小泉進次郎と兄弟(三男)宮本佳長の生き別れ~兄弟仲改善までの25年。


2019年8月に滝川クリステルさんとの結婚を発表した小泉進次郎さん。

兄で俳優の小泉孝太郎さんよりも先に家庭を持つことになりましたが、実は兄弟間で結婚一番乗りというわけではありません。

実は小泉進次郎さんには弟(三男)がいます。

しかし、進次郎さんは30歳近くになるまでこの弟とあったことはありませんでした。

小泉進次郎さんの生き別れの弟とはどんな人物なのでしょうか。

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※参照

・小泉純一郎さんのwikipediaページ

・女性セブン2014年2月20日号(NEWSポストセブン2014年2月7日配信記事)「小泉純一郎氏 絶縁状態だった三男の結婚式に出席、出席者涙」

・女性セブン2016年3月17日号(NEWSポストセブン2016年3月4日配信記事)「波乱の人生送った小泉元総理の元妻 講演後に感動で泣く人も」

・J-CASTニュース2016年3月5日配信「小泉純一郎氏の元妻、33年の沈黙破る 「生き別れ」進次郎氏らへの思い、女性誌に明かす」

 

離婚で兄弟は離別

小泉進次郎さんの父・小泉純一郎さんは1977年にお見合いをしています。

お相手の宮本佳代子さんはエスエス製薬元会長泰道照山氏の孫。

当時30代半ばの衆議院議員だった小泉純一郎さんに対し、宮本佳代子さんはまだ青山学院大学在学中(4年生)でしたが、

よほど好感触だったのか小泉純一郎さんはお見合い当日にプロポーズしたのだそうです。

 

宮本佳代子さんの祖父泰道照山氏はこの結婚に反対していましたが、それを押し切って二人は1978年に結婚し、

結婚と同じ1978年7月(!)に長男の小泉孝太郎さん、

3年後の1981年4月に次男の小泉進次郎さんが誕生しました。

 

しかし、家庭生活は長くは続かず、小泉純一郎さんと宮本佳代子さんは1982年に離婚

当時小泉家の実権を握っていた小泉純一郎さんの姉と、宮本佳代子さんの関係がうまくいかなかったとこが一因だといわれています。

 

長男の小泉孝太郎さん、次男の小泉進次郎さんは小泉家に引き取られることとなりましたが、離婚当時宮本佳代子さんは第三子を妊娠中でした。

宮本佳代子さんは実家のある神奈川県鎌倉市に戻ると、翌1983年に三男宮本佳長さんを出産。

宮本佳代子さんは当時を振り「胎教としては最悪な状況だった」「一番辛くて悲しい時期で、一生分の涙を流した気がする」と語っています。

 

佐野眞一著『小泉政権―非情の歳月』(文藝春秋)によると、

三男誕生後小泉純一郎さん側はその親権を主張したようです。

しかし、家庭裁判所で調停が行われた結果、三男は宮本佳代子さんが引き取ることに。

こうして小泉家の3人の子供たちは

父方:小泉孝太郎さん(長男)、小泉進次郎さん(次男)

母方:宮本佳長さん(三男)

と別れて暮らすこととなりました。

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離婚後の生活

離婚後小泉純一郎さんは政治家として着実にキャリアを重ねていき、最終的には内閣総理大臣にまで上り詰めました。

また、小泉家に残った長男・小泉孝太郎さんと次男・小泉進次郎さんは、それぞれ俳優、政治家(父親の後継者)として活動中でありメディアにも登場しています。

 

他方で、小泉純一郎さんと離婚した宮本佳代子さんは、出産から半年ほどで三井不動産グループの会社に入社しました。

その後着実にキャリアを重ねていったようで、ビジネス系SNS「Eight」の個人ページにある現在の肩書は、

「三井不動産リアルティ株式会社 コンサルティング営業本部 営業一部 営業グループ 上席アドバイザー」となっています。

また、宮本佳代子さんに引き取った三男・宮本佳長さんは、

中学卒業後にアメリカ・テネシー州の高校に留学し、帰国後は京都の私立大学に入学。卒業後は母親と同じ不動産業界に勤めているようです。

 

25年越しの兄弟対面

小泉家に引き取られた次男の小泉進次郎さんは、伯母のことを「ママ」と慕っていました【詳細はこちら】

離婚当時4歳だった長男の小泉孝太郎さんは「ママ」が実の母親ではないと気づいていましたが、

離婚当時1歳だった小泉進次郎さんは「ママ」が生みの親であると信じていたようです。

小泉進次郎さんが母宮本佳代子さんの存在を知ったのは、父親から明かされた中学2年生の時

おそらく弟(三男)がいることもこの時知らされたのでしょう。

 

対して三男の宮本佳長さんは、母宮本佳代子さんから

「父親が有名でも、あなたとは関係ない。あなたの母はいちサラリーマン。勘違いしないで生きていきなさい」(雑誌「いきいき」2016年4月号より引用)

と言い聞かせられながら育ってきたといいます。

しかし、父親が大物政治家であることによる思い上がりを防ぐことができても、一度もあったことのない父親に対する興味までは止めることはできません。

佐野眞一著『小泉政権―非情の歳月』(文藝春秋)によれば、

宮本佳長さんは小泉純一郎さんの事務所に電話をし、「父親と二人きりで会いたい」と涙ながらに訴えたことがあったそう。

しかし、それを知った小泉純一郎さんの姉・信子さんは「血はつながっているけど親子関係はない」と冷淡に言い放ち、両者が会うことはかないませんでした。

結局、1982年の離婚から25年以上、小泉家と宮本家が交流を持つことはなかったようです。

 

しかし、2008年に小泉純一郎さんが政界を引退し、次男の小泉進次郎さんがその後継者となったことで事態は動き出します。

引退の際、小泉純一郎さんは進次郎さんに対して、

「家のことは任せた、お前たち3人は兄弟だから仲良くすればいい」

と告げたそう。

小泉進次郎さんはこの時初めて宮本佳長さんに連絡を取り、その後は長男・小泉孝太郎さんも含めて兄弟3人で会うようになりました。

また、2013年に行われた宮本佳長さんの結婚式には兄弟だけでなく、父親小泉純一郎さんも出席するなど、小泉進次郎さんの連絡がきっかけで小泉家と三男との関係は多少なりとも近くなったようです。

小泉家の記事を読む

→小泉孝太郎の母親宮本佳代子の離婚理由が恐ろしい。末弟宮本佳長がきっかけで再会?

→小泉孝太郎の兄弟(三男)宮本佳長の悲しいエピソード。兄弟仲良しになるまでの30年。

→小泉孝太郎小泉進次郎は兄弟仲良しだがもう一人弟が。三男宮本佳長が表に出ない理由。

→小泉孝太郎小泉進次郎の学歴を小学校~高校大学まで紹介。慶応(慶應)卒の父や一家の学歴も。


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