この記事では「ミュージカル界のプリンス」こと山崎育三郎さんが自ら明かした母方の実家の豪邸ぶりや父親の勤務先の大手企業、兄弟の経歴など実家の裕福さがうかがえるエピソード、そして両親の離婚を噂を検証しています。
※2020年5月18日投稿、最終更新日はタイトル下参照
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山崎育三郎の家族観
山崎育三郎さんは女性自身2016年5月12日配信記事「山崎育三郎「人の声を聞いて勝手に妄想しています」!?」で
「友達や仕事上もそうですが、相手の思いを受け入れることですね。家庭は帰りたくなるような安心できる場所がいい。家族が人生のすべてだと思っているので。僕が育った家も、大家族で人がいつも出入りしているような明るい家庭でしたし」
と自身の家庭観を語っていました。
自身も2015年末に元モーニング娘。の安倍なつみさんと結婚し、2人の子供(ともに男児)にも恵まれていますが、
山崎育三郎さんの実家はどのような家庭だったのでしょうか。
実家(母方)は岡山のスイス?
2016年6月4日放送の「メレンゲの気持ち」(日本テレビ)に出演した山崎育三郎さんは、母方の実家を紹介していました。
それによると母方の実家があるのは岡山県。
映像を見る限り敷地は非常に広々としており建物も吹き抜けのオシャレな設計で、
庭にはブランコやピザ窯が設置され、ヤギやアヒルを飼っているそう。
「アルプスの少女ハイジ」に出てきそうな自然に囲まれた素敵な一軒家でした。
山崎育三郎さんもここがお気に入りでたびたび遊びに行っているようです。
実家は東京の高級住宅街
山崎育三郎さんは、高級住宅街として知られる東京都港区高輪(付近)で生まれ育ったようです。
根拠
2016年4月13日放送の「あいつ今、何してる?」(テレビ朝日系)では山崎育三郎さんの幼少期が紹介されていました。
それによると山崎育三郎さんは東京都港区生まれで、
小学生時代には地元の少年野球チーム「高輪クラブ」のレギュラーを務めチームの全国ベスト8に貢献したそう。
チームメイトの1人は港区立高輪小学校・港区立高松中学校に通っており、
山崎育三郎さんの実家は友人の家が経営するレストランから10秒ほどのところにあったそうですから、
山崎育三郎さんの実家も港区高輪付近なのでしょう。
家族はどんな人?
両親について
上記のように、母方の実家の様子や生家の立地から山崎家は裕福なことがうかがえますが、
両親はどのような人だったのでしょうか
母親について
母方の実家が非常に裕福なことがうかがえるのは先述の通りですが、
山崎育三郎さんはインタビューで母親(と祖母)について以下のように語っています。
母と祖母が歌が大好きなんです。母はもともと宝塚に入りたかった人で、祖母も歌手になりたかったようです。それで、小さい頃から家族でカラオケに行くと、祖母が美空ひばりさんの歌を歌って、母が山口百恵さんを歌う。それを聴いて、幼いながらも「いい曲だな」と思ったり。歌謡曲が身近だったんです。
※オリコンニュース2016年8月24日配信記事「山崎育三郎インタビュー「“ミュージカルしかやらない”なんて言ってちゃダメだ、って気づいた」」より引用
また、with online2020年1月14日配信記事「山崎育三郎【はなうたまじり】秋山竜次さん前編「心の支えは『はねるのトびら』でした」」では
母親が音楽の先生をやっていて
とも語っていますから、単なる歌好きのレベルではなかったことがうかがえます。
wikipediaによれば、山崎育三郎さんは引っ込み思案を案じた母親のすすめで小学校3年生の時に歌のレッスンをスタートしていますが、
この時に歌を選んだのは母親が音楽の先生だったことも大いに影響しているのでしょう。
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父親について
セレブの街・高輪に住んでいたことから、山崎育三郎さんの父親が裕福なことは想像に難くありませんが、
山崎育三郎さんの父親は新日本製鐵株式会社(新日鉄)に勤めていました。
これは、with online2020年1月14日配信記事「山崎育三郎【はなうたまじり】秋山竜次さん前編「心の支えは『はねるのトびら』でした」」で山崎育三郎さんが
