中島みゆきの名曲『時代』の歌詞の意味に秘められた過酷な経験とは?


歌手の中島みゆきさん。名曲「時代」の誕生の陰には過酷な経験があったようです。

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基本情報

名前           中島みゆき

生年月日     1952年2月23日

年齢           63歳(2015年3月時点)

出身地        北海道札幌市

学歴           藤女子大学 文学部国文学科 卒

職業           シンガーソングライター、ラジオパーソナリティ

活動期間     1975年

主な活動

・シングル

1975年『アザミ嬢のララバイ』

1975年『時代』

1994年『空と君のあいだに/ファイト!』

1994年『旅人のうた』

1998年『命の別名/糸』

2000年『地上の星』

2003年『銀の龍の背に乗って』

20014年『麦の唄』

アルバム

1976年『私の声が聞こえますか』

1982年『寒水魚』

1986年『36.5℃』

1992年『EAST ASIA』

1996年『大吟醸』(ベストアルバム)

2002年『Single2000』(ベストアルバム)

 

歌手生活はなんと40年

歌手の中島みゆきさん。

『連続テレビ小説 マッサン』(NHK)の主題歌『麦の唄』も絶好調ですが

今回は過去の名曲にスポットを当ててみたいと思います。

 

中島みゆきさんのデビューは1975年

歌手生活40年の超ベテランの女性シンガーソングライターです。

40年間でリリースした作品はなんとシングル44作、オリジナルアルバム40作

単純に計算すれば毎年1枚はシングル、アルバムをリリースしていることになりますね。

さらには他のアーティストへの歌詞・楽曲の提供も行っています。

ここ数年でも

2003年に柴咲コウさんへ『思い出だけではつらすぎる』

2007年にTOKIOに『宙船』

2014年にはなんと人気アイドルグループももいろクローバーZに『泣いてもいいんだよ』

をそれぞれ提供しています。

本人が歌うバージョンもありますので聞き比べてみるとおもしろいかもしれませんね。

 

中島みゆきさんの楽曲の中でも特に人気なのが「時代」と「糸」でしょう。

曲の良さもさることながら深みのある歌詞に思わず引き込まれてしましますよね。

「糸」についてはほかの記事で書くとして

この記事では「時代」の誕生秘話について書いていきたいと思います。

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名曲『時代』に秘められた過酷な誕生秘話

“今はこんなに悲しくて

涙も枯れ果てて

もう二度と笑顔には

なれそうもないけど・・・”

 

こんな絶望感の漂うな歌詞から始まる中島みゆきさんの名曲『時代』。

この曲の誕生には中島みゆきさんが経験した壮絶なエピソードが隠れてるようです。。

 

中島みゆきさんの父・眞一郎さんは産婦人科の開業医。

『赤ひげ先生』と呼ばれ貧しい患者さんも診察する立派な方だったようです。

しかし、そんな父・眞一郎さんは1975年9月16日、脳溢血で倒れこん睡状態に陥ってしまいます。

中島みゆきさんは9日後にデビューを、

10月には『第10回ポピュラーソングコンテスト』(通称ポプコン)を控えた大事な時。

結局10月のポプコンまで父親の意識は戻らず、

中島みゆきさんは病室から会場へ向かいました。

 

そこで披露された曲が「時代」。

当初は別の曲を歌う予定でしたが急きょ変更したといわれています。

父が倒れ、医師に「覚悟してほしい」とまで言われたことで

人生について深く考えたのでしょう。

この壮絶な経験が40年近く経っても色あせない名曲『時代』を生み出したようです。

 

「時代」は歌いだしこそ絶望感を感じさせるものですが

その後は

“「そんな時代もあったね」と

いつか話せる日が来るわ”

と前向きな歌詞に変化します。

そして、

“今日は別れた恋人たちも

生まれ変わってめぐりあうよ”

“今日は倒れた旅人たちも

生まれ変わって歩き出すよ”

と父との死別を覚悟し受け入れたかのような歌詞が続きます。

 

この曲を作った当時中島みゆきさんは23歳

その若さで諸行無常や輪廻といった古来から論じられてきたテーマをたった1曲の歌詞として表現しきった才能は恐るべきものです。

 

しかし、ただ才能があるだけではこれほどの歌詞を書くことはできないでしょう。

才能のある人が避けられない父親の死と向き合うことではじめて誕生した名曲だと思います。

曲が誕生した背景を見ると、また違った一面が見えてきますね。

 

次の記事では中島みゆきさんのもう一つの名曲『糸』の歌詞の意味について書いていきたいと思います。

 

※2016年7月27日追記

読者の方からご指摘をうけて調べなおしました。

 

本文で紹介した「“時代”は父親の死を覚悟したことをきっかけに作った」という説は

サンデー毎日1977年11月20日号「編集長のカバー・インタビュー~中島みゆき」に

「私の父は北海道で産婦人科の医師でした。弟がひとりいます。

その父が脳溢血で倒れまして、『時代』はそのとき作りました。

その『時代』で75年のポプコンでグランプリをもらいました。

これ、ほんとにタナボタで、賞金150万円。そしたらまもなく父が亡くなりました」

―お父さんの死を予感していたわけですか。

「そんなこともないんですけど、結果的にはそうなりました」

という記述があったことがきっかけのようです。

参照:http://ameblo.jp/et5652/entry-11871664544.html

 

他方で、http://miyuki-lab.jp/about/diary/2009/09.shtmlによれば

月刊カドカワ1991年11月号「総力特集・中島みゆき」に

「時代」?いや、あの歌を作った時には父はまだ生きてましたよ。元気だったよ。

だってホラ、最初のポプコンの「傷ついた翼」で入賞したのが5月だっけ?

その時にはもう次の大会の曲は出してるわけ。

てことは5月より前に「時代」を書いてるんだけど、父親が倒れたのはポプコンのあとの9月ですもん。

私があの歌をギターで自分ちでもってウンタラウンタラ書いてた時には、元気で走り回ってましたもん(笑)。

だから、それはどっかから生まれた神話でしょう。

あとから見るとそういうことがドラマ性を盛り上げているっていうだけのことじゃないですか?

という記述があったとのこと。

また、同サイトには、

第1次予選にあたる釧路・帯広地区大会(1975年7月29日開催)から『時代』でエントリーしていたことが、

当時のプログラムなどから確認できている

とも書かれています。

中島みゆきさんの父親が倒れたとされるのは1975年9月。

私が直接プログラムを確認したわけではありませんが

プログラムの件が真実であるとすれば記事で紹介した

「時代は父親が倒れ死を覚悟したことをきっかけに作られた」

というのは誤りということになりそうです。


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