石破茂の妻は高学歴で元丸紅社員。学歴経歴がわかる記事。


この記事では、石破茂さんの妻の名前や経歴を公開された情報をもとに紹介しています。

※2024年9月25日投稿、最終更新日はタイトル下参照

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家族構成

夫:石破茂
妻:佳子
長女:
次女:

石破茂さんは1983年に結婚しました(※0)。
妻の名前や娘が2人いることは妻自身が現代ビジネスの記事(※1)内で明かすなど公表されています。

※0:プレジデントオンライン2024年9月11日配信記事「なぜ田中角栄は「人の心をつかむ天才」になれたのか…石破茂の結婚披露宴で角栄が語った”スピーチの中身”」
※1:現代ビジネス2024年月21日配信記事「石破氏との結婚生活で「後悔していること」とは…噂の美人妻が語る、石破茂「もうひとつの素顔」」

 

妻の実家

石破茂さんの妻・佳子さんの父親は元昭和電工(現:レゾナック)取締役の中村明さん(佳子さんは次女)
父親は新潟出身です。

 

根拠

佳子さんの父親の名前や肩書は株式会社国政情報センターHP掲載の国会要覧の内容見本内に掲載された衆議院議員親族一覧に掲載されています(※2)。
親族について回答のあった議員のみ掲載と注釈がされていますから、こちらも公表された情報とみていいでしょう。

 

父親の出身地は石破茂さんの著書「保守政治家 わが政策、わが天命」(講談社)に掲載されています。
プレジデントオンライン掲載の同書からの引用(※3)によると、石破茂さんは妻と交際していた時に田中角栄さんから別の女性との縁談を持ちかけられたそう。
妻(当時は交際相手)の勤め先が田中角栄さんと因縁のある企業(詳細は後述)であったこともあり田中角栄さんの機嫌を損ねそうになるも、彼女の父親の出身地が田中角栄さんの地元新潟であったため事なきを得、無事結婚することができたそうです。

 

※2:国会要覧 内容見本P.393(internet archive
※3:プレジデントオンライン2024年9月11日配信記事「なぜ田中角栄は「人の心をつかむ天才」になれたのか…石破茂の結婚披露宴で角栄が語った”スピーチの中身”」

 

妻の経歴1:学歴

石破茂さんの妻・佳子さんは慶應義塾大学法学部法律学科を卒業しています(在学期間:1975年4月~1979年3月)。
石破茂さんとは慶應大学時代の同級生でした。

 

根拠

石破茂さんは著書「保守政治家 わが政策、わが天命」(講談社)内で奥さんが大学の同級生である旨明かしています。
以下はプレジデントオンラインの記事に掲載された同書からの引用からの引用。

田中角栄首相は今も根強い人気がある。なぜ彼は人を惹きつけるのか。角栄を師と仰ぐ自民党元幹事長・石破茂氏の自著『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社、倉重篤郎編)より、2人のエピソードを紹介する――。

1983年はまた、私が結婚した年でもあります。ここで結婚にまつわる角栄先生とのエピソードもご紹介しておきましょう。
木曜クラブの事務所に入ってしばらく経ったころ、角栄先生に呼ばれて、こんなお話をいただきました。
「君には嫁がいないじゃないか。そしてそもそも君のうちには金がない。ついては、新潟の建設関係のお嬢さんで、いいのがいる」
これには慌てました。私には、どうしても結婚したいと思いながら付き合っている人がいたからです。ものすごくご機嫌を損ねるだろうと思いましたが、言わないわけにはいきません。
「も、申し訳ありません。じ、実は、大学の同級生で一緒になりたいと思っている人がおりまして
…(中略)…
その後、私は無事にその彼女と結婚できることになり、結婚式は83年9月22日、ホテルニューオータニで挙げることになりました。
※プレジデントオンライン2024年9月11日配信記事「なぜ田中角栄は「人の心をつかむ天才」になれたのか…石破茂の結婚披露宴で角栄が語った”スピーチの中身”」より引用

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大学名や学部学科名は、女性自身が配信した妻・佳子さんのインタビュー記事内に掲載されています。
記事では馴れ初めや結婚までの経緯も明かされています。

