高橋成美の学歴(小学校中学校高校大学)を検証。転校13回全特定はできるのか。


この記事では、10回以上の転校を経験したという高橋成美さんの学歴を検証しています。

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家族構成

父:
母:
長女:美澄※1
次女:高橋成美(1992年1月15日生まれ)

※1姉の名前
-https://www.daily.co.jp/gossip/2026/03/17/0020133222.shtml
※2:姉の画像(高橋成美インスタ)
-https://www.instagram.com/p/DV8mgv5k9UH/

 

転校で14校を経験

高橋成美さんは各所で転校経験の多さを語っています。以下はその一例。

 高橋さんは父親の仕事などの事情で、大学入学までに国内外で計14もの学校を転々とした
…(中略)…
「最初は転校のたびに“キャラ付け”を考えていたんです。
…(中略)…転校するから人間関係も適当という考え方だったら、何も残らない。そう思い至り、積極的に、正面から人と向き合うようになりました」

※NEWSポストセブン2026年2月7日配信記事「【りくりゅう解説に賛辞】元フィギュア日本代表・高橋成美の過酷すぎる育成時代「ハードな筋トレで身長は低いまま、生理も26歳までこず」《『ドッキリGP』で7か国語を披露》」より引用

 

小学校はどこ?(1998年4月~2004年3月)

高橋成美さんは以下の小学校に通っていたと思われます。
~小3?:千葉県松戸市内の小学校?
小4小5 :北京日本人学校
小5  :仙台市立七北田小学校(一時帰国)
小6  :北京のインターナショナルスクール
松戸市内の小学校は現イオン新松戸店付近の小学校(松戸市立馬橋北小学校、新松戸南小学校など)の可能性が高そうです。

 

小4時の北京日本人学校への転校は父親の転勤のため、インターへの転校はスケートのための英語習得が目的であったことも明かされています。

調べた限りで分かったのは上記4校ですが、先述のように高橋成美さんは大学までに学校を14校経験している旨明かしています。
当記事で紹介している校数では足りないため、これ以外にも通っていた小学校がある可能性があります。

 

松戸市内小学校説の根拠

これは、高橋成美さんが3歳時に自宅から徒歩圏内にある「新松戸アイスアリーナ」でスケートを始めた旨明かしていること、同施設を立ち上げた都築章一郎さんの指導を7歳(小1)から受けている旨明かしていること、が理由です。
以下詳細。

高橋成美さんは4years.が2020年8月に配信した記事内で、3歳の時に千葉県松戸市にある「新松戸アイスアリーナ」の徒歩圏内に住んでいたことを明かしています。

千葉県松戸市出身の高橋は3歳のとき、スケート教室に通う姉の影響でスケートを始めた。リンクは自宅から徒歩圏内にあった「新松戸アイスアリーナ」。小児ぜんそくを患っており、医師から勧められたのがスケートだった。

※4years.2020年「おてんば少女、中国でペアと運命の出会い フィギュアスケート・高橋成美1」より引用

※引用元URL
-https://4years.asahi.com/article/13624395

 

新松戸アイスアリーナは、羽生結弦さんをはじめ数々のフィギュアスケーターを指導した都築章一郎さんが立ち上げた施設(2002年1月6日に閉鎖)
高橋成美さんも7歳(小1or小2)から同氏の指導を受けていたことが明かされています(※3)。

同施設があったのはかつてのダイエー新松戸店(現:イオン新松戸店)内。
その所在地(松戸市新松戸3)を通学区域に含むのは松戸市立馬橋北小学校、新松戸南小学校の2校です。

 

※3:朝日新聞デジタル2021年12月20日配信記事「アイスショーの舞台裏で震えた羽生結弦 高橋成美さんは「感動した」」(有料記事の冒頭無料に掲載部分)
-https://www.asahi.com/articles/ASPDP5KF7PDLUTQP01R.html

 

北京時代の小学校の根拠

これは、高橋成美さん自身が2024年のインタビュー記事内で明かしています。

私は北京に住んでいたのですが、…(中略)…中国に移住して間もない小学校4~5年生のときは日本人学校に、6年生のときはインターナショナルスクールに、…(以下略)。

※CHANTO WEB2024年7月8日配信記事「「確実にいじめられます」元フィギュア・高橋成美 中国のナショナルチームで活躍も「帰国するとスケート場でも学校でも居場所がなかった」」より引用

※引用元URL
-https://chanto.jp.net/articles/-/1005362?display=b

 

同記事では、小4時の北京への引っ越しが父親の転勤によるものだったこと、インターナショナルスクールへの転校が英語習得がスケートに役立つと高橋成美さんが自身が考えたためだったこと、も明かされています。

 

仙台市立七北田小学校の根拠

高橋成美さんは2020年のインタビュー記事内で小学校5年生時に一時帰国した際、仙台に下宿し羽生結弦選手と同じ小学校に通っていた旨語っています。

5年生になり一時帰国したとき、単身、恩師である都築章一郎コーチ(82)の仙台市の自宅に下宿をして学校と練習に通った。ここで出会ったのが、同門の練習生だった3歳年下の羽生だ。
小学校も同じ学校。練習生のなかでも、特にゆづと私がやんちゃで、いつも一緒に走り回っていました」

