市川猿之助の家系図は市川海老蔵なくして存在しない?市川宗家の恩人でもあるが…


市川海老蔵さんと市川猿之助さんは共に歌舞伎役者で同じ「市川」ですが、二人に血のつながりはありません。

しかし、市川海老蔵さんの家系は市川猿之助さんの家系の始まりに大きく関与しており、

また、市川猿之助さんの家系も市川海老蔵さんの家系の苦境に多大な貢献をしていたよう。

この記事では、歌舞伎界外においても活躍する二人の家系の関係を解説します。


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市川海老蔵の家系図

初代

「市川海老蔵」というのは歌舞伎の超名門・成田屋の名跡の1つ。

現在(2020年7月末)活躍している市川海老蔵さんは「十一代目市川海老蔵」です。

 

成田屋の有名な名跡には市川海老蔵の他に「市川新之助」、「市川團十郎」などもありますが、

その中でも「市川團十郎」は成田屋のみならず歌舞伎役者の名跡の中でも最も権威あるものとされています。

 

Wikipadiaによれば、初代市川團十郎(本名:堀越海老蔵)は幼少期より近所の芝居小屋に潜り込む芝居好きで、12歳で芝居の道に入ると14歳の時(1673年)に初舞台を踏んだそう。

当初は初代市川海老蔵を名乗っていましたが、1675年に市川團十郎を名乗りました。

初代市川團十郎は歌舞伎における荒事(荒々しく豪快な演技)の創始者であり、

これが絶大な人気を得たことで江戸歌舞伎の頂点に君臨する市川宗家の基礎がつくられました。

 

現在

十二代目市川團十郎さんは2013年に亡くなっており、現在團十郎はいません。2022年に十一代目海老蔵が十三代目團十郎を襲名。

2020年7月末時点で成田屋の当主はその息子である十一代目市川海老蔵さんです(小林麻央さんと結婚したあの海老蔵さんです)。

近年の成田屋の当主はキャリアを重ねるにつれ(市川新之助→)市川海老蔵→市川團十郎と襲名を繰り返していますから、現在の(十一代目)市川海老蔵さんも近い将来十三代目市川團十郎を襲名するでしょう。

 

当主不在時代と猿之助

歌舞伎の名家は先祖代々血縁の長男に受け継がれているイメージが強いですが、

成田屋のHPに掲載された市川團十郎家系図を見ると、実は養子が團十郎を継ぐケースが多いよう。

最後の團十郎は現在の(十一代目)市川海老蔵さんの実父・十二代目市川團十郎さんですが、

三代目、四代目、六代目、七代目、十代目(婿養子)、十一代目の6人は養子であり、

初代を除く11人のうち半分以上が先代の実子ではないようです(養子は同じく歌舞伎の名家である松本家から迎えることが多い)。

 

その中でも十代目市川團十郎は、九代目の長女との恋愛結婚の末婿養子として市川宗家に入り、

銀行員から29歳で役者に転身した異色の人物。

役者としての評価こそ芳しくなかったものの、九代目が後継者を残さず亡くなった後の市川宗家の権威を守り抜くため苦心し、その功績が称えられ死後十代目市川團十郎を追贈されました。

初代市川猿之助は、この九代目が後継者を得ぬまま亡くなった時代に一門に多大な貢献をした人物です。

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市川猿之助の家系図

初代

市川海老蔵さんの成田屋が江戸時代初期に始まったのに対し、

「市川猿之助」と「市川段四郎」を宗家名跡とする澤瀉屋(おもだかや)は明治時代にスタートした比較的新しい家系です。

 

Wikipediaによれば、

後に初代市川猿之助となる喜熨斗龜次郎(きのしかめじろう)は1855年、江戸浅草に立師の子供として生まれました。

亀次郎は4歳の頃(1859年)に十三代目市村羽左衛門の門人となり15歳頃(1870年)に九代目市川團十郎の門下に入るも、

無断で『勧進帳』の弁慶を演じたことが師・九代目市川團十郎の逆鱗に触れ破門に。

しかし、その後も芸を磨き続け約20年後の1890年に破門を解除されると、それを機に初代市川猿之助に改名。

つまり、市川猿之助家は市川海老蔵さんの先祖・九代目市川團十郎の弟子筋です。

師に許された初代市川猿之助はその後も芸を磨き続け、ついには市川一門の番頭格にまでなりました。

また、先述の九代目市川團十郎の死後の後継者不在の期間には、二代目市川段四郎を襲名し一門の代表格として苦境を乗り切ることに専念。

市川宗家に多大な貢献をしています。

 

現在

初代市川猿之助に始まる澤瀉屋は「市川猿之助」と「市川段四郎」を宗家の2大名跡として現在まで続いています。

現在の市川猿之助はソルマックのCMやドラマ「半沢直樹」でもおなじみの四代目。

当代市川段四郎はその父親です。

 

ちなみに、俳優の香川照之さんは三代目市川猿之助の息子であり、四代目市川猿之助のいとこにあたります【詳細を読む】

香川照之さんは三代目の長男でありながら両親の離婚により歌舞伎役者となることなく成人し、澤瀉屋の後継者問題(※)から自身の息子と共に40代で歌舞伎役者となりました【詳細を読む】

※四代目猿之助の次の世代の血縁が香川照之さんの息子しかいなかった

その経緯はどことなく後継者なき市川宗家の婿養子として29歳で銀行家から歌舞伎役者に転身した十代目市川團十郎を思わせます。

香川照之さんも同様に死後猿之助または段四郎を追贈される可能性もゼロではないのでしょうか。

 

まとめ

少し話が脱線しましたが、(四代目)市川猿之助さんの家系と(十一代目)市川海老蔵さんの家系(團十郎家)の関係は

・初代市川猿之助が九代目市川團十郎の弟子

・初代猿之助は一度は破門になったが破門解除後は番頭格なった

・初代猿之助は九代目死後の後継者不在の團十郎家を支えた

 

その後の猿之助家と團十郎家の関係は、三代目市川猿之助襲名を澤瀉屋が團十郎側に話を通さずに行ったことにより悪くなったこともあったようですが、

現在は(十一代目)市川海老蔵さんが三代目市川猿之助さんに指導を受けるなど、その関係は悪くないようです。

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