石破議員のことを誰よりもよく知る佳子さん。じつはメディアの単独インタビューを受けるのは今回が初めてだ。“お堅い”イメージのある石破議員とは対照的に、よく笑うユーモアに富んだ佳子さん。夫・石破茂について、そして政治家・石破茂について語ってくれた。
石破議員と佳子さんは大学の同級生。’75年、2人は慶應義塾大学法学部法律学科に入学。1年生のとき、第2外国語でともにドイツ語を選択し、同じ授業を受けたのが出会ったきっかけ。大学2年の後期試験の前に、石破議員が開催した勉強会をきっかけに徐々に会話をするようになった2人。学校帰りにお茶を飲みに行ったり、週末にはドライブに行く仲に。
卒業後、石破議員は銀行員、佳子さんは総合商社に就職することが決まる。2人の関係は一時途絶えたが、それから約3年後に再会。互いの勤務先が東京・日本橋と竹橋であることが発覚し、会社の近くで一緒にランチを食べたり、デートをするようになった。
2人の交際は順調に進み、’83年9月に結婚する。結婚を機に、佳子さんは石破議員の地元、鳥取に移り住んだ。
※女性自身2018年9月5日配信記事「石破茂議員の妻が語る「嘘をつかない夫を私は信頼しています」」より引用

 

妻の経歴2:職歴

石破茂さんの妻・佳子さんは大手総合商社の丸紅株式会社に務めていました。
1983年に石破茂さんと結婚した際に退職したと思われます。

 

根拠

妻が丸紅に勤めていたことは、石破茂さんが著書「保守政治家 わが政策、わが天命」(講談社)内で明かしています(※4)。

1983年の結婚時に退職したことは、先述の女性自身配信の妻佳子さんのインタビュー記事に、「結婚を機に、佳子さんは石破議員の地元、鳥取に移り住んだ」と書かれていることから推測できます。
石破茂さんも1983年に三井銀行を退職し、1986年には衆議院議員に当選しています(石破茂公式ホームページ参照)。

 

※4:著書の妻の勤務先に関する記述(プレジデントオンラインからの孫引き)、丸紅は田中角栄氏が受託収賄と外為法違反で逮捕され有罪となったロッキード事件の関与会社

田中角栄首相は今も根強い人気がある。なぜ彼は人を惹きつけるのか。角栄を師と仰ぐ自民党元幹事長・石破茂氏の自著『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社、倉重篤郎編)より、2人のエピソードを紹介する――。

1983年はまた、私が結婚した年でもあります。ここで結婚にまつわる角栄先生とのエピソードもご紹介しておきましょう。
木曜クラブの事務所に入ってしばらく経ったころ、角栄先生に呼ばれて、こんなお話をいただきました。
「君には嫁がいないじゃないか。そしてそもそも君のうちには金がない。ついては、新潟の建設関係のお嬢さんで、いいのがいる」
これには慌てました。私には、どうしても結婚したいと思いながら付き合っている人がいたからです。ものすごくご機嫌を損ねるだろうと思いましたが、言わないわけにはいきません。
「も、申し訳ありません。じ、実は、大学の同級生で一緒になりたいと思っている人がおりまして
角栄先生は、へー? という顔をして、詰めてきました。
「何だ、それは。どこに勤めているんだ」
ここで私は窮地に立ちました。彼女の勤め先は、あのロッキード事件の渦中にあった丸紅だったからです。「商社です」とごまかそうかと一瞬思いましたが、この先それで通しきれるはずもありません。仕方なく、さらに小さくなりながら、正対してきちんと(いえ、もしかしたら逃げ腰だったかもしれませんが)「ま、丸紅です」と答えました。
…(中略)…
妻の職場は丸紅でしたから、角栄先生が出席される結婚式に一体誰を招待したらいいか、相当議論があったようです。来てくださった丸紅関係者の皆さんは、角栄先生がスピーチで一体何を話されるのか、戦々恐々としていました。角栄先生は、先ほどの私とのエピソードをスピーチに織り交ぜてお話しになりました。
「石破君にはもう決まった女性がいるという。誰だと聞いたら『丸紅の女性』だと。何っ? 丸紅? しかし、丸紅はいい会社だ。うん、私のことがなければもっといい会社だ」
これは会場を大いに沸かせ、丸紅の皆さんからも笑顔が見えました。角栄先生のすごさが垣間見えるスピーチでした。
※プレジデントオンライン2024年9月11日配信記事「なぜ田中角栄は「人の心をつかむ天才」になれたのか…石破茂の結婚披露宴で角栄が語った”スピーチの中身”」より引用

 

まとめ

石破茂さんの妻の経歴は以下の通り。

名前:石破佳子(元昭和電工(現:レゾナック)取締役中村明の次女)
学歴:慶應義塾大学法学部法律学科(1979年3月卒)
職歴:丸紅株式会社(1983年退職?)

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