高田万由子の実家高田商会の明治~現在まで。実家跡は虎ノ門タワーズオフィスに。


タレントの高田万由子さん。

1993年にバイオリニストの葉加瀬太郎さんと結婚(婿養子)すると二人の間には

同年7月に第一子となる長女向日葵(ひまり)さん、

2006年8月に第二子となる長男・万太郎さん、が誕生しています。

 

2019年8月16日放送の「ぴったんこカン・カン」(TBS系)では高田万由子さん一家の様子が紹介されていましたが、

長男の万太郎くんはまだ13歳にもかかわらずフィッシュ&チップスのキッチンカーのビジネスを手掛けているそう。

それに対して安住紳一郎さんは、「“高田商会”のDNA」とコメントしていました。

 

この「高田商会」というのは、明治時代に高田万由子さんの高祖父が立ち上げた事業です。

高田商会は海軍省の御用達企業であり明治三大貿易商の1つ。高田商会をもとにして出来上がった高田財閥は、三井三菱に次ぐ大企業といわれていました。

そして高田家も都心の一等地に豪邸を持つなど非常に裕福になったよう。

高田万由子さんも幼少期には時価200億円ともいわれる豪邸に住んでいたそうです。

この記事では、高田万由子さんの実家の事業・高田商会の創業から現在まで、そして高田万由子さんが幼少期に住んでいた豪邸の現在の姿をまとめています。

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明治の大商社・高田商会

高田商会のWikipediaページによれば、

高田万由子さんの高祖父・高田慎蔵氏は、1877年(明治10年)にドイツ人マルティン・ミカエル・ベア氏が設立したベア商会の番頭を務めていました。

しかし1880年(明治13年)、外商による貿易独占状態改善のために、政府機関が外国製品調達の際には邦人による貿易会社(内商)を優遇する旨の内達が出されたことで、兵器商社として政府機関を主な取引先としてたベア商会も廃業に追い込まれます。

そのため高田慎蔵氏は1881年(明治14年)、ベア商会のイギリス人ジェームス・スコットおよびアーレンス商会の主H・アーレンス氏の3人で出資し高田商会を設立

ベア商会の商権を買い取り、内商であることを明確にするために高田慎蔵氏を名義人として高田商会はスタートしました。

また、サイト『近現代・系図ワールド』の「系図で見る近現代 第44回」によれば、

高田商会の前身のベア商会を設立したベア氏は、自身の娘・照子(母親は日本人)を高田慎蔵氏の養子にしたのちドイツに帰国しています。

 

こういった経緯を見ると、当時の高田商会の実態が内商といえるのかにはやや疑問も残りますが、

それはともかく兵器商社だったベア商会の商権を引き継いだ高田商会は日清戦争で巨額の利益を上げ、

アメリカのウエスティングハウス社やイギリスのアームストロング・ホイットワース社の日本代理店に指定されたことを契機に、兵器、車両、船舶、各種機械等も取り扱う総合商社として発展し、明治三大貿易商といわれるまでに。

鉱山業等の傘下事業は株式会社化され、高田財閥を築きました。

先の『近現代・系図ワールド』の「系図で見る近現代 第44回」によれば、

高田慎蔵氏は海軍省の御用を受けており、高田財閥は三井三菱等に次ぐ大企業と評されていたようです。

 

経営破綻から現在まで

創業者高田慎蔵氏のもと着実に事業を拡充してきた高田商事ですが、

慎蔵氏の息子(婿養子)高田釜吉氏が2代目経営者を務めていた1925年(大正14年)に経営破綻しています。

『近現代・系図ワールド』の「系図で見る近現代 第44回」によれば、

「…(略)…高田商会が破綻した。高田商会は海軍に物資を調達する会社で有名な老舗だった。直接の原因は内閣が更迭したため海軍が出すはずだった金を出さなくなったことにあった…(略)…」(日本新聞社編纂「私の履歴書・経済人8」より)

とのことですが、

1923年(大正12年)に基幹鉱山の工場が全焼したこと、関東大震災で在庫が焼失したこと、輸入物資が円相場急騰により暴落したこと、復興をにらんで秩父の山林を買い占めたが海外から安い木材が大量に流入して大赤字になったこと、などが重なってのことだったようです。

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こうして高田商会は1925年(大正14年)2月に経営破綻し整理会社となりましたが、同年8月に新会社の株式会社高田商會(第二次高田商会)が設立されて営業を開始。

株式会社高田商会(後述の第三次高田商会)のHPには、

本来の輸入業務の他に、国内メーカーと提携し優良機器の国産化をすすめ国内販売と共に輸出業務にも進出

とあります。

この第二次高田商会も1963年(昭和38年)に大株主だった日綿実業株式会社(現ニチメン株式会社)と合併しますが、

合併に先立ち高田商会関係者が株式会社高田商会(第三次高田商会)を設立しており、この会社は産業機械を取り扱う商社として続いているようです。

 

また、2016年5月3日放送の「解決! ナイナイアンサー」(日本テレビ系)では、

高田万由子さんの父親(高田祐一)は「自動車輸入会社を経営して成功した実業家」と紹介されていましたが、

これは「UNION・高田商会」というようです。

(第三次)高田商会の一事業だったのか、独立した会社だったのかは不明ですが、「UNION・高田商会」は現在は稼働していないようで(2004年に高田祐一さんが亡くなったため?)店舗やそのHP等も見当たらず、株式会社高田商会のHP内にも自動車輸入業の記載はありません。

 

ちなみに株式会社高田商会HPを見る限り、2015年時点の同社の役員に高田性の人間はいないようです。

高田家は代々男の子に恵まれず、婿養子をとったり、娘が嫁ぎ先で産んだ子供を養子をとったりしていたようですが、

高田万由子さんと結婚し婿養子として高田家に入った葉加瀬太郎さんも、世界的バイオリニストでなければここに名前を連ねていたのでしょうか?

 

※高田商会の歴史(明治~現在)まとめ

1877年:ドイツ人がベア商会設立、高田慎蔵が番頭を務める

1880年:政府の内商優遇

1881年:高田慎蔵と外国人2名の出資で高田商会設立・ベア商会の商権引継ぎ。後の明治三大貿易商。

1925年:経営破綻。株式会社高田商會(第二次高田商会)設立。

1963年:日綿実業株式会社と合併。株式会社高田商会(第三次高田商会)設立。現在も存続。

時期不明:高田祐一が「UNION・高田商会」を経営、現在は稼働せず?

 

一等地在住名門校在籍

このように高田万由子さんの実家の事業高田商会は、明治期には三代貿易商の1つに数えられた老舗商社です。

そんな名家に生まれた高田万由子さんは、幼稚園御三家の1つである愛育幼稚園からお嬢様校として有名な白百合学園小学校に入学。

そのまま白百合学園中学高校と内部進学し、高校時代には世界で最も高額な教育機関といわれ世界中の上流階級が集まるスイスのル・ロゼ学院に留学。

帰国後はなんと東京大学に進学しています。

東大合格はもちろん本人の努力の賜物ですが、名家の娘らしく幼少期から教育にお金をかけてもらっていたことがうかがえます。

 

また、高田万由子さんの祖母は虎ノ門に時価200億円ともいわれる邸宅を所有していました。

『近現代・系図ワールド』の「系図で見る近現代 第44回」によれば、

敷地数百坪、大正時代に建てられたという建物は総床面積二百坪の和洋折衷の豪邸。

高田万由子さんも一時期ここに住んでいました。

しかし、この建物は2002年に取り壊されたそうで、

現在はソニーピクチャーズなども入居するオフィスビル・虎ノ門タワーズオフィスが建っています。

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