小栗旬の父親小栗哲家(画像有)の大学~現在まで。


この記事では、小栗旬さんの父親・小栗哲家さんの大学卒業から現在までを公私にわたり紹介しています。

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父親は舞台監督・小栗哲家

小栗旬さんの父親はオペラの舞台監督等として活躍する小栗哲家さんです。

これは小栗旬さん自身もたびたびメディアで言及しています(後述の2020年11月30日放送の「深イイ話」など)。

 

経歴

後述の参考文献によると

小栗哲家さんは1949年3月13日愛知県生まれ。

大学(※1)卒業後はアパレルショップ店員として就職することが決まっていたものの学生運動の影響で内定取り消しになったため知り合いの紹介で名古屋の照明会社に就職しました。

※1:ネット上には名城大学との情報も見られるが出典は不明

 

後述のように奥さんと出会ったものこの会社の仕事中だったようですが、小栗哲家さんは会社の方針に疑問を感じ2年ほどで退社。

ちょうどその頃知人から手伝いを頼まれたことでオペラと出会い、24歳(1973年頃)の時に上京して舞台助監督に転身しました。

 

当初の舞台の仕事の給料は1万円、友人の家でアルバイトをしながら生活していましたが、

27歳の時に大御所オペラ演出家・栗山昌良さんに関西二期会「アルバート・ヘリング」の舞台監督に抜擢されると、以後同氏のオペラ公演の舞台監督として呼ばれるようになりました。

 

その後も小栗哲家さんはロイヤルオペラハウス(ロンドン)、ウィーン国立歌劇場など有名海外劇場の引っ越し公演も多数手がけるなど国内外で活躍し、オペラ界では知らぬ人のいない存在に。

また、愛知県芸術文化センターや新国立競技場などの劇場設計アドバイザーも務めています。

2017年時点では、兵庫県立芸術文化センターの、オペラやクラシックコンサートのプロデュースを中心に活動していたようです。

※息子・小栗旬さんとの共演についてはこちら

 

2017年に第27回新日鉄住金音楽賞特別賞を受賞した際には選考委員に以下のように評されていることからもその偉大さはわかるのではないかと思います。

【贈賞理由】

音楽がステージという場所に関わる時、そこに小栗哲家さんがいるかどうかで、関係者すべての心理が変わる。すなわち、小栗さんがいれば、その時必要なすべての要素に安心という文字が刻印されるのである。真の意味の、プロフェッショナル。しかも単身にとどまらず、舞台監督のプロ集団の総帥として後進の育成にも力を発揮してきた。この賞にこれほどふさわしい人物はいない、と考える。

※日本製鉄HP掲載PDF「第27回 新日鉄住金音楽賞受賞者決定のお知らせ」より引用

※参考文献
・日本製鉄HP掲載PDF「第27回 新日鉄住金音楽賞受賞者決定のお知らせ」
・GQ2017年4月22日配信記事「仕事で得た約40年前の感動は、いまでも鮮明に覚えている──オペラ、クラシック・プロデューサー 小栗哲家」

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家族

夫婦の出会い

小栗哲家さんと妻・昇子さんは1971年or1972年に名鉄ホールで行われた劇団飛行船によるムーミンの舞台で知り合ったようです。

小栗哲家さんが照明係、昇子さんはムーミン役で出演していました。

 

これは以下の小栗家の人々のコメント等から推測でできます。

※長男・小栗了さんのコメント

小栗:実は僕、ムーミンベイビーなんです。というのは、父(舞台監督・小栗哲家さん)と母の出会いがムーミンのキャラクターショウだったんです。母はムーミン役で踊っていて、父は裏方としてショウに携わっていました。

※Cocotame2020年3月11日配信記事「ムーミンの物語が伝える普遍性や多様性――そこから見えてくる『ムーミンバレーパーク』の未来【前編】」より引用

俳優・小栗旬(38歳)の父・哲家さんが、11月30日に放送されたバラエティ番組「深イイ話」(日本テレビ系)に出演。母・昇子さんと“ムーミン婚”であると紹介された。

現在、国内外のオペラを手掛ける舞台監督として活躍している哲家さんだが、「劇団飛行船」によるムーミンの全国公演名鉄ホールで行われた時、照明係をしており、その舞台に出演者として小栗の母・昇子さんがいたという。

哲家さんは「暇なものですから、僕らは。(演者を)手伝ったり。それがカミさんだっただけの話です」となれ初めを披露。

※ナリナリドットコム2020年12月1日配信記事「小栗旬、両親は“ムーミン婚”だった」

 

これら記事からは公演の時期はわかりませんが、

小栗哲家さんは2017年のGQJapan記事(※1)内で、大学卒業後に照明会社に就職したこと、24歳で上京した頃には既に奥さんと付き合っていたこと、などを明かしています。

小栗哲家さんは1949年3月生まれですから二人が出会った舞台は1969年から1973年頃に行われたものでしょう。

※1:GQJapan2017年4月22日配信記事「仕事で得た約40年前の感動は、いまでも鮮明に覚えている──オペラ、クラシック・プロデューサー 小栗哲家」参照

 

そして名鉄ホールでは1971年および1972年(昭和46年47年)にムーミンが上演されていたようです。

劇団名はわかりませんが、このいずれかの可能性が高いのではないかと思います。

名古屋の名鉄ホールの閉館が決まったらしい。

…(中略)…

上演記録は以下の通り

…(中略)…

昭和46年

…(中略)…

8月 5~11日 こども劇場「ムーミン谷の仲間たち」

…(中略)…

昭和47年

…(中略)…

26~1日 夏休みムーミンまつり「ムーミンの風船旅行」

※https://theater-angel2.blog.ss-blog.jp/2015-01-27より引用

 

子供

小栗哲家さんと妻・昇子さんの間には

・長男:小栗了(1976年生まれ)

・長女:  麻梨

・次男:小栗旬(1982年生まれ)

と3人の子供が誕生しています。

※長女の名前は2015年3月13日放送の「a-studio」(TBS)参照

 

小栗旬さんの俳優としての活躍は周知の事実と言っていいと思いますが、

長男の小栗了さんも芸能関係の仕事に携わっています。

小栗了さんは俳優として活動した後、2006年に小栗哲家さんのアートクリエーションに入社。

2007年には同社の系列イベント制作会社NACの取締役に就任し、イベントの企画演出など幅広く活動しています(所属事務所ファイズマン エンターテインメントHP参照)。

また、2020年11月30日放送「人生が変わる1分間の深イイ話」(日本テレビ)によれば、

長女の麻梨さんもかつては衣装の仕事をしていたようです。

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