- 2018-8-6
- 女優, 有名人同士の家族関係
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女優の中山美穂さん。
工藤静香さんらとともに80年代アイドル四天王と呼ばれ、
歌手や女優としても華々しい活躍を見せました。
実は中山美穂さんには3歳年下の妹がいます。
名前は中山忍さん。
中山美穂さんと同じく芸能人です。
中山美穂さんの名前を知っていても妹中山忍さんは知らない、という人も多いかもしれません。
確かに若い頃の中山忍さんはトップタレントだった姉中山美穂さんに比べて目立たない印象がありました。
一部ではなぜか亡くなった説まで出ていたこともあるようですが、現在では姉との立場は逆転しているようで…
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・デビューは姉のおかげ?
中山美穂の妹・中山忍さんの芸能界デビューは15歳のとき。
デビューのきっかけはスカウトでした。
といっても、中山美穂さんのように偶然街中でスカウトされたというわけではありません。
中山忍さんがスカウトを受けたのは、既にデビューしていた姉中山美穂さんを成田空港まで見送りに来たときのこと、声をかけたのは中山美穂さんの事務所スタッフでした。
姉・中山美穂さんのおかげでスカウトに目に留まった、ということですね。
しかし、姉・中山美穂さんの姿を見て芸能界はの大変さを感じていたからなのか、
中山忍さんは話を受けるか否か迷ったといいます。
しかし、「20歳までやって芽が出なかったら辞めればいい」という母親のことばに後押しされて15歳で芸能界に飛び込みました。
・偉大過ぎる姉
中山忍さんのデビューは1988年。
当時姉の中山美穂さんは絶大な人気を誇っていましたから、
妹の芸能界入りは当然大きな話題になりました。
そのおかげもあってか、ドラマや歌など仕事もとんとん拍子に決まり順調なスタートを切った中山忍さんでしたが、
同時に偉大過ぎる姉の存在は悩みの種でもあったそう。
※この記事はインフォちゃんぽんが執筆しました。
ことあるごとに「中山美穂の妹」と紹介されることに対して、
「姉のおかげで仕事が来ているだけなのではないか」「『中山忍』のアイデンティティはどこに行ってしまったのだろう」と不安になることも多かったといいます。
また、雑誌等のインタビューで「ライバルは誰ですか?」と聞かれた際、
内心では「中山美穂です」と答えてほしいんだろうなと察していても、
かたくなに姉の名前は出さなかったといいます。
週プレNEWS「語っていいとも!」第26回内で中山忍さんは当時を振り返り
「どこかで自分で認めたくなかった気持ちとして、お姉ちゃんみたいになりたいっていうのが多分ずっとあったと思うんですよ、それが変なプライドとかにもなってて」
と語っています。
・女優賞受賞が自信に
そんな中山忍さんに自身を与えたのは女優業でした。
中山忍さんは歌手活動もしていましたが、もともと歌は得意ではなくあまり乗り気ではなかったそう。
とはいっても女優業に関してもそれほど器用でもなく、やる気はあるけどうまくもない、
というのが
先の記事内で当時を振り返った中山忍さんの自己評価ですが、
1995年の映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』でオーディションを勝ち抜いてヒロイン役を射止めると、同作品での演技が評価され、
・第17回ヨコハマ映画祭助演女優賞
・第38回ブルーリボン賞助演女優賞
・第19回日本アカデミー賞優秀助演女優賞
と多数の女優賞を受賞。
ずっと抱えていた「中山美穂の妹」としてしか見られていないのではないか?という不安が小さくなり、
「女優・中山忍」として生きる許可をもらったような気持ちになったといいます。
ちなみに同年のヨコハマ映画祭とブルーリボン賞の主演女優賞は岩井俊二監督の映画「Love Letter」で主演した姉の中山美穂さん(姉妹同時受賞は史上初)。
女優として姉と肩を並べることができた、というのも自身につながったのかもしれませんね。
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現在は二時間ドラマの新女王
その後、姉・中山美穂さんは2002年にミュージシャンや小説家として活動する辻仁成さんと結婚すると、パリに移住し芸能活動も休止状態となりました。
他方で妹の中山忍さんは女優活動を続けます。
2時間ドラマを中心に毎年コンスタントにドラマに出演し続け、
今では「ポスト名取裕子」「ポスト片平なぎさ」ともいわれる二時間ドラマの新女王候補に。
中山忍さんが中山美穂の妹だと知らない人も増えているかもしれませんね。
2017年11月17日. 爆報THEフライデーで中山忍さんが語ったところによると、
自身をここまで押し上げることができた背景には俳優の渡瀬恒彦さんの存在があったといいます。
中山忍さんと渡瀬恒彦さんの初共演は1997年のドラマ「十津川警部シリーズ14・海を渡った愛と殺意」でのこと。
当初中山忍さんは、撮影中に何度もセリフのやり直しを要求してくる大先輩渡瀬恒彦さんに対して恐怖を感じていたそう。
しかし、どこかで2時間ドラマを甘く見ていた自分に気づき、2時間ドラマと本気で向き合おうと決意し、再び渡瀬恒彦さんと共演することを夢見て演技力を磨き続けました。
そして13年後の2010年、中山忍さんは渡瀬恒彦さんとドラマ「十津川警部シリーズ43・伊勢志摩殺人迷路」で再共演を果たします。
その際渡瀬恒彦さんのアドリブのセリフに自然と涙が出たという中山忍さんは、
お芝居としての計算ではなく渡瀬恒彦さんのセリフに誘われて自然とこぼれた涙に、
役者人生が変わるほどの衝撃を受けたといいます。
それ以来、中山忍さんは一層渡瀬恒彦さんの演技に一層向き合うようになりました。
※この記事はインフォちゃんぽんが執筆しました。
渡瀬恒彦さんは2017年に亡くなっています。
生前、渡瀬恒彦さんは表立って中山忍さんをほめることは少なかったようですが
中山忍さんのマネージャーに対しては「忍のさびしい笑顔は素敵です、流す涙は素敵です」と話していたそう。
厳しく接しつつも内心では中山忍さんの演技を認めていたようです。
渡瀬恒彦さんは俳優として第一線で活躍していましたが、兄・渡哲也さんはそれ以上に活躍していました。
自身と同じような境遇にある中山忍さんに対しては、思うところがあったのかもしれません。
・結婚しない理由
姉の中山美穂さんは2002年に結婚し、2014年に離婚していますが、
中山忍さんは45歳になった2018年8月時点で結婚していません。
姉妹で芸能界に進み、人気のある方が結婚して第一線を退き、もう一方は独身のまま芸能界で仕事を続けて地位を確立する、という構図は、
(姉妹の立場が逆ですが)石田ゆり子さん石田ひかりさん姉妹と重なるところがありますね
中山忍さんは特に結婚しないと決めているわけでもないそうですが、
楽しいと思える仕事も信頼できる仕事仲間や友達や親兄弟もいるので無理に結婚しようとも思っていないのだそう。
姉中山美穂さんは離婚時に悪い意味で世間に注目されてしまったことも結婚観に影響を与えているのでしょうか。
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