葬儀の専門学校に進学しました。
※wikipediaによれば冠婚葬祭の専門学校「日本ヒューマンセレモニー専門学校」
壇蜜さんが目指したのは遺体衛生保全士(エンバーマー)という仕事。
これは、遺体の消毒や保全さらには損壊等がある場合に修復処理を行う仕事です。
壇蜜さんは専門学校で葬儀関連の資格とともに遺体衛生保全士の資格も取得しています。
葬儀の専門学校卒業後については
・葬儀社に就職したとするもの(「仕事の学校ナビ」壇蜜さんスペシャルインタビュー)
・エンバーマーでの採用がなく葬儀社への就職はあきらめたとするもの(an「壇蜜のいみじうあはれ 第7回」)
ありますが、
いずれにせよその後壇蜜さんは解剖学の授業を受け持っていた大学教授のツテで大学病院の研究室の助手となり、遺体の行政解剖や司法解剖の補助を通じて死と向き合う仕事をしていたようです。
ちなみに後に芸名となる「壇蜜」は仏教用語からきており、「壇」は仏壇、「蜜」はお供え物を意味するのだそう。
葬儀業界での経験がいかに彼女の人生に影響を与えたかがうかがえます。
芸能界デビュー
『「仕事の学校ナビ」壇蜜さんスペシャルインタビュー』によれば、
壇蜜さんが芸能界に入るきっかけは、葬儀専門学校時代に同級生の紹介でオーディションを受けたこと。
賞金がついていたことも貧乏学生にとっては大きかったようです。
wikipedia等に照らし合わせるとおそらくゲーム「龍が如く4 伝説を継ぐもの」のオーディション(2009年)でしょう。
大学卒業後に銀座のクラブでアルバイトをしていたことも活きたのか、壇蜜(当時は齋藤 支靜加(さいとう しずか))さんはこのゲームにキャバクラ嬢役で出演しています。
そして2010年には『週刊SPA!』の一般公募型グラビア企画でグラビアデビュー。
当初は本職は大学病院勤務で芸能はアルバイト程度に考えていましたが、芸能事務所からオファーを受けたこと等で、芸能活動に本腰を入れる選択肢も現実味を帯びてきました。
大学病院の上司に相談したところ、「戻れない方を選択したらいいんじゃなか」との答えが返ってきたそう。
こうして壇蜜さんは、一貫教育の女子大、銀座のクラブ、和菓子工房、葬儀業界、と他に類を見ない経歴を引っ提げて芸能界に飛び込みました。
個性派ぞろいの芸能界でも、壇蜜さんはオンリーワンの存在感を放っているように思いますが、それもこの特殊な経歴があってのことなのかもしれません。
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