水上恒司の創成館高校までの野球歴がわかる記事。


この記事では、俳優・水上恒司さん(元・岡田健史さん※)の小学校から高校までの野球歴を紹介しています。
※2022年9月に活動名義を「岡田健史」から本名の「水上恒司」に変更、以下の内容は岡田健史時代のインタビュー記事等も参照しています。

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小学校時代(2006年4月~2012年3月)

水上恒司さんは小学校2年生のときに野球をはじめ、福岡県にあるヤング福岡ライナーズ小学部に所属していたといわれています。
小5の頃から捕手・投手として多くの試合に出場していたよう。
全国大会(アンダーアーマーカップ第2回全国小学生硬式野球交流大会)出場経験もあるようです。

 

根拠

野球を始めて時期は本人が各所で語っています(以下は岡田健史時代のインタビュー記事)。

小2から野球を始めたのは、野球経験者だった父の影響です。母は想像力旺盛な人で、ジブリやトムとジェリー、ピングーなど、いろんなアニメを観せてくれました。その影響で、僕も小学生の頃、男の子には珍しく人形遊びが好きだったんです。棚や机を舞台にして『ワンピース』や『北斗の拳』の戦いを想像し、自分の世界に入り込んでいました」

※FRAU2019年6月12日配信記事「漫画家・折原みとが岡田健史インタビューで直面した「成長著しい姿」」より引用

 

所属チーム名については本人がチーム名に言及した等の決定的な根拠は見当たりませんが、一致する情報はいくつか見られます。

例えば、ヤング福岡ライナーズ小学部のホームページ(https://www.ikz.jp/hp/raina/)に掲載された水上恒司さん小5小6時代(2010年度2011年度)の試合結果を見ると、「水上」という選手が捕手や投手として多くの試合に出場していたことが確認できます。

また、水上恒司さんは小学校時代に全国大会で西武ドームに行った旨明かしています(記事は岡田健史時代のもの)。

また、岡田にとって一番の所沢の思い出は、小学生のころ野球の全国大会で行った西武ドーム(現メットライフドーム)だという。
「青春の思い出の土地ですね。自然がいっぱいあったのを覚えていて、自然が好きな僕にとってはすごく魅力的なところでした。…(以下略)。」

※WalkerPlus2020年7月17日配信記事「「小学生のころ野球の全国大会で西武ドームに行きました」人気俳優、岡田健史と埼玉県所沢市の意外な接点とは?」より引用

 

ヤング福岡ライナーズ小学部HP掲載の水上恒司さん小6時(2011年度)試合結果を見ると、2011年8月21日22日に「第2回アンダーアーマーカップ」で千葉県・兵庫県のチームと戦っていることがわかります。

この大会の正式名称は「全国小学生硬式野球交流大会 アンダーアーマーカップ」。
2011年開催の第2回大会は西武ドームで行われていました(wikipedia「全国小学生硬式野球交流大会」参照)。

 

中学校時代(2012年4月~2015年3月)

水上恒司さんは小学校時代に続きヤング福岡ライナーズに所属していたといわれています。
当時はプロ野球選手を目指しており、中学3年生の頃は怪我でボールを投げられなかったものの、後述のように中学卒業後は野球強豪校に特待生として入学しています。

また中学1年生ときに後に「岡田健史」としてデビューすることとなる事務所に初めてスカウトされ、断った後も定期的に事務所からコンタクトがあったようです。

 

根拠

所属チーム名に関する本人発信の情報は見当たらず、またヤング福岡ライナーズ(中学部)HPにも水上恒司さんが中学生だった時期の試合結果も掲載されておらず、決定的な根拠は見当たりませんが、小学部HPトップページに「小学部、中学部、一貫の環境です。」とあること、小学部からそのまま中学部に上がった可能性が高いのではないかと思います。

 

中3時の怪我については本人が岡田健史時代のインタビューで語っています。

「…(中略)…高校入学前に1年間、ケガでボールを投げられないことがありました。野球を辞めようと思ったこともあったけれど、そんな人間でも、こうやって違うフィールドで頑張っています。この姿を通して、そんな思いを感じてくれたらいいなと思います」

※Numero2020年10月15日配信「岡田健史インタビュー「何を全力でやってきたのか、そこに大きな価値がある」」より引用

 

当時プロを目指していたことも本人が各所で明かしています。

父の影響で、小学2年生の頃に野球を始めました。放課後は毎日練習で、学校以外の時間はほとんど野球漬け。中学生のときにはプロ野球選手を目指していました。

※朝日新聞デジタル2023年7月4日配信有料記事「「甲子園本気で目指した」水上恒司さん 野球で得たもの、俳優でも糧」無料冒頭部分より引用

 

