木村多江の若い頃(画像有)~現在まとめ。


この記事では木村多江さんの若い頃から現在までの軌跡を当時の画像を交えながら紹介しています。

sponsored link

舞台女優からスタート

木村多江さんのwikipediaによれば、

1971年3月16日に生まれた木村多江さんはお嬢様学校として名高い白百合学園高校を卒業後、昭和音楽芸術学院ミュージカル学科に進学。

在学中の19歳から舞台女優として活動しました。

 

※舞台「美少女戦士セーラームーン」(1995年-1996年)出演時

 

父親の急逝

高校卒業後舞台女優として活動していた木村多江さんですが、彼女が21歳のときに父親が49歳の若さで急逝

朝日新聞デジタル2018年4月20日配信記事「「私が父を死なせた」自らを罵倒した日々…木村多江さん」(有料記事の冒頭無料部分)によれば、

木村多江さんの父親は海外を駆け回る営業マンであり当時は仕事上大事な時期だったそうですが、会食中に倒れ1週間後に息を引き取りました。

 

当時の木村多江さんは父親が倒れた原因の1つは自分が反対を押し切って女優業を始め心配をかけていたからではないか、と自分を責めたそう。

「芝居こそ唯一の罪滅ぼし」と仕事に没頭し、かなり自分を追い込んでいたようです。

「21歳の時、突然父が過労で亡くなって、生きる気力を失くしてしまったんです。娘の私が心配をかけたせいだと自分を責め、お芝居することが唯一の罪滅ぼしだと思ってひたすら仕事に打ち込んでいました。

※クロワッサンONLINE2018年3月19日配信記事「木村多江さんの素敵になる秘訣。「自分を許して、受け入れる」」

「絶対に自分を許さない、自分の芝居を許さない。ここで涙を流すんだったらここで涙を流す、1個前でも後でもダメとか、完璧にしないと許せない。いつも家に帰ると自分を罵倒して、『木村多江、クソ芝居しやがって』って、自分に厳しくしてました

※日刊スポーツ2018年4月9日配信記事「木村多江、父の死で罪悪感「自虐的行為に走って」」より引用

 

また、大黒柱を失った一家を支えるため女優業の傍らアルバイトを掛け持ちして家計を助けていたようです。

木村が21歳の時、父が49歳で急逝。弟はまだ学生。木村は駆け出しの女優で、朝から晩までバイトを3つ掛け持ちして家計を助けた。

「大変でしたね。当時弟はまだ学生ですから、お金もかかるし、大黒柱がなくなるってのは、金銭的にはつらいし。(父を)失って初めて、家族4人、何でもない暮らしが幸せだったんだ、って(気付いた)。

※デイリー2016年4月9日配信記事「木村多江 父急逝で21歳で家族背負う」より引用

 

映像作品に進出

Rakutenブックス掲載「著者インタビュー 木村多江さん」によれば、

木村多江さんは24歳の頃(1994年頃)にテレビの仕事も開始。

27歳頃にはアルバイトに頼らず女優1本で生活できるようになっていたようです。

高校卒業~24歳までは、テレビではなく舞台をずっとやっていたんです。アルバイトをしながら役者業に励んでいました。24歳からはテレビの仕事も始めたんですが、それでも27歳くらいまでは、断続的にですがアルバイトを続けていました。

※Rakutenブックス掲載「著者インタビュー 木村多江さん」より引用

 

まだ駆け出しの時期ですが、ネット上では当時の木村多江さんの画像を見ることができます。

※1997年:世にも奇妙な物語「女は死んでない」(フジテレビ)

 

※1998年:GTO(フジテレビ)

 

※1998年:踊る大捜査線THE MOVIE

 

ちなみに西川貴教さんのPVにも出演していました。

※2000年:魔弾~Der Freischutz~(登場は44秒あたりから)

 

「リング」シリーズでブレイク

木村多江さんの転機の1つは1999年のドラマ「リング〜最終章〜」「らせん」で物語の鍵を握る女性・山村貞子を演じたことでした。

sponsored link

“薄幸役が似合う女優”

「リング」シリーズ出演後、木村多江さんは数々の映画やドラマに出演。

リングで演じた山村貞子も(生前は)悲哀に満ちた人生を歩んでいましたが、

その後も2003年の医療ドラマ「白い巨塔」(フジテレビ)での若くして末期がんを患った製薬会社社員など、

不幸な役柄がことごとくハマることから「日本一薄幸女性が似合う女優」とも評されるようになりました。

 

※2003年:白い巨塔(フジテレビ)

 

結婚・出産

仕事では薄幸役がハマる木村多江さんですが、

プライベートでは木村多江さんは34歳だった2005年に大手広告代理店・電通の社員と結婚しています(wikipedia参照)。

2008年2月23日には第一子(長女)が誕生。

20代30代と仕事に没頭していた木村多江さんですが、現在は家庭に仕事を持ち込まず家族優先の生活を心がけているようです。

夫や子どもの前では決して女優の顔は見せないという。

「セリフは家族が寝てから覚えて、妄想するのも皆が留守のとき。私の最優先事項は、家族が笑っていること。家では仕事の話は一切しません

※クロワッサンONLINE2018年3月19日配信記事「木村多江さんの素敵になる秘訣。「自分を許して、受け入れる」」より引用

 

受賞歴等

木村多江さんは出産直後の2008年6月公開の映画「ぐるりのこと。」で自身初の主演を務めています。

同作品で木村多江さんは日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、高崎映画祭最優秀主演女優賞などを受賞(wikipedia参照)。

その他にも映画「ゼロの焦点」(2009年)「ユリゴコロ」(2017年)ドラマ「あなたには帰る家がある」(2018年)でも各種女優賞を受賞。

また、2010年にはCNNの「まだ世界的に名前は売れていないが、演技力のある日本の俳優7人」の1人に加瀬亮さんらと共に選ばれました(wikipedia参照)。

 

近年の作品

先のインタビューでは家庭最優先と話していた木村多江さんですが、女優としてのキャリアも着実に積み上げています。

2017年にはドラマ「ブラックリベンジ」(読売テレビ)で民放連続ドラマ初主演。

 

また、2019年のドラマ「あなたの番です」(日本テレビ)での怪演も話題となりました。

木村多江の記事を読む

木村多江の旦那電通鈴木文彦説を検証。離婚の噂はwikipedia発信?

木村多江の子供(娘)の幼稚園小学校がママ友から発覚。芸能人御用達のあの名門だった!?


関連記事はこちら

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る