香川照之は46歳歌舞伎界入りはなぜ?公演評価や引退の可能性は。


俳優の香川照之さん。

テレビ映画の俳優として日本トップレベルでありながら、46歳で歌舞伎デビューした異色の経歴の持ち主です。

もっとも、「なぜ46歳で歌舞伎界入りしたのか?」ではなく「なぜ幼少期に歌舞伎界入りしなかったのか」が正しい問いなのかもしれません。

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46歳の歌舞伎デビュー

小学校から高校まで名門・暁星学園で学び東京大学文学部社会心理学科を卒業した香川照之さんは、

1989年に大河ドラマ「春日局」(NHK)の小早川秀秋役で俳優デビューしました。

その後も着々とキャリアを重ねると、2002年の大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」(NHK)で唐沢寿明さん演じる前田利家のライバルである豊臣秀吉を好演したことで広く知られる存在に。

その後も数々の映画やドラマに出演し、2010年の日本アカデミー賞最優秀助演男優賞受賞など数々の賞も受賞する実力派俳優となりました。

 

こうして日本トップレベルの俳優となった香川照之さんですが2012年、46歳にして突如歌舞伎デビューしています。

幼いころから稽古を始めて小学校入学前に初舞台を踏むことも珍しくない歌舞伎界において46歳デビューというのは異例ですが、一体何があったのでしょうか。

 

三代目猿之助の長男

実は香川照之さんは有名歌舞伎一門の長男です。

香川照之さんの父親は三代目市川猿之助(現:二代目市川猿翁)さん。

「市川猿之助」は「市川段四郎」と並ぶ澤瀉屋(おもだかや)の看板名跡であり、当時の澤瀉屋のトップでした。

 

江戸時代初期に始まる歌舞伎の歴史において、澤瀉屋は明治に始まった比較的新しい家ですが、

祖宗である初代市川猿之助(二代目市川段四郎)は劇聖と呼ばれた九代目市川團十郎の弟子。

一時破門となるも芸を磨き続けて再び認められ一代でその地位を築きました。

 

その後澤瀉屋は血縁に受け継がれ続け、

香川照之さんは1965年に澤瀉屋第四世代のトップ・三代目市川猿之助さんの長男として生まれました。

同世代には2020年のドラマ「半沢直樹」(TBS系)での共演が話題となった従弟の4代目市川猿之助さんもいますが、

長男の血筋という意味では香川照之さんの方が後継者候補として有力であったと言えるでしょう。

 

しかし、香川照之さんの父親・三代目猿之助さんは家庭を捨てて不倫相手と同棲をはじめ、

香川照之さんが2歳のときに両親は離婚

香川照之さんは元タカラジェンヌの母親・浜木綿子さんに引き取られました。

そのため、香川照之さんは歌舞伎の世界に足を踏み入れることなく子供時代を過ごすこととなります。

 

ちなみに、澤瀉屋の長男の名前には代々「政」の字が受け継がれてきましたが、香川照之さん(これが本名)にはこの字がありません。

父・三代目猿之助さん(本名は喜熨斗政彦(きのしまさひこ))が伝統芸能の世界にありながら新しい者を求める歌舞伎界の異端児であったが故なのか、

あるいは香川照之さんが生まれた時点で離婚を想定していたからなのか…

 

後継者問題

先述の通り、香川照之さんは澤瀉屋の長男として生まれたものの歌舞伎とは無縁に育ちました。

離婚の経緯が経緯なだけに三代目猿之助さんとの父子関係も皆無で、

香川照之さんが成人して俳優になった後に三代目の公演先を訪ねた際には、

「あなたは息子ではありません。」「あなたとは今後、二度と会う事はありません」と取り付く島もなかったそう。

幼いころから歌舞伎の稽古に勤しんでいたいとこの四代目市川猿之助さんとも2006年頃まで面識はなかったそうです。

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しかし、香川照之さんを手放した数十年後、澤瀉屋に後継者問題が浮上します。

父・三代目市川猿之助さんは再婚しましたがその女性との間に子供はおらず、子供は香川照之さんのみ。

また、三代目猿之助さんの弟・四代目市川段四郎さんの息子が現在の(四代目)市川猿之助さんですが、

四代目猿之助さんは結婚しておらず子供もいません(2020年7月末時点)。

 

つまり澤瀉屋の第五世代の血縁者は四代目市川猿之助さんと40代まで歌舞伎とは無縁に育った香川照之さんのみ。

その次の第六世代となりうる血縁者は香川照之さんの息子のみでした。

 

あるいは、市川右近(現・三代目市川右團次)さんのような血のつながりはなくとも実力のある弟子が継いでいくこともありえたのかもしれません。

例えば藤原紀香さんと結婚した片岡愛之助さんは一般家庭の出身ですし、

歌舞伎界で最も権威ある名跡といわれる市川團十郎も初代を除く11人のうち6人は養子(婿養子含む)です。

 

しかし、2012年に香川照之さんとその息子はそれぞれ九代目市川中車、五代目市川團子を襲名し歌舞伎界入り。

その際香川照之さんは以下のようにコメントしていました。

この度九代目として市川中車を襲名させていただく事になりました。今年で46歳、歌舞伎の世界とは無縁に過ごして参りましたが、私の中では140年にわたり続いている家系を、私、そして政明という長男がいながら、継いでいかなくてはよいものだろうかと、ずっと自分に問うて参りました。

※歌舞伎公式総合サイト「歌舞伎美人」より引用

澤瀉屋の長男の名前には代々「政」の字が入っていますが(香川照之さんの父親の本名は「政彦」)、香川照之さんが息子に「政明」と名付けたのは、この時点で歌舞伎界入りを考えていたからなのかもしれません。

また、歴代團子はみな後に澤瀉屋の二大看板名跡である猿之助・段四郎いずれかを襲名していることからすると、長男は歌舞伎界入り時点で既に看板名跡を継ぐことを期待されていたのでしょう。

 

ちなみにこれと関係しているかはわかりませんが、

それまで香川照之さんの父親の後継者といわれていた市川右近さんは、

香川親子の歌舞伎界入りの5年後の2017年、三代目市川右團次を襲名し、屋号も猿之助一門の澤瀉屋から高嶋屋と改めています。

 

歌舞伎役者としての評価

先述のように、香川照之さんが歌舞伎界入りしたのは46歳の時。

幼いころから稽古を積むのが当たり前の歌舞伎界において、これはあまりに遅いスタートです。

いくら映像作品の俳優経験が豊富とはいえそれと歌舞伎とは別物。

当然歌舞伎役者としての評価は高くはありません。

澤瀉屋の看板名跡である猿之助・段四郎を継ぐ可能性は極めて低いでしょう。

もちろん、香川親子の歌舞伎界入りの主眼は香川照之さんの息子・政明さんですからそこは問題ではないのでしょうが。

 

また、成人後歌舞伎役者となり大名跡を継いだ例もゼロではありません。

(十一代目)市川海老蔵さんの祖先にあたる十代目市川團十郎はもともと銀行家でしたが、

九代目團十郎の長女と結婚して婿入り。

九代目が後継者を残さず亡くなった後、29歳で歌舞伎役者に転身しています。

役者としての評価は芳しくありませんでしたが、絶えていた歌舞伎十八番の復活上演、團十郎の歴史研究、財政会とのコネクションの維持発展などにつとめて團十郎不在の市川宗家の家格を守り、死後十代目市川團十郎を追贈されました。

香川照之さんにもこういった役者外での貢献が認められば特例の可能性もわずかとはいえあるのかもしれませんね。

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