小泉孝太郎と小泉進次郎の“母親”と“ママ”は違う?宮本佳代子と小泉道子の関係。


小泉孝太郎・進次郎兄弟の家庭環境は複雑。14歳まで母親の存在を知らなかった?

※2017年10月5日投稿、最終更新日はタイトル下参照

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“母親”はいないが“ママ”はいた

元内閣総理大臣・小泉純一郎さんを父に持つ小泉孝太郎さんと小泉進次郎さん。

孝太郎さんは芸能界で俳優として活躍していますが進次郎さんは父親の後継者として政治家として活動しています。

 

また、小泉純一郎さんの姉や弟も小泉純一郎さんの秘書をするなど小泉家はバリバリの政治家家系。

小泉家に限らず政治家は家族総出で選挙を乗り切るなど家族の結束が強いイメージがあります。

特に奥さんはとても大変な印象を受けますが、小泉純一郎さんは1982年に離婚しており以後再婚していません。

※この記事はインフォちゃんぽんが執筆しました。

息子の小泉孝太郎さん・進次郎さんも離婚後長い間母親に会うことはなかったようです。

にもかかわらず、小泉孝太郎さん・小泉進次郎さんには「ママ」と呼び慕う女性がいました。

 

“母親”は宮本佳代子

小泉孝太郎さん進次郎さんの父小泉純一郎さんは

1978年にエスエス製薬元会長泰道照山(たいどう しょうざん)氏の孫・宮本佳代子さんと結婚しました。

 

そして1978年7月に長男小泉孝太郎さん、1981年に次男の小泉進次郎さんが誕生。

後継者候補の誕生に周囲も一安心したのではないかと思います。

 

しかし、二人は1982年に離婚

原因は妻・佳代子さんが小泉家の実権を握っていた小泉純一郎さんの姉たちとうまくいかなかったことにあるのではないかと言われています【詳細はこちらの記事】

 

また、離婚当時宮本佳代子さんは第三子を妊娠中でした。

小泉純一郎さんも親権を主張したようですが、調停の末三男さんは宮本佳代子さんに引き取られました。

※この記事はインフォちゃんぽんが執筆しました。

宮本佳代子さんは引き取った三男に対して父親が小泉純一郎氏であることは伝えていたようですが、

同時に「父親が有名でもあなたとは関係ない、あなたの母親はサラリーマン。勘違いしないで生きていきなさい。」と言い聞かせて育ててきたといいます。

 

佳代子さんは引き取った子供に「佳長」と名付けました。

これは、小泉家に残った孝太郎さん進次郎さんと決別し、この子こそが「佳」代子さんの「長」男である、という意思の表れだったのかもしれませんね。

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ちなみに小泉家と三男・宮本佳長さんは20年以上断絶していたようですが2008年に小泉純一郎さんが政界を引退したのを機に、少しずつ関係が改善していったようです【詳細はこちらの記事】

 

もっとも、宮本佳代子さんと小泉純一郎さんらが離婚後初めて一堂に会したのは2013年の佳長さんの結婚式のようですから、宮本佳代子さんとの関係はあまり変わっていない可能性もあります。

これは、小泉孝太郎さん・進次郎さんに「ママ」と呼ばれる人物とも関係があるのかもしれません。

 

“ママ”は小泉道子

小泉純一郎さんと宮本佳代子さんが離婚したとき小泉孝太郎さんは4歳、小泉進次郎さんは1歳。

どちらもまだまだ母親が必要な年齢だと思いますがそんな二人の母親代わりを務めていたのは小泉純一郎さんの姉・小泉道子さんでした。

※以下の話は、NEWSポストセブン2016年9月1日配信記事「小泉純一郎が息子たちに「ママは実の母ではない」と告げた日」、女性自身2016年9月7日配信記事「小泉進次郎が叶えられなかった亡き“育ての母”最後の願い」、PRESIDENT Online2016年10月13日配信記事「編集部員も泣いた!「小泉純一郎の弔辞」全文掲載」などで確認することができます、いずれも小泉道子さんが亡くなった際の記事です。

 

2016年に亡くなった小泉道子さんのお別れの会での小泉純一郎さんの弔辞によれば、小泉家では孝太郎さん・進次郎さんに(本来は伯母にあたる)小泉道子さんのことを「ママ」と呼ばせていたといいます。

実際、小泉道子さんは二人に対して、一緒に添い寝をする、学校へ送り出す、家に帰れば暖かく迎える、など本当の母親のように愛情をもって接していたよう。

しかし、小泉純一郎さんは息子たちに道子さんが本当の母親でないことをなかなか言い出すことができなかったといいます。

真実を告げたのは小泉孝太郎さんが高校2年、小泉進次郎さんが中学2年のとき。

孝太郎さんは言われる前から分かっていましたが、離婚当時まだ1歳だった進次郎さんは道子さんが本当の母親だと思っていたそうです。

※この記事はインフォちゃんぽんが執筆しました。

しかし、進次郎さんは「僕にとっては本当の母親だよ。」と道子さんへの思いが変わることはありませんでした。

これは孝太郎さんも同様でしょう。

 

道子さんが体調を崩してからも二人からは頻繁に「具合はどう?」と電話をしたり、多忙な合間を縫って幼いころ三人で食べていた近所の総菜パンを買って道子さんに届けたりしていたそう。

 

小泉道子さんは立派に育った二人を見るたびに、私は二人を育てるために生きていたようなもの、と周囲に語っていたそうですが、孝太郎さん・進次郎さんも「ママ」である道子さんに対して実の母親に対するものと変わらぬ愛情を感じていたのは間違いないでしょう。

 

この話題についてさらに深掘り

※生き別れた母・宮本佳代子さんについてはさらに詳しくはこちら。そもそも結婚も祝福されていなかった?
→小泉孝太郎の母親宮本佳代子の離婚理由が恐ろしい。末弟宮本佳長がきっかけで再会?

※生き別れの弟宮本佳長さんについてはこちら
→小泉孝太郎の兄弟(三男)宮本佳長の悲しいエピソード。兄弟仲良しになるまでの30年。

→小泉孝太郎小泉進次郎は兄弟仲良しだがもう一人弟が。三男宮本佳長が表に出ない理由。

※親友ムロツヨシさんの生い立ちは真逆なようで実は似ている?
→小泉孝太郎とムロツヨシの共演ドラマとそれ以上にドラマ的な友情。意外な共通点も。

※小泉家の怪しい学歴についてはこちら
→小泉孝太郎小泉進次郎の学歴を小学校~高校大学まで紹介。慶応(慶應)卒の父や一家の学歴も。

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