この記事では公開された情報をもとに、岩田剛典さんの学歴と学生時代のエピソードを紹介しています。
※2021年2月3日投稿、最終更新日はタイトル下参照
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参考文献等
・朝日新聞EduA2019年10月17日配信記事「EXILE、三代目J SOUL BROTHERS 岩田剛典さん 祖父も父も慶応、ダンスにもらった夢」
・2018年4月4日放送「1周回って知らない話」(日本テレビ)
・スポニチ2021年1月23日配信記事「岩田剛典、壮絶な中学受験語る「お前は慶応に行けと」「1日10時間勉強」「塾行くのが嫌でした」」
・映画ナタリー2018年配信「「去年の冬、きみと別れ」特集 岩田剛典インタビュー」
・AREAdot.2016年5月26日配信「三代目J Soul Brothers・岩田剛典 三代目への加入を断っていた?!」
小学校
愛知県名古屋市で明治時代から続く企業一族に生まれた岩田剛典さん【実家の歴史はこちら】。
幼いころから祖父や父の出身校である慶應に入るよう言われて育った岩田剛典さんは、小学校高学年になると2つの塾に通い家庭教師もつけて慶應義塾大学の付属中学を目指しました。
成績がなかなか上がらず悔しい思いをしたこともあったようですが、1日10時間ほどの猛勉強で最終的には模試で愛知県1位を取るほどに。
受験本番でも見事慶應大学の付属校の1つ慶應義塾普通部(偏差値64)に合格しています。
※偏差値は四谷大塚HP2021年1月29日掲載のもの
受験勉強期間は苦労も多かったようですが、岩田剛典さんにとっては学歴以外にも得るものの多い経験だったようです。
今思うと、普通は社会に出てから味わうポジション争いみたいなことを、小さい頃に経験していたんだなって。その分、部活動や遊びに没頭するような子供らしい生活を送れなかったかもしれないですけど。とにかくあの経験は絶対、今の自分に影響していますね。
※映画ナタリー2018年配信「「去年の冬、きみと別れ」特集 岩田剛典インタビュー」より引用
客観的に自分のことを見る癖を、小学校から身につけられた感じがしました。自分がこのコミニュティーの中でどの位置に属しているかとか。学んだことは勉強ですが、実はもっと大切なことを身体に刷り込んでいった期間
※スポニチ2021年1月23日配信記事「岩田剛典、壮絶な中学受験語る「お前は慶応に行けと」「1日10時間勉強」「塾行くのが嫌でした」」より引用
中学校
岩田剛典さんは中学受験を経て慶應義塾普通部(偏差値64)に入学し同校を卒業しています。
中学入学に伴い母親とともに地元名古屋から上京したようです。
※偏差値は四谷大塚HP2021年1月29日掲載のもの
根拠
朝日新聞EduA2019年10月17日配信の岩田剛典さんのインタビュー記事「EXILE、三代目J SOUL BROTHERS 岩田剛典さん 祖父も父も慶応、ダンスにもらった夢」には以下のような記述があります。
(いわた・たかのり)1989年生まれ、愛知県出身。慶応義塾普通部、慶応義塾高等学校、慶応義塾大学法学部政治学科を卒業
慶應義塾普通部について
慶應義塾普通部はその名の通り慶應義塾大学の付属校。
慶應義塾大学の付属中学校はいくつかありますが、普通部は唯一の男子校です。
四谷大塚HPによれば慶應義塾普通部の偏差値は64。
卒業生のほとんどは内部進学で系列の慶應義塾高校に進学し、高校卒業後は慶應義塾大学に進学します。
中学受験以降は受験なしに名門大学に進学できることもあり、慶應義塾普通部は中学受験トップレベルの人気と難易度を誇ります。
部活
先述の朝日新聞EduAの記事によれば、
小学校高学年時代は受験勉強一色だった岩田剛典さんですが、
もともとスポーツが好きだったこともあり中学ではバスケットボール部と空手部を兼部しアクティブな生活を送っていました。
ただし、部活としてはあまりやる気が出ず不完全燃焼感が残ったそう。
この経験が後述の高校時代のすごい実績につながっているようです。
音楽
また、※i-D2019年4月22日配信記事「「誰かにとっての光になりたい」:岩田剛典 インタビュー」によると、
岩田剛典さんが中学生の時、アメリカ留学中だったお兄さんが帰国のたびに当時アメリカでヒットしているCDをお土産に買ってきてくれたそう。
その中にHIPHOPが多かったことも、のちにダンスを始めることのきっかけの1つとなったそうです。
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高校
