岸谷五朗の学歴(小中学校高校大学)がわかる記事。


この記事では、岸谷五朗さんの学歴に関する噂を検証しています。

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小学校(1971年4月~1977年3月)

岸谷五朗さんは武蔵野市立大野田小学校に通っていたといわれています。
小6時に他校へ転校したとの情報もあるよう。
演劇に興味を持ったのも小学校の時だったようです。

 

根拠

武蔵野市出身であることは、岸谷五朗さんのインタビュー記事等に掲載されています。

武蔵野で生まれ育った岸谷五朗にとって、新宿は憧れの街だった。
「いつか西新宿の高層ビルが見える部屋に住んで、バーボンを飲んでやるぞって思ってました」。

※2018年9月14日配信記事「俳優・岸谷五朗、街を呼吸する。第12回 新宿」より引用

※記事URL
-https://asm.asahi.com/article/11814787

 

学校名について本人発信の情報は見当たりませんでしたが、これが定説となっているよう。
例えば武蔵野市立大野田小学校のwikipediaにも著名な卒業生として岸谷五朗さんの名前が挙がっています。

また、mixiの武蔵野市立大野田小学校のコミュニティには以下のような書き込みがみられました。

岸谷五朗くんと同じクラスでした。
彼は6年のとき転校しちゃったので、卒業はしてないんですけどね・・・・

※mixiホーム>コミュニティ>地域>武蔵野市立大野田小学校>トピック一覧>大野田出身の有名人… より引用

※ページURL
-https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=144665&id=20352972

 

自身の小学校時代について、岸谷五朗さんは2023年のインタビュー記事内で以下のように語っています。

―幼い頃はどんな子どもでしたか?
幼い頃は小学校の先生に、通信簿に「明朗活発活動家」って書かれていました。いつも元気に外で遊んで、運動神経もたいそう良かったので。
―リーダー的存在な感じでしたか?
かもしれないですね。ずっとリレーの選手でした。
…(中略)…
―小さい頃になりたかったものはありますか?
「正義の味方」って作文に書いてありました。ウルトラマンとか既存のキャラクターではなくて、オリジナルの何かを想像していたのかな。

※HIGHFLYERS2023年1月26日配信記事「「地球ゴージャス」はいつも俺の隣にいて、俳優生活を肩組んで一緒に登ってくれている存在。いつまでも無限の可能性にチャレンジしたい」より引用

 

またエンタステージが2016年に配信したインタビュー記事では、役者に興味を持つきっかけが小学校時代の観劇にあったことも明かされています(※1)。
それによると、小学校の演劇鑑賞教室でミュージカル「冒険者たち」を観たこと、小学校高学年の頃に母に連れられて劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター」を観たこと、後に役者を目指すがきかっけになっていたようです。

※1:エンタステージ2016年5月26日配信記事「「『ラディアント・ベイビー~キース・ヘリングの生涯~』演出の岸谷五朗にインタビュー!「自分の人生をすべて“突っ込む”つもりで創っています」」
-https://enterstage.jp/articles/40150

 

中学校(1977年4月~1980年3月)

岸谷五朗さんは武蔵野市立第四中学校に通っていたといわれています。

 

根拠

これは定説となっているようで、武蔵野市立第四中学校の学校だよりにも掲載されています。

四中卒業生といえば、来年の NHK 大河ドラマに出演する、岸谷五朗さんという俳優さんもいらっしゃいます。

※武蔵野市立第四中学校学校だより「四中だより」2023年12月号(2023年12月1日発行)(Internet Archive)より引用

武蔵野市HPによれば、同校は先述の岸谷五朗さんが通っていたといわれる武蔵野市大野田小学校の進学先でもあります(小6時に転校したというmixiの書き込みは気になりますが…)。

 

自身の中学時代を岸谷五朗さんは以下のように語っています。

―中学、高校の頃はどのような生活を送ってきましたか?
明朗活発活動家の小学生が中学に上がり、少し大人になったんで遊ぶ時間が増えて、日が落ちても外で元気に遊んでました。でも、自分は小学校の時と同じ明朗活発活動家の気持ちで遊んでいるのに、同じことを中学生になってやっていると、まわりからは「あの子、不良ね」って言われるようになって。夜遅くまで遊んでいると世間は不良って呼ぶんだなって、勉強になりました。