後の芸能界入りにつながる中1時のスカウトについてはFRAU2019年6月12日配信記事「漫画家・折原みとが岡田健史インタビューで直面した「成長著しい姿」」などに書かれています。

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高校時代(2015年4月~2018年3月)

水上恒司さんはプロ野球選手を目指すべく長崎県の野球の強豪・創成館高校特待生として入学し、同校野球部で捕手・副主将を務めました。
同校を選んだ理由はプロになるためには甲子園出場が必須と思ったことと同校の全校応援に惹かれたこと。
水上恒司さんの世代(2017年)は県大会ベスト8まで進んでいます。

 

根拠

これらは本人が各所で語っています。

※学校名、特待生、長崎県ベスト8

水上:…(中略)…僕は特待生として高校に入学して、色々な面で優遇して頂いてたんですよ。恵まれた待遇を受けて甲子園を目指していたのに、僕たちの代は長崎県大会ベスト8で終わってしまったんです。…(中略)… でも、球場で親の顔を見つけたときに涙が急に出てきて。今まで道具代とか怪我の治療代、心配もたくさんかけましたし。それに加えて、野球の技術以外の部分、人としての生き方みたいなものを学校ではたくさん教えてもらって、創成館高校に行って良かったなってずっと思ってたんです。

※文春オンライン2022年11月5日配信記事「≪進んだ道を正解にしていくのが人生≫長崎でプロ野球選手を目指していた少年・水上恒司が『中学聖日記』で輝きを放つまで 水上恒司特別インタビュー#3」より引用

 

※創成館高校を選んだ理由

中学生のときにはプロ野球選手を目指していました。甲子園で活躍する姿を見せることが必須だと思い、地元の福岡を離れ、長崎の強豪校に進学することを決めました。
進学先に創成館を選んだのは、中3の秋に長崎県営球場で見た、全校応援に心ひかれたからです。野球部の生徒はもちろん、生徒みんなが一体になって、大声を出していました。「こんな応援をされながら野球をしてみたい!」と思ったのが一番の理由でした。

※朝日新聞デジタル2023年7月4日配信有料記事「「甲子園本気で目指した」水上恒司さん 野球で得たもの、俳優でも糧」無料冒頭部分より引用

 

捕手・副主将であったことはスポーツ紙等に掲載されています。

岡田は今春のセンバツ高校野球に出場予定だった長崎の創成館高校野球部出身。自身は捕手として活躍し、副主将として挑んだ17年の最後の夏は長崎大会準々決勝で敗れ、甲子園出場はかなわなかった。

※スポーツ報知2020年8月5日配信記事「創成館野球部元副主将の岡田健史「負けるな、みんな」球児たちへメッセージ…NHKで甲子園中止の球児を熱演」より引用

 

サイトSPORTS BULLに掲載された2007年(高3時)創成館高校の選手権長崎大会(甲子園の地方予選)の試合結果を見ると、
水上恒司さんは全3試合(2回戦3回戦準々決勝)のうち3回戦にフル出場(4打数2安打1打点)、4回戦は打数ゼロながら出場。
当時の新聞記事からすると控え捕手だったのでしょうか?

 

大学時代(2018年4月)

水上恒司さんは大学入学直後にドラマデビュー作となる「中学聖日記」のオーディションに合格し入学1か月ほどで休学(2年後に中退)したため、大学では野球をやっていません。

もっとも、オーディションの結果次第では野球を続ける可能性もあったことが文春オンラインのインタビューからうかがえます。

水上:大学は野球で選んだんですよ。野球の設備が良かったし、大学生活も経験してみるのもいいかなって。

ただ、大学入学直前くらいのタイミングで『中学聖日記』のオーディションも受けていたので、大学生活を続けるのは結果次第になると思っていました。オーディションに受からなかったら大学に行きながら仕事のある時だけ上京しようかとは思っていました。結果的に『中学聖日記』の主人公の相手役が決まったので一旦上京して。そこからずっと仕事が続いて、休学して2年経った頃に父から電話があって、「もう、いいよな?」と聞かれ、「はい、ごめんなさい。ありがとうございます」と伝え中退を決めました。

※文春オンライン2022年11月5日配信記事「≪進んだ道を正解にしていくのが人生≫長崎でプロ野球選手を目指していた少年・水上恒司が『中学聖日記』で輝きを放つまで 水上恒司特別インタビュー#3」より引用

 

水上恒司の野球歴まとめ

小学校:ヤング福岡ライナーズ小学部
中学校:ヤング福岡ライナーズ?
高校 :創成館高校(長崎県ベスト8)

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