この記事では、ジャニーズWESTの中間淳太さんの学歴(小学校~大学)を紹介します。
大卒ジャニーズは珍しくありませんが、中間淳太さんの学歴は芸能界でも唯一なのではないか、というほど珍しいものでした。
小学校は中華学校
中間淳太さんは1994年に小学校に入学しています。
Wikipediaによれば、中間淳太さんは台湾人の父親と日本人の母親を持つハーフ。
小学校は父親の意向で中華学校に入学しました。
中華学校とは華僑の子供達のために日本に作られた学校のこと。
イメージとしては中国系インターナショナルスクールです。
もともとは華僑の子供のための教育機関でしたが、
米国系インターと同様、近年は語学教育への需要等から純日本人の入学も増えているそうで、
斉藤由貴さんの子供も中華学校に通っていたといわれています【詳細を見る】。
米国系インターに比べて日本国内の中華学校はそれほど多くありません。
Wikipediaによれば日本における中華学校は、
・中華人民共和国系
→横浜山手中華学校
→神戸中華同文学校
・中華民国・台湾系
→横浜中華学院
→東京中華学校
→大阪中華学校
の5つのみ。
中間淳太さんが兵庫県神戸市出身であることを踏まえると、
神戸中華同文学校の可能性が高いでしょうか。
父親のルーツが台湾にあること考えると、大阪中華学校の可能性もありそうですが…
英語中国語を習得
Wikipediaによれば、
中華学校に通っていた中間淳太さんは、小学校3年生の頃には中国語を習得していたそう。
また、幼少期から英語も習っていたようです。
その語学力はテレビ番組等でもたびたび披露されています。
2018年12月6日放送の「「ヒルナンデス!」」(日本テレビ)内の企画で新宿観光案内所のスタッフを体験した際には、中国語と英語を駆使して見事に仕事をこなしていました。
台湾日本人学校に転校
Wikipediaによれば、中間淳太さんは小学校4年生のときに父親の仕事の都合で台湾に引っ越し、現地日本人学校に転校しています。
公益財団法人日本台湾交流協会HPによれば、
台湾にある日本人学校は、
・台北日本人学校
・台中日本人学校
・高雄日本人学校
の3校。
中間淳太さんもこのいずれかに通っていたのでしょう。
各校のサイトを見る限り、生徒数は台北日本人学校が圧倒的に多いようです。
中学校は台湾日本人学校
中間淳太さんは2000年4月に中学校に入学しています。
Wikipediaによれば、小学校4年生で台湾に引っ越した中間淳太さんは、中学入学後も引き続き台湾で生活していたよう。
・台北日本人学校
・台中日本人学校
・高雄日本人学校
はいずれも小学部と中学部を有していますから、中間淳太さんもそのまま中学部に進学したのでしょう。
高校入学直前にジャニーズ入り
Myojo2015年4月号で、中間淳太さんはジャニーズ入りの経緯を語っています。
それによると、
きっかけとなったのは母親が見つけてきたKinki Kids台湾コンサートに出演する台湾Jr.の募集。
※wikipedia等によれば2011年5月(中学2年時)開催公演の台湾Jr.。
これに合格し1曲ですがコンサートに参加できたこと、さらにジャニー喜多川さんから直々に「日本に帰ったら連絡して」と声を掛けられたことで、
それまで芸能界に興味のなかった中間淳太さんはビデオをみながらダンスを完コピするほどジャニーズに興味を持つようになりました。
台湾Jr.に選ばれたからと言ってジャニーズの一員になるわけではありませんが、
関西の高校を受験するたに帰国した際にジャニー喜多川さんに連絡したところ、関西ジャニーズJr.に所属することが決定。
高校の合格発表の前に手越祐也さんらと共に雑誌にも掲載されています。
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高校は関西学院高等部
台湾から帰国した中間淳太さんは、2003年4月に高校に進学しました。
