高市早苗の学歴(小学校中学校高校大学)。浪人留年はいつ?


この記事では、高市早苗さんの学歴を紹介しています。

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小学校(1967年4月~1973年3月)

高市早苗さんは奈良市立あやめ池小学校から小学校3年時に橿原市立畝傍南小学校に転校し、同校を卒業したといわれています。

※「橿原」の読みは「かしはら」
※「畝傍」の読みは「うねび」

 

根拠

小3時に転校したことは、高市早苗さん自身がサイト「私のカクゴ」内で明かしています。

幼少のころは内向的でした。小学校3年生で転校したことを契機に、少しだけ活発に振舞えるようになりました。

出典:https://www.kakugo.tv/person/det6y2zb.html

 

転校前の小学校名に関する本人発信の情報は調べた限りネット上には見当たりませんが、
wikpedia「奈良市立あやめ池小学校」には出身者として高市早苗さんの名前が掲載されています。(ただし出典情報はなし)。
また、小林しげき衆議院議員はfacebookの2021年9月22日のfacebookの投稿に高市さんが通っていた小学校近くの近鉄あやめ池駅にて、支援を呼び掛けました!」と書いています(※1)。
奈良市立あやめ池小学校は近鉄あやめ池駅(菖蒲池駅)から最も近い公立小学校です(ただし他にも近い小学校はある)。

 

転校後の小学校名に関しては、亀甲義明奈良県議会議員のXの2022年10月16日の投稿に、畝傍南小学校創立150周年記念式典に「本校卒業生であられる高市早苗大臣」が出席した旨の記述がみられます(※2)。

高市早苗さんのサイトにも、学校との関係の明示はないものの畝傍南小学校創立150周年記念式典に出席した際の写真は掲載されています(※3)。

 

※1:小林しげきfacebook2021年9月22日投稿
※2:亀甲義明X2022年10月16日投稿URL
https://x.com/kikkou_yoshiaki/status/1581303181505880065
※3:高石早苗HPの畝傍南小学校創立150周年記念式典出席時画像URL
https://www.sanae.gr.jp/album_nara_1428.html

 

中学校(1973年4月~1976年3月)

高市早苗さんは橿原市立畝傍中学校に進学し同校を卒業したといわれています。

※「橿原」の読みは「かしはら」
※「畝傍」の読みは「うねび」

 

根拠

調べた限りネット上に本人発信の情報は見当たりませんが、橿原市HPによれば、高市早苗さんの出身校といわれる畝傍南小学校の進学先の公立中学校は畝傍中学校です(※4)。

※4:橿原市HPホーム>組織から探す>学校教育課>業務案内>小・中学校>小・中学校の通学区域
https://www.city.kashihara.nara.jp/soshiki/1051/gyomu/3/1750.html

 

高校(1976年4月~1979年3月)

高市早苗さんは奈良県立畝傍高等学校に進学し同校を卒業しました。
※「畝傍」の読みは「うねび」

同校は奈良県トップクラスの進学校。
サイト「みんなの高校情報」掲載の2024年度版偏差値は68(奈良県内6位(公立2位))となっています。

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根拠

出身高校は、高市早苗さんのHP掲載のプロフィールに掲載されています(※5)。
※5:https://www.sanae.gr.jp/profile.html

 

畝傍高校のHPにも卒業生である旨の記述がありますから間違いないでしょう。

平成27年度金鵄会総会について(お礼)
11月3日に開催いたしました総会にはご多用中のところ、多くの会員のご出席を賜り、誠にありがとうございました。
…(中略)…
パーティーは今年も橿原神宮会館で午後1時から開催され、衆議院議員の高校31回卒業、高市早苗総務大臣のご挨拶のあと、…(以下略)
※奈良県立畝傍高等学校HPホーム>卒業生の方へ>同窓会>平成27年度金鵄会総会について(お礼) より引用

本人のHPによれば高市早苗さんは1961年3月7日生まれ、そして上記のように高校HPでは31回卒業生とされています。
畝傍高校HPに掲載された学校の沿革によると、同校は1896年(明治29年)に奈良県尋常中学校畝傍分校として開校し、1948年(昭和23年)4月に学制改革により奈良県立畝傍高等学校となったよう。
学制改革が行われた年度の卒業生(1949年3月卒)が1回卒業生だとすると、1960年度生まれの高市早苗さんの留年なしの卒業時期(1979年3月卒)が31回卒業に当たります。
後述のように高市早苗さんは大学卒業までに1年留年や浪人があることがうかがえますが、少なくとも高校時代ではないようです。

 

大学(1979年or1980年4月~1984年3月)

高市早苗さんは神戸大学経営学部経営学科(経営数学専攻)に進学し同校を卒業しました。
※2025年度偏差値は62.5(サイト「みんなの大学情報」掲載の河合塾提供のもの)

第一志望だった早稲田大学や慶應義塾大学にも合格していたものの、家庭の事情で地元(と言っても通学に往復6時)の国立大学である神戸大学に通うことになったよう。
また、1年間浪人または留年をしているようです。

 

根拠

出身大学や専攻は、高市早苗さんのHP掲載のプロフィールに掲載されています(※5)。
※5:https://www.sanae.gr.jp/profile.html

 

早慶にも合格していたことや神戸大学に進学することになった経緯は2021年のAERAdot.の記事でネット上でも確認できます。
該当部分は高市早苗さんの著書「30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる」(大和出版)および「高市早苗のぶっとび永田町日記」(サンドケー出版局)に書かれていた内容のようです。

高市氏は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したにもかかわらず、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない。弟の学費に回してほしい」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。
※AERAdot.2021年9月9日配信記事「高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか」より引用

 

卒業時期は首相官邸HP掲載の第2次安倍改造内閣 閣僚等名簿に「昭和59年 3月 神戸大学経営学部経営学科卒業」と掲載されています(※6)。

先述の通り高市早苗さんは1961年3月7日生まれ。
昭和59年3月(1984年3月)に大学を卒業したのであれば、どこかで1年浪人や留年をしていることになります。
高校まではストレートで卒業しているのは先述の通りですから、大学受験時に留年したか、大学在学中に留年したかのいずれかでしょう。

※6:第2次安倍改造内閣 閣僚等名簿(国会図書館保存のもの

※※※

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