この記事では、2世俳優の中でも際立った活躍を見せる三浦貴大さんの学歴と俳優になるまでの経緯を紹介しています。
※2020年5月27日投稿、最終更新日はタイトル下参照
sponsored link
家族構成
父親:三浦友和(俳優:1952年1月28日生まれ)
母親:山口百恵(歌手:1959年1月17日生まれ)
長男:三浦祐太朗(ミュージシャン:1984年4月30日生まれ)
次男:三浦貴大(俳優:1985年11月10日生まれ)
小学校
三浦貴大さんは国立学園小学校(東京都国立市)に通っていたといわれています。
Wikipediaの国立学園小学校のページには、出身者として兄・三浦祐太朗さんと共に三浦貴大さんの名前も掲載されています。
国立学園小学校のHPによれば、同校の児童は全員が中学受験をするそう。
HPには過去5年(2020年5月時点)の中学合格実績も掲載されていますが、
開成中学校(7人)、麻布中学校(5人)、武蔵中学校(7人)など、御三家を含めた最高難易度の中学校にも多くの合格者を輩出しています。
小学生時代はヤンチャだった?
児童全員が中学受験をする進学校に通っていた三浦貴大さんですが、小学校時代はなかなかヤンチャだったよう。
女性自身2017年11月11日配信記事「坂上忍 愛犬いじめられ激怒…百恵さん次男とあった過去の因縁」によれば、
小学校低学年のときに、坂上忍さんの犬に固めた雪をぶつけて坂上忍さんに激怒されたことがあるそうです。
2017年11月10日放送の「ダウンタウンなう」(フジテレビ系)にて当時を振り返り坂上忍さんは
「お兄ちゃんはちゃんとしてたけど、(貴大は)ずる賢い顔してた」とコメント。
三浦貴大さんは「子供だったから全く覚えていない」としつつも「その節はすみませんでした」と謝罪していました。
中学校
三浦貴大さんは成城学園中学校(偏差値52-53)に通っていたといわれています。
※偏差値はサイト「みんなの中学情報」掲載のもの
三浦貴大さんのwikipediaには出典不明ながら成城学園中学校に通っていた旨の記述があること、
サイト朝日マリオン.コム掲載のコラム「オトコの別腹」で、三浦貴大さんは通っていた中学高校の近くにあったという「成城アルプス」という洋菓子店(成城学園中学校から徒歩5分)を紹介していること、
兄・三浦祐太朗さんが中学から大学まで通った成城OBとして成城学園100周年記念サイトにコメントを寄せていること、
などからほぼ間違いないでしょう。
成城学園は創立100年以上の伝統を誇り、幼稚園から大学大学院まで有する一貫校。
幼鳥中高いずれかの系列校に入園入学すれば、原則として受験なしに成城大学まで進学することが可能です。
また、東京屈指の高級住宅街である世田谷区の成城に立地することもあってか、特に成城幼稚園と成城学園初等学校(小学校)は良家の子女の子女が通う学校として有名。
その自由と個性を重んじる校風のためか、出身芸能人も多く、芸能人の子供も多数通っているといわれています【成城学園に通う芸能人の子供一覧を見る】。
高校
三浦貴大さんは成城学園中学校から内部進学で成城学園高校に進学したといわれています。
三浦貴大さんのwikipediaには出典不明ながら成城学園高校に通っていた旨の記述があること、
サイト朝日マリオン.コム掲載のコラム「オトコの別腹」で、三浦貴大さんは通っていた中学高校の近くにあったという「成城アルプス」という洋菓子店(成城学園高校から徒歩5分)を紹介していること、
兄・三浦祐太朗さんが中学から大学まで通った成城OBとして成城学園100周年記念サイトにコメントを寄せていること、
などからほぼ間違いないでしょう。
Zakzak2010年5月26日配信記事「【三浦貴大】三浦友和、山口百恵さん次男「七光」にも甘えず“全力前進”」によれば、
高校時代は水球に打ち込んでいたそうです。
sponsored link
大学
三浦貴大さんは成城学園大学には進学せず、
順天堂大学スポーツ健康科学部に進学し、同学部を卒業しています。
これは、シネマトゥデイ2011年8月5日配信記事「注目の大型新人俳優・三浦貴大、俳優は一生の仕事と男らしい覚悟「死ぬまで続けたいです」」に、
順天堂大学スポーツ健康科学部を卒業している
と書かれていることをはじめ三浦貴大さんのインタビュー等でもたびたび明かされています。
また、学校法人順天堂HP内のメディア掲載情報のページにも、
「順天堂大学OB 三浦貴大」さんの記事が2019年4月26日の東京新聞に掲載された旨書かれています。
wikipeidaによれば、順天堂大学時代の三浦貴大さんは体育会ライフセービング部に所属しインカレで入賞。
ベーシックライフセーバーの資格も取得しました。
大学中退の噂
ネット上では、三浦貴大さんは大学を中退しているのではないか?との噂があるようです。
しかし、先述のように三浦貴大さんは順天堂大学を卒業しています。
おそらくですが、これは後述の志望進路の変遷のエピソードから生まれた誤解なのではないかと思います。
例えば、下記の就活ジャーナル2018年10月26日配信のインタビューで、三浦貴大さんは
もともとは体育の先生になろうと思って、体育大学に入って勉強していたんです。
と語っています。
自身の専攻から順天堂大学を「体育大学」と表現しているのではないかと思いますが、
仮に体育大学中退→順天堂大学スポーツ健康科学部入学であったとしても、同大学を卒業している以上最終学歴は大卒です。
志望進路の変遷
今では役者として活動している三浦貴大さんですが、大学時代は様々な進路を模索していました。
就職ジャーナル2018年10月26日配信記事「三浦貴大さんが俳優になる前に、目指していた職業とは?「方向転換する時は、焦らなくていい」」によると、
大学入学当初の三浦貴大さんは、高校時代にお世話になった体育の先生に憧れ、自分も体育教師になろうと考えていたそう。
そのために教職課程を取っていましたが、大学2年生の頃に自分は教えることがそれほど好きではないと気づき、方向転換を試みます。
次に目指したのは精神保健福祉士。
4年生時には病院実習にまで行ったそうですが、「患者さんとの間に壁をもって自分を守る」という先生方の忠告を守るのは自分の性格的に難しいと感じ断念。
当時4年生だった三浦貴大さんは、そのまま就職することなく大学卒業を迎えます。
卒業後半年ほど実家でじっとしていたそうですが、父・三浦友和さんに「お前、仕事どうするんだ」と問われたことで、改めて将来を考え始めました。
スポニチ2016年1月29日配信記事「三浦貴大“とりあえず”の意識変えた俳優の原点 親子共演は「30代のうちに」」によると、
もしのんびりした性格の自分が給料性のサラリーマンになれば何となく仕事をして何となく人生を終えてしまう、
だから自分から動かなければお金をもらえない職業に就かなければ自分はダメになる、
と考えて行き着いたのは父親と同じ俳優業。
三浦友和さんは2010年の映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」でデビューし、
同作で第34回日本アカデミー賞新人俳優賞および第35回報知映画賞新人賞を受賞。
2020年までに60本以上の映画と40本以上のテレビドラマに出演する売れっ子俳優となりました。
※ミュージシャンの兄・三浦祐太朗さんとの経歴比較は【こちらの記事】をご覧ください
芸能人の学歴の記事を読む
芸能人有名人なのに学歴が高い人一覧まとめ(早稲田慶應上智編)
芸能人の子供の幼稚園・学校の記事を読む
関連記事はこちら
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。