※女性自身2020年9月29日配信記事「元ペア代表・高橋成美語るスケート人生「ゆづと語った五輪の夢」」より引用

※引用元URL
-https://jisin.jp/entertainment/interview/1897825/

 

羽生結弦選手は仙台市立七北田小学校に通っていたことが知られています(※4)。

※4:羽生結弦の出身小学校
-https://izumikuplus.com/roadside/20190226/1426.html

 

ちなみに、高橋成美さんの松戸時代の恩師だった都築章一郎さんは2002年に松戸のリンクが閉鎖された後仙台のリンクに異動していたよう(wikipedia「イオン新松戸」参照)。
一時帰国先が松戸ではなく仙台だったのはそのためでしょう。

 

中学校はどこ?(2004年4月~2007年3月)

高橋成美さんは以下の中学校に通っていたと思われます。
中1中2:北京の現地の学校
中2中3:松戸市立新松戸北中学校?(現:松戸市立小金中学校)

※帰国の理由は中国での練習継続には中国籍が必要といわれたため
帰国後もインターナショナルスクールに通っていたとのインタビュー記事(地の文)もあるが、疑問点もあり

 

調べた限りで分かったのは上記2校(または3校)ですが、高橋成美さんは大学までに学校を14校経験している旨明かしているのは先述の通り。
当記事で紹介する学校数はこれに足りていないため、これ以外の中学校にも通っていた可能性もあるでしょう。

 

北京時代の学校の根拠

北京時代に現地の中学校に通っていたことや帰国の理由は高橋成美さんがインタビュー記事内で明かしています。

私は北京に住んでいたのですが、…(中略)…、中学校1年生と2年生のときは現地の中学校に通いました。
…(中略)…
…(中略)…中国のスケート連盟から「ここは国のリンクだから、これ以上ここで練習したいのであれば、中国の国籍を取らないといけません。なぜなら将来、この技術を日本に持っていかれては困るから」と言われてしまいました。当時はみんなと一緒にいたいという気持ちがすごく強かったので、私自身はうれしくて中国国籍を取りたいと考えたのですが、両親が「スケートが終わったあとの人生はどうするの?」というような話をして説得してくれて。自分では決めきれず、中学校2年生の2学期後半に、日本へ帰ってきました

※CHANTO WEB2024年7月8日配信記事「「確実にいじめられます」元フィギュア・高橋成美 中国のナショナルチームで活躍も「帰国するとスケート場でも学校でも居場所がなかった」」より引用

※引用元URL
-https://chanto.jp.net/articles/-/1005362

 

同記事では、北京の現地中学校に入学した理由が中国語習得がスケートに役立つと考えたためであったことも明かされています。

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日本時代の中学校の根拠

高橋成美さんは北京から帰国したのち地元の千葉県に戻ったことを明かしています。

── スケーターとしての帰国後の生活も聞かせてください。
高橋さん:スケーターとしては、地元の千葉県に戻ったら幼少期に通っていたリンク自体がなくなってしまっていて、千葉県から毎日、横浜などのリンクに通っていました。

※CHANTO WEB2024年7月8日配信記事「「確実にいじめられます」元フィギュア・高橋成美 中国のナショナルチームで活躍も「帰国するとスケート場でも学校でも居場所がなかった」」より引用

※引用元URL
-https://chanto.jp.net/articles/-/1005362

 

日本時代の中学校名に本人が言及したものは見当たりませんが、 松戸市立小金中学校のwikipediaには高橋成美さんが同校に統合された新松戸北中学校の卒業生である旨の記述がみられます(ただし出典情報なし)。
また、高橋成美さんがスケートを始めた時から拠点としていた先述の新松戸アイスアリーナ(新松戸3丁目)は松戸北中学と統合された後の小金中学校の通学区域内にあります。

 

日本時代インター説について

朝日新聞系の学生スポーツサイト「4years.」が2020年に配信した高橋成美さんのインタビュー記事の地の文には「英語は中学時代、北京から帰国後にインターナショナルスクールにも通って勉強した。」との記述が見られます(※5)。

他方で高橋成美さんはCHANTO WEBが2024年に配信したインタビュー記事内で、帰国後転入した中学校で英語の発音が良かったため先生から冷ややかな目で見らえた、そのため日本語英語を練習した、と話しています(※6)。
これは明らかにインターナショナルスクールのエピソードではないでしょう。

 

調べた限り日本時代のインターに触れているのは上記インタビュー記事のみ。
それも高橋成美さんのコメント部分ではなく地の文ですから間違っている可能性もゼロではないでしょうか。

ただし、先述の通り高橋成美さんは大学入学までに14の学校を経験した旨明かしており、当記事で紹介する学校するはこれに足りていませんから、日本時代にも日本の中学校とインターナショナルスクール両方に通っていた可能性もあるでしょう。

