上野樹里の旦那(夫)和田唱の親族は平野レミ以外も有名人だらけ。


上野樹里さんは2人の姉も芸能界で活動する芸能姉妹の末妹ですが、

旦那(夫)の和田唱さんもその家族は世間に名の知れた人物ばかりです。

この記事では、上野樹里さんの旦那(夫)和田唱さんの有名人だらけの家族関係を紹介しています。

※2020年10月9日投稿、最終更新日はタイトル下参照


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本人:和田唱

上野樹里さんは2016年5月に和田唱さんと結婚しました。

※結婚時の和田唱さんのツイート

 

和田唱さんはロックバンドTRICERATOPSのボーカル

上野樹里さんよりも10歳年上の1975年12月1日生まれです。

 

1996年にベースの林幸治さん、ドラムの吉田佳史さんとともにスリーピースロックバンドTRICERATOPS(トライセラトップス)を結成。

同バンドの作詞作曲はほぼすべて和田唱さんが行っています。

1999年のシングル「GOING TO THE MOON」はポカリスエットのCMに起用されオリコンチャート5位を記録しました。

 

上野樹里さんとの結婚を報じたスポニチ2016年5月26日配信記事「上野樹里&トライセラ和田唱が結婚!昨秋から交際「とても自然なこと」」によれば、

上野樹里さんはかねてからライブにも通うほどのTRICERATOPSファンだったそう。

知人の紹介を通じて和田唱さんと知り合い、2015年秋ごろから交際を開始したそうです。

 

母親:平野レミ

和田唱さんの母親は料理愛好家の平野レミさん。

 

 

wikipediaによれば、平野レミさんはもともとはシャンソン歌手としてデビュー。

TBSラジオの「キンキン・ケンケンのそれ行け!歌謡曲」内のコーナー「ミュージック・キャラバン」で久米宏さんと共に活躍しました。

 

1972年に和田誠さん(後述)と結婚すると、一時は専業主婦をしていましたが、

主婦業と並行して力を入れていた家庭料理の研をもとに料理研究家ならぬ「料理愛好家」として再始動。

remy公式サイトによれば、料理愛好家としてのモットーは「シェフ料理ではなくシュフ料理」。

テレビをはじめとする各種メディアでアイディア料理を発信しており、著書は50冊以上に及びます。

また、株式会社オダジマと共同開発した多機能鍋「レミパン」シリーズは、累計売上個数150万個以上を誇る大ヒット商品となりました。

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父親:和田誠

和田唱さんの父親はイラストレーターの和田誠さんです。

Wikipeidaによれば、

和田誠さんはアメリカの俳優ジェームズ・ステュアートに出した似顔絵付きファンレターの絵を返信でほめられたことを機に絵を職業にすることを志し、

広告制作プロダクションライトパブリシティにデザイナーとして入社しました。

同社在籍中は、ハイライト(たばこ)のパッケージデザイン、社会党のロゴマーク、キヤノンや東レなど国内有名企業の広告デザインなどを手掛ける敏腕デザイナーとして活躍。

退社後はフリーランスとなり、「週刊文春」の表紙を40年以上の渡り手掛けるなどトップイラストレーターとして長きにわたり活動しました(2019年に永眠)。

 

平野レミさんと結婚したのは1972年。

平野レミさんのWikipeidaによれば、

先述の平野レミさんの出演するラジオ番組を聞いてほれ込んだ和田誠さんが、共演する久米宏さんやTBSラジオのディレクターに頼んで紹介してもらい、出会って1週間で結婚したそうです。

 

ちなみに和田唱さんの弟は日本最大手の広告代理店に勤めていましたが、これは父・和田誠さんの仕事と無関係ではないのでしょう【詳細を読む】

 

祖父(父方):和田精

上野樹里さんの旦那(夫)和田唱さんの父方の祖父は和田精さん。

日本における音響効果の創始者といわれる音響演出家です。

以下はコトバンクから引用した経歴。

会社勤めの後、大正13年築地小劇場創立同人の一人として演出部に参加、舞台照明、舞台効果分野を初めて確立。14年日本初のラジオドラマ「炭坑の中」の効果を担当。昭和4年退団し、松竹など劇場の舞台効果の仕事に従事。5年NHK大阪放送局入社、19年退社。戦後26年新日本放送嘱託となり、29年ラジオドラマ「カルメン・シータ」を演出、芸術祭賞を受賞。32年毎日放送に改組の時取締役となった。36年辞任、毎日放送社友。ラジオ・テレビドラマ演出家の草分け。

※出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)

 

祖父(母方):平野威馬雄

上野樹里さんの旦那(夫)和田唱さんの母方の祖父はフランス文学者の平野威馬雄(ひらの いまお)さんです。

以下はコトバンクから引用した経歴。

父がフランス系アメリカ人、母が日本人。18歳でモーパッサン選集の翻訳を手がけ、金子光晴により「早熟の天才少年」と評される。昭和28年から“レミの会”を主宰して混血児救済運動に尽力、他に競輪廃止、麻薬追放運動も行い、“空飛ぶ円盤”の研究や「お化けを守る会」など幅広い活動を行う。自伝「混血人生記」や翻訳「ファーブル昆虫記」、詩集「青火事」、研究書「フランス象徴詩の研究」、伝記「くまぐす外伝」「平賀源内の生涯」のほか、少年文学、フランス自然主義文学、UFOに関して300余冊の著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)

 

曽祖父(母方):ヘンリイ・パイク・ブイ

上野樹里さんの旦那(夫)和田唱さんの母方の曽祖父(平野レミさんの祖父)はアメリカ人のヘンリイ・パイク・ブイさん。

日本美術愛好家でとして知られ、サンフランシスコ日米協会初代会長を務め、排日運動が激しかったアメリカで日米親善や日系移民の権利擁護に貢献しました。

 

Wikipediaによれば、

カリフォルニア大学卒業後実業界に入り若くして億万長者になったヘンリイ・パイク・ブイさんは、1879年に15歳年上の富豪の未亡人と結婚。

結婚後放送業界を辞めると、本人曰くジャポニズム全盛だったヨーロッパで浮世絵研究、俳句、連歌、能、茶事、書画などに熱中していたそうです。

妻が亡くなった後はたびたび日本に訪れて美術品の収集や文化人との交流を続け、

1899年に24歳年下の平野駒さんと東京で再婚。

1990年に長男(平野威馬雄さん)、1908年に次男が誕生しますが、

本人は日米を行き来しており子供達とは2年程しか一緒に暮らしておらず、アメリカでは日本に妻子がいることは伏せられていたようです。

 

まとめ

上野樹里の旦那(夫)和田唱の親族

母親:平野レミ(料理愛好家)

父親:和田誠(イラストレーター)

祖父(父方):和田精(音響演出家)

祖父(母方):平野威馬雄(フランス文学者)

曽祖父(母方):ヘンリイ・パイク・ブイ(日米親善に貢献)

※和田唱の弟と義妹については【こちら】

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