仲野太賀の父親中野英雄の若い頃~現在(画像有)。アウトレイジなデビュー前情報も。


仲野太賀さんの父親はネオVシネ四天王の中野英雄さん。

真面目ないじめられ体質の青年を演じてブレイクしましたが、もともとはかなりヤンチャな人物だったようです。

※2021年7月30日投稿、最終更新日はタイトル下参照


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苗字なしでデビューした理由

俳優の仲野太賀さん。

2006年(当時13歳)に「太賀」名義で俳優活動をスタートし

2016年のドラマ「ゆとりですがなにか」(日本テレビ系)で主演の岡田将生さんを振り回す“モンスター後輩”山岸ひろむを好演しブレイクしました。

 

同ドラマをきっかけに一気に知名度を上げた太賀さんは2019年に芸名を「仲野太賀」に変更しています。

改名の際仲野太賀さんのコメントは以下の通り。

「去年あたりから(自身の)名字を伏せている時点で何かをごまかしている気がして。これから俳優としてやっていく覚悟を決めて、名字を名乗ろうと思った」

※サンスポ2019年6月24日配信記事「「太賀」改め今日から俺は「仲野太賀」 26歳個性派俳優が決断」より引用

 

また2021年2月21日放送の「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)に出演した際には、

2019年まで芸名を名字抜きの「太賀」にしていたのは、自身が2世俳優であることを隠すためであった旨語っていました。

 

父親は俳優中野英雄

仲野太賀さんの父親は俳優・中野英雄さん。

的場浩司さんらとともに「ネオVシネ四天王」とも呼ばれる強面の名バイプレイヤーです(Vシネやヤクザもの以外の作品にも出ています)。

 

2021年2月21日放送の「行列の出来る法律相談所」(日本テレビ系)に出演した仲野太賀曰く父・中野英雄さんは「親バカがひどい」

息子の出演作品をすべてチェックし丁寧な感想をくれるのだそうです。

また、現在も中野英雄さんのSNSには仲野太賀さんの出演作の話題が頻繁に登場していますが、

2世俳優であることを隠すために「太賀」名義で活動していた時期にもSNSで「うちの次男、太賀が出ます」と出演作品の宣伝をしていたようです。

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中野英雄の若い頃から現在まで

暴走族時代

Wikipeidaによれば、

中野英雄さんは哀川翔さんに誘われて芸能界に入ったそうですが、

東スポ2015年3月12日配信のインタビュー記事「中野英雄が明かす「リアル龍が如く」」では、哀川翔さんとの出会いが語られています。

それによると、中野英雄さんは中学時代から頭をパンチパーマにして喧嘩に明け暮れる暴走族だったそう。

ある日、たまたま中野さん達の前を通りかかった哀川翔さんをからかったところ、頭突き一発でノックアウトされたのだそうです。

 

※中学時代


ちなみにwikipeidaによれば、中野英雄さんの奥さんは中学時代から好きだった先輩だそう。

中野さんのヤンチャ時代も知っているのでしょう。

奥さんは現在、中野英雄さんが立ち上げた個人事務所(中野英雄さんは現在は所属せず)の代表を務めており、夫婦で仕事をすることもあるようです【詳細を読む】

 

劇男一世風靡

このケンカが縁で哀川翔さんと仲良くなった中野英雄さんは、1985年に哀川翔さんの勧誘を受け、劇男一世風靡に参加。

柳葉敏郎さんの付き人からスタートしました(wikipeida「中野英雄」参照)。

 

先の東スポのインタビューによれば、

当時の一世風靡セピアのメンバーの血気盛んで、中野英雄さんが六本木に呼び出されるときはケンカの仲裁か加勢のどちらかだったそう。

また当時はバブルで景気はよかったものの、柳葉さんの運転手兼マネージャー時代の自身の収入は月7万円くらいで生活は楽ではなかった、と振り返っていました。

 

“チョロ”でブレイク

先の東スポのインタビュー記事によれば、

中野英雄さんが芸能人として食べていけるようになったのは1992年のドラマ「愛という名のもとに」(フジテレビ)で生真面目ゆえに悲しい最期を遂げる“チョロ”こと倉田篤を演じた頃。

同作でブレイクした中野英雄さんは以後コンスタントにドラマに出演するようになりました。

 

中野英雄さんのインスタグラムには若い頃の写真も掲載されていますが、

中にはパンチパーマの元暴走族とは思えない爽やかな風貌のものも見られます。

 

ネオVシネ四天王

中野英雄さんは強面を活かして北野武監督の映画「アウトレイジ」のようなヤクザ映画やVシネマにも非常に多く出演しており、

的場浩司さん、山口祥行さん、本宮泰風さんと共に「ネオVシネ四天王」と呼ばれています。

 

※若い頃

 

※現在

 

ブレイクのきっかけこそ生真面目で気弱な役でしたが、中野英雄さん自身はもともと任侠モノをやりたいと思っていたようでVシネマ「侠宴 完結編」に出演した際のインタビューでは以下のように話していました。

中野 よく批判される内容ではありますけども、好きなんですよ、やっぱり。『仁義なき戦い』から始まって、その前の佐分利信さんの『日本のドン』から、そっちの役をやりたい、そういうところに行きたいって思いながらやってきたのでね、決してチョロがやりたくてやってきたわけじゃないんです(笑)。やっぱり夢はここだったのでね。わりと地がね、やんちゃ坊主だったんで、そっちを求めたんじゃないですかね。

※女性自身2009年10月13日配信記事「中野英雄 シリーズラスト飾る『侠宴 完結編』インタビュー」より引用

仲野太賀の記事を読む

仲野太賀の兄中野武尊(たける)は元俳優。父親母親も芸能関係者の芸能一家。

仲野太賀の父親中野英雄は一世風靡→チョロ→ネオVシネ四天王の俳優。

仲野太賀と父親中野英雄はそっくりな程似てる?画像&経歴比較。


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