内野聖陽さんの実家は500年の歴史を持つお寺。
実家を継がず俳優の道を選んだことには今でも複雑な思いを抱いているようです。
2021年4月27日投稿、最終更新日はタイトル下参照
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実家はお寺・雲松院
内野聖陽さんは、実家がお寺であることを各所で話しています。
実家はお寺で、そのままいけば父のあとを継いで住職になるはずでした。
※知るぽると掲載内野聖陽インタビュー記事「手間をかければ結果につながる。役づくりの労力は惜しまない」(金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.48 2019年春号掲載)より引用
本人が言及したものは見つかりませんでしたが、
内野聖陽さんの実家は曹洞宗 臥龍山 雲松院(神奈川県横浜市港北区小机町1451)だといわれています。
雲松院のHPによれば、雲松院は1525年頃に建立された非常に歴史ある寺院のよう。
1745年に大火に遭い一度本堂や資料が焼失したようですが、その後の古文書等は現在でもかなり残っているようで、
曹洞宗系の大学である駒澤大学の広報誌Link2013.5 Vol.3に掲載された廣瀬良弘学長のインタビューには、
Q好きな俳優は誰ですか?
内野聖陽さん。若い頃に内野さんの生家(寺)の古文書を調査整理させていただきました。
と書かれています。
内野聖陽さんは雲松院の住職の長男ですが、俳優として活躍しておりお寺は継いでいません。
NEWSポストセブン2013年2月25日配信記事「住職長男内野聖陽 再会した娘の存在で親子3代の関係修復」によれば、
お寺は内野聖陽さんの叔父が継いだそう。
神奈川県のHPに掲載された横浜市宗教法人名簿(令和3年1月1日現在)によれば、
2021年時点の雲松院の代表者は「内野公雄」さんです。
幼少期のエピソード
内野聖陽さんが実家寺院の跡取りとして期待されていたことは先述の通りですが、住職の父親はかなり厳しく内野聖陽さんを育てていたようです。
「毎日、朝御飯を食べる前に”五観の偈”というお経を唱えていました。父は怖くて、足に砂利が刺さるようなところで正座させられたり、げんこつとかのお仕置きがありました」
※MBSサイト2019年3月26日配信記事「「いい意味で役者バカ!?」内野聖陽のこだわり」より引用
また、ザテレビジョン2014年9月7日配信記事「内野聖陽が闘うおやじの姿を熱演!」によれば、
庭にあった鉄棒で「懸垂を30回してからじゃないと夕食抜き!」といわれたこともあったそう。
もっとも、「そういう厳しい部分もあったが優しい人だった」と内野聖陽さんは記事内で語っています。
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中学高校は曹洞宗系
内野聖陽さんは早稲田大学HP掲載のインタビュー記事「キャリアコンパス俳優 内野聖陽 「やりたい」っていう情熱がなかったら、何も生まれて来ない」(1999年7月配信)内で、
僕は中学高校と男子校だったんですよ。
と語っていますが、
通っていたのは東京都世田谷区にある中高一貫男子校・世田谷学園中学・高等学校といわれています。
世田谷学園は進学校(中学偏差値67-70)・スポーツ強豪校としても知られていますが、
そのルーツは内野聖陽さんの実家と同じ曹洞宗の僧侶養成機関であり、現在も高校には仏教専修科があります。
※偏差値は首都圏模試センターHP2021年4月26日掲載のもの
NEWSポストセブン2013年2月25日配信記事「住職長男内野聖陽 再会した娘の存在で親子3代の関係修復」によれば、内野聖陽さんは僧侶の資格を取得し檀家先でお経を読むこともあったそう。
学校選びも将来お寺を継ぐことを前提にしたものだったのでしょう。
大学は早稲田大学
高校卒業後、内野聖陽さんは早稲田大学政治経済学部(偏差値70)に進学しました。
※偏差値はサイト「みんなの大学情報」に掲載(2021年4月26日閲覧)された河合塾提供のもの
早稲田大学HP掲載の内野聖陽さんのインタビュー記事「キャリアコンパス俳優 内野聖陽 「やりたい」っていう情熱がなかったら、何も生まれて来ない」によれば、
内野聖陽さんが早稲田大学に進学したのは、人が敷いたレールの上を歩くのではなくそれぞれ夢を持った人が集まっている大学だと感じたからだそう。
自身も社会正義に生きるジャーナリストに憧れその方向で就職活動をしたこともある旨書かれています。
先のNEWSポストセブンの記事には、親の反対を押し切って早稲田大学に進学した旨書かれていますが、
大学進学当初からこのままお寺を継ぐことに疑問をもっていたようです。
演劇との出会い
内野聖陽さんが演劇に出会ったのも早稲田大学に入ってからでした。
きっかけは英語を身につけようと入会したESSのサークル活動で英語劇をやったこと。
すっかり演じることにはまった内野聖陽さんは、大学時代の思い出=ESSというほどESSでの英語劇に没頭しました。
もっとも、当時の内野聖陽さんはプロの役者を目指していたわけではなく、上記のように就職活動もしていました。
しかし、サークルに没頭しすぎたせいかまさかの留年。
「どうせ1年遊んでるなら」と先輩に勧められて入った文学座での活動が、内野聖陽さんに役者を志す決意をさせました。
母との絶縁と復縁
大学を卒業した内野聖陽さんは俳優の道に進み、1996年の朝ドラ「ふたりっ子」で主人公のライバル兼結婚相手を演じ話題になるなどテレビや舞台で活躍するようになりますが、
NEWSポストセブン2013年2月25日配信記事「住職長男内野聖陽 再会した娘の存在で親子3代の関係修復」によれば、
2002年の父の葬儀の席で「実家の住職を継ぐことはできない」ときっぱり宣言したことで母親と絶縁状態になってしまったそう。
上記のようにお寺は叔父が継ぐことになりましたが、母親との関係はこじれたままだったようです。
しかし、その後内野聖陽さんが結婚・子供の誕生・離婚を経て我が子に会えないさみしさを痛感し、「もう一度親子を始めよう」と母親に謝罪。
内野聖陽さんの自宅近くのマンションに母親を呼び寄せ、二人の関係は改善しました。
知るぽると掲載内野聖陽インタビュー記事「手間をかければ結果につながる。役づくりの労力は惜しまない」(金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.48 2019年春号掲載)で内野聖陽さんは、実家を継がず俳優を選んだことについて以下のように語っています。
父には、僕が想像する以上の絶望感を与えてしまったと思っています。自分が役者になったことで、父をはじめ多くの人たちを裏切ってしまったという気持ちは今でもあります。だからこそ、中途半端なことはできないという意識が常にありますね
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