 

※5:4years.2020年8月20日配信記事「慶應大からソチオリンピックへ、研究対象は自分自身 フィギュアスケート・高橋成美3」より引用
-https://4years.asahi.com/article/13625001
※6:CHANTO WEB2024年7月8日配信記事「「確実にいじめられます」元フィギュア・高橋成美 中国のナショナルチームで活躍も「帰国するとスケート場でも学校でも居場所がなかった」」
-https://chanto.jp.net/articles/-/1005362

 

高校はどこ?(2007年4月~2010年3月)

高橋成美さんは以下の高校に通っていたといわれています。
高1:渋谷教育学園幕張高等学校(偏差値74、千葉県1位)
高2~:カナダ(モントリオール)の高校

 

渋谷教育学園幕張高校は千葉県1位の偏差値を誇る難関校ですが、高橋成美さんは一般受験で入学したと思われます。

また、先述の通り高橋成美さんは大学入学までに14校の学校を経験している旨語っているのに対し、この記事で紹介する学校数はそれに足りておらず、カナダ時代に転校を経験している可能性もあるでしょう。

 

根拠

渋谷教育学園幕張高校に一般受験で合格したこと、カナダに留学したこと、は高橋成美さんが各所で明かしています。

中学2年生の時に帰国すると、高校受験を控えており家が裕福というわけでもなかったので、両親からはスケートをやめるよう言われました。でも、私は続けたい。そこで条件になったのが、渋谷教育学園幕張高校に合格することです。当時の学力では難しいレベルでしたが、必死で勉強して合格し、スケートを続けられることになりました。
もちろんどうしてもペアをやりたかったのですが、日本はコーチも少なく、スケートリンクを貸し切らなければ危険な一方で競技人口は多いため、練習の場がなかなか確保できませんでした。
そんなこともあって、自らカナダ人の有名なコーチに連絡を取り、夏休みにトライアウトという形でカナダに行くことにしました。そして、そのままカナダの高校に入学し、カナダ人とペアを組んでスケートに専念することに。

※Hint-Pot2021年6月15日配信記事「JOC最年少20代理事へ 高橋成美さんが語る“失敗を失敗ととらえない”生き方」より引用

※引用元URL
-https://hint-pot.jp/archives/81422/2

 

転校時期についてはCHANTO WEBが2024年に配信したインタビュー記事内に「1年生のときは高校に在籍しながら少し留学するというような形を取っていたのですが、…(中略)…2年生のときにカナダの高校へ転校することになりました。 」と書かれていることからわかります(※7)。

 

※7:CHANTO WEB2024年7月8日配信記事「「26歳で初めて生理が」元フィギュア・高橋成美 世界選手権後に大けがもソチ五輪出場を果たして」
-https://chanto.jp.net/articles/-/1005363

 

留学先がモントリオールであったことも高橋成美さんが各所で明かしています(※8)。

※8:4years2020年8月19日配信記事「世界を驚かせた銅メダル、ペアの歴史を変えた フィギュアスケート・高橋成美2」等
-https://4years.asahi.com/article/13624491

 

大学はどこ?(2010年~2020年)

高橋成美さんは慶應義塾大学総合政策学部(偏差値70)AO入試で進学、競技との兼ね合いもあり10年かけて卒業したことを公表しています。

 

根拠

これらは高橋成美さんが各所絵で明かしています。

大学は競技と両立ができる慶應義塾大学総合政策学部を選んだ。複数の大学が候補に挙がったが、AO入試の面接が決め手になった。「面接官から、ここは自分で発見していく学校です。どんなことを学ぶかはあなたが決めます。そこに正解はないし、スポーツをしてから政治を学んでもいいと言われて。そんなのありなの、面白いと思いました。入るならここだなと思いました」。無事合格し、大学と両立しながら世界トップを目指した。

※4years2020年8月19日配信記事「世界を驚かせた銅メダル、ペアの歴史を変えた フィギュアスケート・高橋成美2」より引用

※引用元URL
-https://4years.asahi.com/article/13624491

 

── 引退後に卒業された慶應義塾大学でのキャンパスライフはいかがでしたか?
高橋さん:2010年に入学して、10年かけて卒業しました。シーズンが始まると休学して、そのあいだにどんどんクラスメイトが変わっていくので、キャンパスライフらしいキャンパスライフは送れなかったんです。でも長くいたからこそ、入学したときと卒業するときの大学へのモチベーションが全然違っていて。入学当初はスケートに役立つことを勉強しようという思いで通っていて、最後のほうは引退が重なっていたので、今後につながるコミュニティを作りたいとの思いから、そのために必要なことを学ぼうという感じで。10年間大学にいられてよかったなと思いました。

※CHANTO WEB配信記事「「26歳で初めて生理が」元フィギュア・高橋成美 世界選手権後に大けがもソチ五輪出場を果たして」より引用

※引用元URL
-https://chanto.jp.net/articles/-/1005363?page=3

※※※

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