山田裕貴の父親山田和利の若い頃~現在。カープと中日を行ったり来たり。


この記事では山田裕貴さんの父親で元プロ野球選手の山田和利さんの経歴を紹介しています。

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父親は元プロ野球選手

人気俳優として多くの映画ドラマに出演する山田裕貴さん。

詳細は【こちらの記事】に譲りますが、

・俳優を目指した理由の1つは「プロ野球選手の父親以上にテレビに出られるのではないか」と思ったから

・下積み時代の周囲の冷たい反応に心が折れなかった理由の1つは「18歳でプロ野球選手になり仕事をしていた父親には負けられない」という気持ちがあったから

など、たびたび父親がプロ野球選手であることを話しています。

 

山田裕貴さんの父親は山田和利さん。

1986年から1995年までセリーグでプレイしていた元プロ野球選手です。

以下では山田和利さんの選手時代および引退後の経歴を紹介しています。

 

山田裕貴の父親山田和利の経歴

※参考文献

・日本野球機構HP掲載 個人年度別成績 山田和利

・スポーツニュースサイトVICTORY VICTORYアスリート名鑑 山田和利

・wikipedia山田和利

 

基本情報

山田和利さんは1965年6月3日生まれ(2021年7月時点で56歳)。

身長は山田裕貴さんと同じく178cmです。

※山田裕貴さんの身長はワタナベエンターテインメントHP参照

 

山田裕貴さんが父親がプロ野球選手である旨各所で語っているのは先述の通りですが、

山田和利さんもたびたび山田裕貴さんに関する取材に答えているよう。

例えば2019年のデイリーの記事には以下のような記述があります。

山田和利内野守備走塁コーチ(53)が「毎日?見てる見てる」と言うのが、4月1日から始まったNHK連続テレビ小説第100作「なつぞら」(月~土曜、前8・00)。息子で俳優の山田裕貴(28)が朝ドラ初出演を果たし、ヒロインのなつ(広瀬すず)の親友・小畑雪次郎役として登場しているからだ。

…(中略)…

息子の話となると恥ずかしげだが、今回の朝ドラデビューをきっかけに、さらなる飛躍を願っている。「忙しいぐらいがちょうどいいんじゃないかな。周りの人に恵まれているよね。ここから。このチャンスをどう生かすか」と父なりのエールを送った。

※デイリー2019年5月2日配信記事「【野球】広島・山田和利内野守備走塁コーチが朝ドラ「なつぞら」を見守る理由」より引用

 

高校時代

愛知県名古屋市出身の山田和利さんは地元の名古屋市立豊正中学校から、野球の名門東邦高校へ進学。

当時は中京高校が強かったこともあり甲子園出場は叶いませんでしたが、100m11秒6の俊足と野球部主将を務めたキャプテンシ―を評価され1984年にドラフト4位(ドラフト会議は1983年)で中日ドラゴンズに入団しました。

※ちなみに、同年の5位指名は数々の最年長記録を持つ山本昌選手です。

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中日ドラゴンズ時代

2軍からスタートした山田和利さんの1軍公式戦初出場は入団3年目の1986年

5月25日の読売ジャイアンツ戦(ナゴヤ球場)で代打として出場しています。

翌1987年は巨人の優勝決定後主力の休養期間に出場機会が増え、この年リーグ3位の打率を記録した落合博満さんに代わり三塁手として4試合連続で先発出場(打順は8番)。

最終的に12試合に出場しています。

 

1988年は後半の守備固め等で様々なポジションをこなすユーティリティプレイヤーとしての地位を獲得し、

バッターとしても打率.268、2本塁打、俊足を活かした盗塁や三塁打(チームトップ)、チーム3位の14犠打などチームに貢献。

開幕当初は後にミスタードラゴンズと呼ばれることとなるドラフト1位の立浪和義さんの入団で出場機会は激減すると思われましたが、

ふたを開けてみればキャリアハイ(当時)の82試合に出場し、チームのリーグ優勝に貢献しました。

 

広島東洋カープ時代

さらなる活躍が期待されたものの1989年、1990年と成績不振だった山田和利さんは1991年にトレードで広島東洋カープに移籍しています。

移籍初年の出場は試合どまり(チームはリーグ優勝)でしたが、

翌1992年は故障した正田耕三選手に代わりシーズン後半に二塁手のスタメンを務め93試合に出場。

俊足タイプから強打者へとシフトチェンジを敢行し、打率.282、8本塁打、29打点と結果を残しました。

 

内野手レギュラーが万全だった1993年1994年は出場機会に恵まれませんでしたが、

1995年には故障した一塁手メディーナ選手の穴を埋めキャリアハイの94試合に出場。

打率.270、12本塁打、53打点の成績を残しています。

 

中日で引退

山田和利さんは1996年に古巣中日ドラゴンズに復帰しました。

背番号7を与えられ活躍が期待されたものの、故障により一軍出場はなし。

同年選手を引退しています。

 

中日コーチ時代

1996年に選手を引退した山田和利さんは、球団に残り指導者の道を歩みます。

・1997年    :二軍打撃コーチ

・1998年    :一軍内野守備走塁コーチ

・1999年~2001年:一軍打撃コーチ

・2002年~2003年:二軍内野守備走塁コーチ

・2004年    :二軍野手総合チーフコーチ

・2005年~   :フロント入り

…この間、チームは1999年と2004年にリーグ優勝を果たしています。

 

広島カープコーチ時代

山田和利さんは2011年に中日ドラゴンズを離れ広島カープのコーチ等を務めています。

2011年    :二軍守備走塁コーチ

2012年~2014年:球団編成

2015年~   :二軍守備走塁コーチ

 

2021年7月14日時点の広島東洋カープオフィシャルサイトでは、

二軍 内野守備・走塁コーチ」と紹介されています。

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