この記事では、野間口徹さんの意外な学歴と、大学卒業からブレイクまでの10年を紹介します。
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参考記事
・YOMIURI ONLINE2014年12月23日配信記事「目立たず、長く、平均点…野間口徹」
・メディアガーデンプレスオンライン2020年1月4日配信記事「ゆかりの芸能人 中信から活躍 輝くふたり」
・NanagoArtPlus掲載「[ようこそ、信州へ #010]野間口 徹さん(俳優)」
・マイナビ転職2019年6月7日配信記事「俳優 野間口徹 ルールや期限を設けると、焦らずに頑張れる」
・朝日新聞デジタル2020年5月4日掲載記事「お父さんは無職になります 名脇役のステイホームな日々」
基本情報
野間口徹さんは福岡県北九州市出身の1973年10月11日生まれ。
親戚には教師が多く、テレビを見ることを禁止するような厳格な家庭に育ったそう。
自身の性格については「子どもの頃から本当にネクラでした。」と語っています。
…以下は野間口徹さんの通った学校や大学卒業後の経歴。
中学校
野間口徹さんは北九州市立永犬丸中学校に通っていたといわれています。
※永犬丸の読み方は「えいのまる」
これは、mixiの北筑高校のコミュニティに、
野間口徹さんと永犬丸中学校で同級生であったという人の旨の書き込みがあること等が根拠となっているようです。
高校
永犬丸中学卒業後、野間口徹さんは福岡県立北筑高校に進学しました。
これは、野間口徹さん自身がツイッターで明かしています。
我が母校、北筑高校。
決勝戦で敗れ甲子園ならず。
僕が通ってた頃より、文武両道っぷりが数段アップしてるらしい。
ともあれ、選手達に大きな拍手を贈りたい。
お疲れ様でした。— 野間口徹🇺🇦 (@nomaguchi_toru) July 28, 2014
サイト「みんなの高校情報」によれば、福岡県立北筑高校の偏差値は57~60。
Wikipediaの同校のページには出身者としてRIZAP創業者・瀬戸健さんなど多数の有名人の名前が掲載されています。
大学
野間口徹さんは高校卒業後、長野県にある信州大学農学部に進学しました。
これは、サイトNanagoArtPlus掲載「[ようこそ、信州へ #010]野間口 徹さん(俳優)」
をはじめ各所で本人が明かしています。
信州大学を受けた理由
先述の通り、野間口徹さんは福岡県北九州市出身。
中学校高校も地元でしたが、長野県の信州大学に進学しています。
その理由について野間口徹さんはサイトNanagoArtPlus掲載「[ようこそ、信州へ #010]野間口 徹さん(俳優)」で以下のように語っています。
せっかくなので信州時代のことをうかがってみたいと思うんです。信州大学を選ばれた理由を教えてください。
野間口 いやぁ理由と言えるのか、失礼な話ですが、センター試験だけで入れるところを探したんです、楽をしたくて。いわゆる共通一次のあとの試験を受けたくなかった。ただ動物が好きだったということもあったので農学部を選んだのと、スキーをやってみたかったのと、そしてできれば親元から遠く離れたかったことです。中途半端に近いところだとちょこちょこ実家に帰ってしまいそうな気がしたので、思いっきり遠くに離れようと思ったんですけど、東京に行く度胸はなかったんで長野県くらいがちょうどいいかなって思ったわけです。
学業と進路
野間口徹さんは大学では「羊に油を与えた時、血中脂肪酸の濃度がどれくらい変わるか」などを研究していたそう。
また、教師の多い家系だったこともあり自分も教師になろうかと漠然と考えていたそうです。
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演劇は大学から
大学1・2年生の頃の野間口徹さんは、河原でクラスメイトとお酒を飲み、アルバイトに明け暮れる、ありがちな大学生活を送っていたそう。
しかし、大学3年生の時に見た演劇をきっかけに演劇サークル「農業文化開発公社」に入部しました。
「信州大学に進学して演劇部の公演を見た時、主役でもないのに一人キラキラ輝いている男の先輩がいたんです。ものすごい衝撃を受け、そのまま演劇部に入ってしまいました」
※マイナビ転職2019年6月7日配信記事「俳優 野間口徹 ルールや期限を設けると、焦らずに頑張れる」より引用
当初はその先輩の手伝いがしたいという動機で入部した裏方志望だったようですが、
人手不足で上がった舞台を誉められたことがきかっけで以後は役者として芝居に没頭。
テレビ禁止の家庭で育った反動も加わり映画を見すぎて留年した、と野間口徹さんは語っています。
また、当時の松本は演劇の街だったそうで野間口徹さんも信州大学の各学部にある演劇部の公演を見に行くなど観劇にも足しげく通っていたようです。
大学卒業後
野間口徹さんは信州大学農学部を5年かけて卒業しました。
実家が教師家系だったこともあり自身も漠然と教師になることを考えていたそうですが、留年するほど演劇に熱中しすぎたせいか教職の単位取得に失敗。
また当時は就職氷河期で野間口徹さんの周囲も就職活動に苦戦していました。
そういった状況もあり野間口徹さんはそうそうに就職をあきらめ、
「演劇がしたいから30歳までは東京で好きにやらせてほしい」と親に相談することに。
猛反対を覚悟していましたが、父親はなぜかこれを了承。
野間口徹さんはすぐに上京します。
上京した直後に舞台のオーディションを受けるも結果は不合格。
その後はアルバイトと観劇の日々が続きますが、26歳の時にバイト仲間と共にコントユニット「親族代表」を結成。
これにより多少舞台に立つ機会が増えたものの、
親との約束もあり30歳までに映像の仕事が入らなければ芝居の道はあきらめよう、と考えていたといいます。
しかし、29歳の時にCMの仕事が決まったため35歳までアルバイト生活を辞められなかったら…期限を延長。
34歳の時にドラマ「SP 警視庁警備部警護課第四係」(2007年)にレギュラー出演したことをきっかけに仕事が急増し、
期限ぎりぎりでアルバイト生活を抜け出すことができました。
また、2015年8月7日放送の「ライオンのごきげんよう」(フジテレビ)によれば、
野間口徹さんは2006年に元女優の女性と結婚。
長男(2006年度生まれ)、長女(年齢不明)、次男(2012年度生まれ)、と3人の子供が生まれています。
奥さんは現在訪問介護の仕事をしているそうです。
※奥さんの現職および子供の人数性別誕生年は朝日新聞デジタル2020年5月4日掲載記事「お父さんは無職になります 名脇役のステイホームな日々」参照
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