真矢ミキの旦那(夫)西島千博(西島数博)の実家は日本最古のバレエ団兼教室?経歴が凄すぎる!


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女優の真矢ミキさん。

元宝塚の花組トップスターという経歴からのイメージ通り、

「一緒にお酒を飲みたい上司の理想像(女性部門)」(2006年KIRIN調査)

「女性が選ぶカッコいい女性有名人」(2009年オリコン調査)

といったかっこいい女性系のランキングで軒並み上位にランクインしています。

※この記事はインフォちゃんぽんが執筆しました。

しかし他方では「母親になって欲しい女優」(2009年オリコン調査)でも2位に入るなど、

家庭的なイメージも持たれているようです(実際には子供はいませんが)。

 

真矢ミキさんは「母親になって欲しい女優」にランクインする前年に結婚していますが、

それも家庭的な印象を持たれるようになった一員なのかもしれませんね。

結婚で真矢ミキさんの役の幅を広げた(かもしれない?)旦那さんは、どんな人なのでしょうか。 

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旦那はどんな人?

真矢ミキさんが結婚したのは2008年12月22日のこと。

当時真矢ミキさんは43歳でした。

お相手の西島数博(2014年に芸名「西島千博」から改名、読みはどちらも「にしじま かずひろ」)さんは

7歳年下のバレエダンサーです。

 

出会い~結婚まで

真矢ミキさんと西島千博さんは、

2002年の舞台「スターダスト in 上海」で共演したことで出会いました。

もっとも、この時はあくまで友人関係だったそうで

本格的な交際に発展したのは2007年の夏ごろ。

共通の知人との食事会で再会したことがきっかけだったといいます。

※この記事はインフォちゃんぽんが執筆しました。

出会ってから本格交際に発展するまでには5年かかっていますが、

そこから結婚まではあっという間。

本格交際から半年ほどたった2008年の3月に西島千博さんがプロポーズし、

同年12月末に入籍、2009年4月4日に結婚式を挙げています。

 

ちなみに真矢ミキさんは旦那さんについて、

裏表のないまっすぐな人

また、結婚を意識しだしたのは

年下の西島千博さんが自分より精神的に大人だと気づいたとき

と語っています。

 

経歴

真矢ミキさんの旦那西島数博(西島千博)さんはバレエダンサーです。

 

宮崎県日向市に生まれた西島千博さんは

実家がバレエ教室だったこともあり3歳でバレエを始めました。

小学校の昼休みにも踊っているほどバレエが大好きだった西島千博さんはめきめきと頭角を現し

13歳の頃に全国舞踊コンクールで入選するなど国内で実績を重ねます。

 

高校卒業後はフランスに留学

フランス人ダンサーのがっちりした体型にあこがれて食事量を増やしたら太りすぎてしまった、といった失敗もあったようですが、

19歳の時にフランス・カルポー賞国際バレエ・コンクール男性シニア部門第1位を受賞しています。

また、本場のバレエに触れたことで日本のバレエを客観視できたこともその後のステップアップにつながったようです。

※この記事はインフォちゃんぽんが執筆しました。

西島千博さんはその後もヨーロッパやアメリカなどで100を超える公演に出演し、

サンフランシスコバレエ故国際フェスティバルの日本代表に選出されるなど

バレエダンサーとして国際的に活躍。

1994年に日本に帰国するとスターダンサーズ・バレエ団に入団し、2006年までプリンシパルとして活躍しました。

 

また、長瀬智也さん主演の人気ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」(2000年)に出演するなど、

バレエ以外の分野での活動も。

ちなみにこのドラマで演じた「尾崎京一」もフランス帰りのバレエダンサーでした。

 

2016年には西島数博さんが演出と振り付けを担当した「ドラマティック古事記か~神々の愛の物語~」で真矢ミキさんと共演しています。

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実家は日本最古のバレエ教室?

先ほどさらりと触れたとおり、西島数博(西島千博)さんの実家はバレエ教室です。

西島数博さん自身もブログ等でたびたび触れていますが、

この教室は宮崎県日向市にある「伊達バレエ団・バレエスクール」です。

※この記事はインフォちゃんぽんが執筆しました。

同スクールができたのは昭和22年(1947年)

西島数博さんの祖母である伊達小夜子さんが設立した

創立70周年以上のとても歴史あるバレエ教室です。

70周年のアニバーサリーコンサートには西島数博さんも出演していました。

 

こちらのサイトによると

終戦の翌1946年、GHQの後押しがありバレエ復興。

多数のカンパニーのより集まりで東京バレエ団が結成され、公演。

センセーションを巻き起こし、日本バレエ界の転機となる。

 

この後、小牧バレエ団、谷桃子バレエ団、松山バレエ団、

東京シティ・バレエ団、小林紀子バレエ・シアター、

牧阿佐美バレエ団、東京バレエ団など

カンパニーが分離、独立、結成される。

こちらのページには上に名前の出ている日本の有名バレエ団の系譜の図解が掲載されていますが、

西島千博さんが帰国後に入団したスターダンサーズバレエ団が作られたのは1965年。

1946年に創設された小牧バレエ団か独立する形で設立されました。

1947年設立された伊達バレエ団バレエスクールも現存するものとしては最も歴史があるものの1つなのかもしれませんね。

 

ちなみに日向市の文化功労者のページにはバレエの研究普及に貢献したとして

伊達バレエ団の創設者で西島数博さんの祖母・伊達小夜子さんの名前が記載されています。

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