高嶋ちさ子の父親の職業はビートルズ初代担当ディレクター。販促は反則上等だった?


歯に衣着せぬ物言いでタレントとしての存在感を増している高嶋ちさ子さん。

バラエティ番組等で見ることも多いですが、本業はバイオリニストです。

そしてそんな高嶋ちさ子さんの父親も音楽関係の仕事をしています。

高嶋ちさ子さんの父親・高嶋弘之さんは、音楽ディレクター。

かつては由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」など数々のヒット曲に携わり、現在は自ら音楽事務所を立ち上げてクラシック系アーティストを手掛けていますが、

特筆すべきはThe Beatles(ビートルズ)の日本における初代担当ディレクター・プロデューサーだったことでしょう。

その販促戦略の中には現在であれば確実に大問題になるようなものもあったようですが、ビートルズが早期に日本で受け入れられたのは高嶋弘之さんの尽力によるところが少なからずあるでしょう。

高嶋ちさ子さんの父・高嶋弘之さんはどのようにビートルズを日本に浸透させたのでしょうか。

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※参照

・EMIミュージックジャパンHP「ビートルズ来日時を知る初代ディレクター高嶋弘之氏に聞きました!」

・musicma-net「ヒットの法則はビートルズが教えてくれた ビートルズ初代担当ディレクター / プロデューサー 髙嶋弘之氏インタビュー」

・噺(HANASHI)「ビートルズを手掛けた仕掛け人が落語の世界へ」

・wikipedia 高嶋弘之

・wikipedia ビートルズ

高嶋ちさ子の父親の経歴

・高嶋弘之

1934年生まれ

1957年 早稲田大学第一文学部演劇専攻卒

1959年 東京芝浦電気(株)レコード事業部入社 洋楽ディレクター

1970年 (株)キャニオン・レコード取締役制作部長

1976年 同社退社

ポリグラム・グル―プ(現ユニバーサル)のチャペル・インターソング

(音楽出版社)社長に就任

1981年 (株)ロンドン・レコード(ポリグラム・グループ)代表取締役副社長

1984年 ポリドール(株) (現ユニバーサル)常務取締役制作・宣伝本部長

1986年 同社退社 (株)エイティーン設立

2005年 KTRrecordsを設立

2010年 ショパン協会国際連盟のワルシャワ会議で理事に就任。

2010年 ビートルズを演奏する1966カルテット(vn vn vc pf)をデビューさせる。

現在  髙嶋音楽事務所(株式会社エイティーン)代表取締役社長

※musicman-net「ヒットの法則はビートルズが教えてくれた ビートルズ初代担当ディレクター / プロデューサー 髙嶋弘之氏インタビュー」より引用

 

演出家志望→音楽ディレクター

音楽ディレクターとして名をはせた高嶋ちさ子さんの父親・高嶋弘之さんですが、もともとの夢は舞台や映画の演出家

中学2年の学芸会で演出に興味を持つと、高校大学は演劇部、早稲田大学在学中はフランス語の脚本を訳すためにフランス語の勉強し、卒業後は撮影所への就職を目指していたといいます。

しかし、その希望はかなわず、高嶋弘之さんは1959年に東京芝浦電気株式会社レコード事業部(現在のEMIジャパンミュージック)に入社。

そこで洋楽ディレクターとして社会人生活をスタートすることとなりました。

 

高嶋弘之さんがビートルズの担当になったのは1964年のことでした。

初めてビートルズの音楽を聴き、これは革新的な音楽だ、と感じた高嶋弘之さんは、さっそく仲の良い放送局員に聞いてもらうことに。

しかし、当時イギリスの音楽はアメリカでヒットしないと日本で売るのは難しく、ラジオ局でも「アメリカで売れていないから(※)」とその反応は芳しくなかったといいます。

※ただしwikipediaによればビートルズは1964年2月にはアメリカビルボードシングルチャート1位を獲得。

 

