- 2021-1-26
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この記事では、俳優中井貴一さんの家族について紹介しています。
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本人:中井貴一
wikipediaによると、
中井貴一さんは1961年生まれ。
成蹊大学経済学部時代に映画監督の松林宗恵さんにスカウトされて1981年公開の映画「連合艦隊」でデビューし、同作品で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。
1983年の主演ドラマ「ふぞろいの林檎たち」(TBS)は約15年にわたって4シリーズが製作される人気作品となり、中井貴一さん自身も広く知られる俳優に。
1988年にはNHK大河ドラマ「武田信玄」での主演を果たし、40%近い平均視聴率と歴代2位の49.2%の瞬間最高視聴率を記録しました。
中井貴一さんはその後も数多くのドラマ映画に出演し、1994年の映画「四十七人の刺客」での日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞、2003年の映画「壬生義士伝」での日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞など数々の賞を受賞するトップレベルの俳優として現在も活躍し続けています。
嫁・子供
中井貴一さんは2000年に6歳年下の一般人女性と結婚しています。
CINEMATOPICS2000年5月16日配信記事「中井貴一さん結婚」には
俳優の中井貴一さん(38)が15日、都内のホテルで会見し、結婚することを発表しました。
と書かれています。
また同記事にはお相手についての情報も掲載されていました。
相手は友人を通して知り合ったスポーツ用品メーカーに勤務する吉谷麻友子さん(32)今秋には、中井さんが親善大使を努めている米国オレゴン州で挙式希望している。
ビジネス系SNSLinkedinには同名の方のアカウントがあり、2016年よりゴルフウェアブランド「キャロウェイアパレル」のエグゼクティブアシスタントをしている旨書かれていますが同一人物でしょうか?
二人は結婚20年を迎えていますが、子供はいないようです。
父:佐田啓二
中井貴一さんの父親は俳優の佐田啓二さんです。
Wikipediaによれば、
佐田啓二(本名:中井 寛一)さんは1926年生まれ。
早稲田大学政治経済学部在学中に人気俳優・佐野周二さんの家に下宿していた縁で1946年(20歳頃)に松竹大船撮影所に入社しました。
1947年に映画「不死鳥」で田中絹代さんの相手役を、映画「鐘の鳴る丘」で主人公を演じたことで人気俳優となり、1953年の映画「君の名は」で名実ともにトップスターに。
その後も1956年の映画「あなた買います」では毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の主演男優賞をするなど活躍を続け、高橋貞二さん鶴田浩二さんと共に「松竹戦後の三羽烏」と呼ばれました。
またプライベートでは1957年2月に10年の交際を経て結婚。
お相手は松竹大船撮影所の前にあったレストラン「月ヶ瀬」の看板娘だった杉戸益子さんです。
結婚と同年の1957年11月に長女の中井貴惠さん、1961年9月には長男の中井貴一さんが誕生しますが、
1964年、佐田啓二さんは交通事故に遭い37歳の若さで亡くなりました。
佐田啓二さんが亡くなった当時中井貴一さんはまだ2歳。
生前の記憶はほぼないのではないかと思いますが、中井貴一さんはインタビューで以下のように語っています。
親父が亡くなったときはまだ2歳ですから、直接的に影響を受けたことはないですね。でも、生きて教えてくれることよりも親父は死をもって僕に教えてくれたことがすごくたくさんある、というのは成長過程の中で思いました、特に仕事を始めてからは。
※FASHIONBOX#TAKARAJIMA2020年2月20日配信記事「中井貴一「亡き父に背中を蹴られ俳優に」 映画や舞台で活躍するベテランが、若い頃のエピソードも明かしたロングインタビュー」より引用
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母:中井益子(旧姓:杉戸益子)
中井貴一さんの母・中井益子さんは佐田啓二さんより3歳年下。
先述の通り松竹大船撮影所前のレストラン「月ヶ瀬」の看板娘でした。
佐田啓二さんと10年会の交際の末結婚し、1957年11月に長女の中井貴惠さん、1961年9月には長男の中井貴一が誕生。
1964年に夫佐田啓二さんが亡くなった後は貯金を切り崩しながら女手一つで子供たちを育てました。
その教育はかなり厳しかったようで、中井貴一さんは2018年1月10日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)で母親について以下のように語っています。
「本当に厳しい母でした。DVまではいかないけど、手の早い母だった。170センチあったから手も長くて、姉も僕も食事の時も常に(叩かれないよう)臨戦態勢でした」と中井。「父の分もという(育児への)意識が強かったのでしょう」
※参照記事2(後述)より引用
また、中井貴一さんが2世俳優といわれることに嫌気がさし自力でデビューしたかのような態度をとった際には
「あんたが佐田啓二の息子って言われるのは当たり前だ。勘違いするな!」
と叱責したそう。
先述の2018年放送の徹子の部屋で中井貴一さんは以下のように語っていました。
「今、やってきて、自分なんかが俳優やっていられるのは、オヤジとオフクロのおかげなんだろうと思います。自分の実力なんて1くらいで、オヤジが遺してくれたものが、ほとんどを占めているんじゃないかと思います
※参照記事2(後述)より引用
中井益子さんは2016年2月に87歳で亡くなっています。
※参照記事
1.FNNプライムオンライン2019年9月12日配信記事「「最後に1回だけ頭をなでてほしい」中井貴一を女手一つで厳しく育てた亡き母との思い出を初告白」
2.スポーツ報知2018年1月10日配信記事「中井貴一、2年前死去の母の教え「佐田啓二という名前は、そんなに軽いものじゃない」」
姉:中井貴惠
中井貴惠さんのオフィシャルサイトおよびWikipediaによれば、
中井貴一さんの姉・中井貴惠(なかい きえ)さんは1957年生まれ。
父・佐田啓二さんが交通事故で亡くなった時は6歳でした。
早稲田大学文学部在学中だった1978年に映画「女王蜂」のヒロイン役でデビューし数々の新人賞を受賞。
1982年には映画「制覇」で日本アカデミー賞助演女優賞を受賞しています。
1987年に結婚すると2人の子供が誕生。
結婚を機に女優業を休業しアメリカはニューハンプシャー州へ渡りましたが、現在は東京に住んでいます。
また近年は朗読に注力しており、1998年に結成した「大人と子供のための読みきかせの会」が行った学校や小児病棟での公演は1450回以上。
2006年には朗読と音楽を合体させた公演「音語り」もスタートしました。
2013年には「絵本の里」として知られる北海道上川郡剣淵町を舞台にした映画「じんじん」に出演していますが、
シネマトゥデイ2013年5月20日配信記事「中井貴恵、約28年ぶりに映画復帰!企画・主演の大地康雄に口説かれ快諾!」によれば、
これは同映画の企画・主演を務める大地康雄さんが中井貴惠さんの朗読会に感動し「この役は絵本に理解と愛情のある方でないと」と直談判したことで実現したのだそうです。
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