慶應義塾普通部を卒業した岩田剛典さんは、内部進学で慶應義塾高校に進学し、同校を卒業しています。
根拠
朝日新聞EduA2019年10月17日配信の岩田剛典さんのインタビュー記事「EXILE、三代目J SOUL BROTHERS 岩田剛典さん 祖父も父も慶応、ダンスにもらった夢」には以下のような記述があります。
(いわた・たかのり)1989年生まれ、愛知県出身。慶応義塾普通部、慶応義塾高等学校、慶応義塾大学法学部政治学科を卒業
ラクロスU19日本代表候補
先述の朝日新聞EduAの記事によれば、
中学の部活で不完全燃焼だった岩田剛典さんは高校では身をささげるくらいがっつり部活をやろうと決めていたそう。
普通部になく全員が同じスタートラインになるという理由でとラクロス部に入部し、U19の日本代表候補になるほどの実力者になりました。
ダンスへの目覚め
岩田剛典さんが中学時代に兄がアメリカから持って帰ってきたCDでHIPHOPに興味を持ったのは先述の通りですが、
先述の朝日新聞EduAの記事のよれば、
より直接ダンスを始めるきっかけとなったのは高校時代に見たダンスドキュメンタリー映画「RIZE」だそう。
同映画に登場するクランプというダンスの動きや力強さ、そしてクランプが生まれたルーツに心を打たれ、自分も踊れるようになりたいと思うようになったのだそうです。
岩田剛典さんは部活引退後に高校の文化祭で披露するのを目標に独学でダンスの練習を開始。
文化祭のステージで仲間と共に初めてダンスを披露した高揚感や、勝ち負けを競うスポーツとは違う注目のされ方に惹かれ、大学ではダンスをすることを決めました。
大学
岩田剛典さんは慶應義塾高校を卒業後、内部進学で慶應義塾大学法学部政治学科に進学し、同学科を卒業しています。
根拠
朝日新聞EduA2019年10月17日配信の岩田剛典さんのインタビュー記事「EXILE、三代目J SOUL BROTHERS 岩田剛典さん 祖父も父も慶応、ダンスにもらった夢」には以下のような記述があります。
(いわた・たかのり)1989年生まれ、愛知県出身。慶応義塾普通部、慶応義塾高等学校、慶応義塾大学法学部政治学科を卒業
ちなみに内部進学とはいっても法学部政治学科への推薦には一定水準の成績が必要だそう。
高校時代の岩田剛典さんがU19日本代表候補に選ばれるほど部活に打ち込む一方で学業もおろそかにはしていなかったことがうかがえます。
ダンス
岩田剛典さんが高校時代にラクロスのU19日本代表候補だったのは先述の通り。
先の朝日新聞EduAの記事によれば、当然大学ラクロス部からの勧誘もあったそうです。
しかし、岩田剛典さんはそれを断りダンスサークルに入会。
慶應義塾大学の大手ダンスサークルDancing Crew JADEに入会するとダンスに没頭し、サークルの代表も務めました。
サークル仲間は当時の岩田剛典さんについて以下のように語っています。
「大学で夜9時頃まで練習していて、夜中は“ダンサーの聖地”といわれるビルの前で練習。誰よりも熱心で、見た目も中身もゴリゴリの体育会系でした。でも、酔っぱらうと甘えん坊で(笑)。部長としても人望が厚かったけれど、熱すぎるあまり話が長かったですね(笑)」(サークルの仲間)
※AREA.dot2016年5月26日配信記事「三代目J Soul Brothers・岩田剛典 三代目への加入を断っていた?!」より引用
ちなみに岩田剛典さんが代表を務めたダンスサークルとコラボしたシューズブランドが岩田剛典さんの父親が経営するシューズメーカーをから発表されています【詳細を読む】。
また先のAERAdot.の記事のよれば、
岩田剛典さんは日本のクランプの第一人者JUN aka Twiggz(佐藤順一郎)さんの運営するKRUMPバトルイベントに参加したことをきっかけに、
EXILEの小林直己さんや関口メンディーさんも所属するTwiggz Famのメンバーになったそう。
大学4年生だった2010年にはクランプの全国大会「KING OF BUCK」で優勝しています。
大学卒業後
先のAERAdot.の記事によれば、
大学時代の岩田剛典さんはダンスに熱中していましたが、他方では堅実に就職活動をして大手企業から内定ももらっていたといいます。
しかし、大学4年生の夏休みにEXILEの小林直己さんの薦めで受けた三代目J Soul Brothersのパフォーマーオーディションに合格したことで内定先を辞退し芸能界へ。
現在はダンサーとしてだけではなく俳優としても活躍しています。
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