それでも自分が気に入ったものは世間に広めたい、とビートルズを日本に浸透させるために高嶋弘之さんは奔走します。

そしてその販売戦略には学生時代に演出家を目指して際の経験が大いに役立っていたようです。

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ビートルズの販促1:宣伝

無名のバンドを売り込むためには宣伝が不可欠ですが、当時の東芝では洋楽よりも邦楽の宣伝に力を入れていたため、高嶋弘之さんは自らビートルズを宣伝する方法を考えました。

 

まず目を付けたのは放送関係。

ラジオ等で頻繁に曲がかかるようになれば、ビートルズの認知度は確実に上がります。

そのために高嶋弘之さんは放送局に人脈を作り、ビートルズの曲をかけてもらえるように働きかけます。

また、放送局関係者にライナーノーツ(レコードに付属するバンドや楽曲の解説文)を書いてもらい、自分が担当した曲を放送に乗せたくなるように仕向ける、

放送局の萎縮を防ぐために有名音楽評論家にビートルズの魅力を認めさせる、

といった工作もしていたそう。

さらには、ラジオ局に自分の息のかかったアルバイトを送りこみ、リクエスト数を不正操作するなど、現代なら確実に問題になるようなこともしていたといいます。

 

また、学生にファンクラブを作らせる、試聴会で女の子に歓声を上げさせるなどしてビートルズ人気を演出したり、

東芝の若手社員達をビートルズと同じ髪型にした様子を週刊誌に取材させ「ビートルズカットがブーム」といった記事を書くように仕向ける

社員にビートルズの初期の衣装だった襟無しスーツに着せて宣伝する、

など様々な方法で世間の目を引く試みを実行していたようです。

 

ビートルズの販促2:邦題

また、高嶋弘之さんはタイトルは曲の最大のキャッチコピーであるとの考えの下、邦題(洋楽等の日本語版タイトル)づくりにも非常に力を入れており「邦題の魔術師」と呼ばれていました。

 

邦題をつける際、多くの場合外国語のタイトルをそのまま日本語に訳しますが、

高嶋弘之さんは原題に忠実な訳であることよりも、曲に対する聞き手のイメージを手助けできる邦題をつけることを重視していたそう。

具体的には、まず辞書を使わずに歌詞を自分の知っている言葉で適当に訳し、曲を聞いてひらめいたイメージと合わせてタイトルをつける、という方法をとっていたそうです。

例えば、例えばビートルズの“I Want To Hold Your Hand”の邦題「抱きしめたい」は高嶋弘之さんが命名したもの。

素直に訳せば「君と手をつなぎたい」ですが、ビートルズの革新的なサウンドを聞いて手をつなぐより先にある「抱きしめたい」にしたのだといいます。

 

こういった方法で邦題をつけると、時には誤訳のような邦題も生まれます。

有名なのはビートルズのアルバム「Rubber Soul」に収録された曲「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」。

これを高嶋弘之さんは曲の雰囲気等も踏まえて「ノルウェーの森」と訳しましたが、原題に忠実に訳せば「ノルウェー製の家具」や「ノルウェー産の木材」でしょう。

Wikilediaの同曲のページには、「ノルウェー産の木材」とするポールマッカートニーの解説が載っています。

もちろん、訳として正確でないからといって邦題としての評価が低いというわけではありません。

高嶋弘之さんがつけたキャッチ―な邦題が日本にビートルズを浸透させる一助になっていたのは間違いないでしょう。

 

外国の曲を日本に輸入する場合、曲作りの段階に口を出すことはできませんから、ディレクターよりもどのように売り出すかを考えるプロデューサー的な仕事が増えるのではないかと思います。

上記のような高嶋弘之さんの活動も、プロデューサー的な色彩が強いように思いますが、タイトルや宣伝によって作品の印象を変える手法は、高嶋弘之さんが学生時代に目指していた演出家に通じるところがあるのかもしれません。

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