進学先といわれるのは関西学院高等部。
サイト「みんなの高校情報」の同校出身の有名人のページにも中間淳太さんの名前があります。
「レベルを落とせ」から発奮
サイト「みんなの高校情報」によれば、関西学院高等部の偏差値は65となかなかの難易度です。
しかしMyojo2015年4月号によれば、
中間淳太さんはもともと勉強が大の苦手で、「テストの平均は5点」だったそう。
中学3年生のときに中学校の担任に志望校を伝えたところ無理だからレベルを落とせ、と告げられたといいます。
しかし、逆に火が付いた中間淳太さんはそこから猛勉強を開始し、見事関西学院高等部に合格。
担任に合格を報告するとともに、自身が関西Jr.として載った雑誌を見せつけたそうです。
高校時代の芸能活動
中間淳太さんの関西ジャニーズJr.加入は高校入学とほぼ同時でしたが、
Myojo2015年4月号によれば、当初はなかなかなじむことができずに苦労したそう。
台湾時代の友達はみな東京出身だったこともあり、なにかにつけて笑いを求めてくる関西のノリにも苦労したといいます。
しかし、関西Jr.内でのポジション自体は良かったようで、
高校2年生だった2004年12月には、関西ジャニーズJr.内のユニットB.A.D.のメンバーに抜擢されています。
大学は関西学院大学
中間淳太さんは2006年4月に内部進学で関西学院大学社会学部社会学科に進学しました。
中日スポーツ2020年3月26日に掲載された「大学・大学院を卒業したジャニーズタレント一覧」にも、
中間淳太さんが2010年に関西学院大学社会学部社会学科を卒業した旨の記載があります。
卒論も芸能界向け?
下のツイートによれば卒業論文のタイトルは「遊園地経営成功のカギ -TDLから学ぶ、遊園地に必要なもの」です。
芸能活動にも通じるエンタメビジネスの研究をしていたのでしょうか。
中間淳太 卒論
【遊園地経営成功のカギ -TDLから学ぶ、遊園地に必要なもの-】#ジャニーズWEST#中間淳太 pic.twitter.com/8bFkYlqN5r— みぃ* (@jasmine_sevencl) September 22, 2016
ジャニーズか就職か
中間淳太さんはオーディションを勝ち抜き、大学3年生だった2008年にドラマ「ごくせん」に出演しています。
しかし、Myojo2015年4月号によれば、
大学3年生だった当時、
大学の友人たちが次々と就職を決めていく中で就職活動すらしていない自分の状況に「このままでいいのか?やめるなら今なんじゃないか?」という迷いもあったといいます。
そんな最中、ある人と大喧嘩をした際に言われた「お前は絶対デビューできない」の一言。
全てが嫌になった中間淳太さんは、ジャニー喜多川さんに電話で辞めることを伝えました。
しかし、ジャニーさんは「デビューを決めるのは僕、見ている人は見ている」と熱心に引き留めてくれたそう。
加えて、どんな道を選んでも応援すると書かれたファンレターにも後押しされ、、中間淳太さんはジャニーズを続けることを決意しました。
当初父親はこれに反対しており、祖父は自身の会社を継いでほしいとも考えていたそうですが、最終的には中間淳太さんの意思を尊重してくれたそう。
中間淳太さんは2010年3月に関西学院大学社会学部社会学科を卒業し、その後もジャニーズとして活動を続けることとなりました。
その後も関西Jr.での下積みが続きますが大学卒業から約4年後の2014年4月、中間淳太さんはジャニーズWESTの一員としてCDデビュー。
2016年4月には人気情報バラエティ番組「ヒルナンデス!」のレギュラー選ばれています。
同番組2018年12月6日放送回内で新宿観光案内所のスタッフを体験した際には、
幼少期から培ってきた中国語と英語を駆使して見事に仕事をこなすなど、その語学力の高さも武器にして活躍の場を広げています。
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