※HIGHFLYERS2023年1月26日配信記事「「地球ゴージャス」はいつも俺の隣にいて、俳優生活を肩組んで一緒に登ってくれている存在。いつまでも無限の可能性にチャレンジしたい」より引用

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高校(1980年4月~1983年3月)

岸谷五朗さんは東京都立小平高等学校に通っていたといわれています。

 

根拠

2025年8月時点でネット上に公開されている本人または学校発信の情報は見当たりませんが、小平高校説は定説となっているよう。
例えばwikipediaを見ると、岸谷五朗さんのページに「東京都立小平高等学校卒業。」、東京都立小平高等学校のページの「著名な出身者」の欄に岸谷五朗さんの名前が挙げられています(いずれも出典情報はなし)。

 

俳優を目指そうと思ったのは高校卒業の頃だそう。岸谷五朗さんは当時のことを以下のように語っています。

―プロになろうと思ったのは?
高校を卒業する時に自分が何をして生きていくかって自問自答して、一生辞めない一つの仕事を追求したいって思ったんですね。すると、その時まで点と点だった演劇が突然ブーンと線で結ばれて、「そうだ、俺は俳優になるんだった」って降りてきたんですよ。役者になってみよう、とか、挑戦してみよう、じゃなくて、「俺は舞台俳優になるんだった、忘れてた」っていう感じだったんです。降りてきてそこに気付いた瞬間から、もう今です。ずっと目もくれず演劇をやってきました。

※HIGHFLYERS2023年1月26日配信記事「「地球ゴージャス」はいつも俺の隣にいて、俳優生活を肩組んで一緒に登ってくれている存在。いつまでも無限の可能性にチャレンジしたい」より引用

 

大学(1983年4月~?)

岸谷五朗さんは中央大学商学部に進学するも中退したといわれています。
大学在学中に三宅裕司さん主宰の「劇団スーパー・エキセントリック・シアター」に入団し俳優としてのキャリアのスタートしました。

 

根拠

中央大学に通っていた時期があることは、中央大学HPに社会をリードする中央OB・OGとして岸谷五朗さんの名前が挙げられていたことからわかります。
2025年8月時点でページ自体は削除されているようですが、検索にはヒットしていました。

※検索結果の画像

 

 

また、各種メディアにも学部や中退したことが記載されています。

 

※商学部

中央大学商学部2年の時に、三宅裕司が主宰する劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)のオーディションを受けて入団。

※KINENOTE掲載岸谷五朗プロフィールより引用

 

※中退

大学を中退し、三宅裕司が主宰する「劇団スーパー・エキセントリック・シアター」に入団したことで演劇人生がスタートした。
「演劇を始めて39年。小劇場でも今回の大きな舞台でも、魂を込めて作り上げることは変わらないです。初心に返される思いがしています。(来年迎える)40周年という区切りの前に、初心に返されたことはとても良かったと思います」

※日刊スポーツ2023年2月16日配信記事「岸谷五朗 関西弁でシェークスピア、「ヴェニスの商人」高利貸が主役「歌うシャイロック」」より引用

 

中退理由を明言してるものは見当たりませんが、役者業が理由であることは想像に難くないでしょう。

―プロになろうと思ったのは?
高校を卒業する時に…(中略)…「そうだ、俺は俳優になるんだった」って降りてきたんですよ。…(中略)…
―降りてきて、まずどういうアクションを起こしたんですか?
降りてきちゃったものですから、大学に行って学生演劇をやるつもりは全然なくて、プロにならなきゃと思って、焦ってオーディションを受けようとして、作品を一本も観たことがないのに、SET(劇団スーパー・エキセントリック・シアター)のオーディションを受けたんですよ。その時に「 作品は一本も観てません。でもプロのところで演劇をやりたくて来ました」って、正直に目の前に並んでいた幹部の人たちに言って合格しました。当時はSETがすごい上り調子の時で、100人以上受けてたった3人しか受からないのに、そこにまだ19歳の素人の俺を入れてくれたのは感謝ですね。

※HIGHFLYERS2023年1月26日配信記事「「地球ゴージャス」はいつも俺の隣にいて、俳優生活を肩組んで一緒に登ってくれている存在。いつまでも無限の可能性にチャレンジしたい」より引用

※※※

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