父親が、新日鐵という企業に勤めていて。
と語っていることからわかります。
上記記事によると、
父親の仕事の関係で山崎育三郎さんは幼いときに家族で北九州に住んでいたそう(※八幡製鉄所あり)。
また、サイトWHAT’s IN?tokyo2016年8月11日配信記事「お茶の間を席巻する「ミュージカル界の貴公子」、山崎育三郎のカヴァー・アルバムが熱い」でも
山崎育三郎さんの高校時代には単身赴任していたと語っていますから、父親は転勤族だったのでしょう。
兄弟について
Wikipediaに掲載された山崎育三郎さんの経歴を簡単にまとめると
・1986年:誕生(1月18日)
・1994年:歌を習い始める
・1997年:全国童謡コンクール審査員特別賞受賞
・1998年:アルゴミュージカル主演
・2001年:東邦音楽大学附属東邦高等学校声楽科に入学
・2002年:ノースカントリー・ハイスクール(米)へ語学留学
・2003年:全米高校生クラシック声楽コンクールミズーリ州大会で上位入賞
・2005年:東京音楽大学声楽演奏家コースに進学
・2006年:同大学中退(「レ・ミゼラブル」オーディション合格のため)
・2007年:ミュージカル「レ・ミゼラブル」で正式デビュー
このように山崎育三郎さんは幼いころからデビューに至るまで際立った活躍を見せていますが、その兄弟もそれぞれの分野で大きく活躍しています。
兄弟構成や各兄弟の驚くべき経歴は【こちらの記事】に譲りますが、兄弟全員留学経験があるなどやはり裕福な家庭であったことがうかがえます。
両親の離婚について
冒頭で紹介した通り、
山崎育三郎さんは女性自身2016年5月12日配信記事「山崎育三郎「人の声を聞いて勝手に妄想しています」!?」で以下のような家族観を明かしていました。
「友達や仕事上もそうですが、相手の思いを受け入れることですね。家庭は帰りたくなるような安心できる場所がいい。家族が人生のすべてだと思っているので。僕が育った家も、大家族で人がいつも出入りしているような明るい家庭でしたし」
しかしネット上には、山崎育三郎さんの両親は離婚しているのではないか?との噂もあるよう。
直接的な根拠は見当りませんし真偽も不明ですが(追記:2022年に本人が両親の離婚についてテレビで語っています。詳細後述)、この噂は山崎育三郎さんの高校時代のエピソードに起因しているのではないかと思います。
サイトWHAT’s IN?tokyo2016年8月11日配信記事「お茶の間を席巻する「ミュージカル界の貴公子」、山崎育三郎のカヴァー・アルバムが熱い」で山崎育三郎さんは、
高校時代に留学先から帰国した後、3年ほど一人で祖父母の介護をすることになった、と明かしています。
記事には1人で介護に臨むことになった理由として、父親が単身赴任中であったこと、兄弟が留学や寮生活中であったことが書かれていますが、
母親については何も書かれていません。
父親の単身赴任中に高校生の息子が1人で祖父母の介護をさせざるを得なくなったのは両親が離婚していたからではないか、
という推測にはそれなりに説得力があるように思います。
もちろん、その他の事情もありうるでしょうから、ここから山崎育三郎さんの両親が離婚していると断定することはできませんが…
※追記:テレビで両親の離婚に言及
山崎育三郎さんは2022年のテレビ番組出演時に、両親の離婚に言及しています。
俳優で歌手の山崎育三郎(36)が14日放送のNHK「SONGS」(木曜後10・00)にゲスト出演し、高校、大学時代に祖父母を介護した経験を振り返った。
山崎は高校2年生だった2002年に1年間の米国留学を経験。しかし留学中に両親が離婚し、父親は仕事で北海道へ、母親は故郷の岡山へと戻り、17歳の山崎は帰国後都内の家で祖父母と暮らすことになった。「今でいうヤングケアラーみたいなものなんですけど…父方の祖父母との生活が始まりまして」と振り返る山崎。VTR出演した山崎の親友によると、祖母は脚が不自由で祖父は認知症を患っていたといい、「夜中、彼がトイレのお手伝いをしてあげたり、高校生とか大学1、2年くらいの時はやってあげていましたね」と明かした。
※スポニチ2022年4月15日配信記事「山崎育三郎「今でいうヤングケアラー」 17歳で祖父母の介護経験「何で自分が、と思ったことも」」より引用
離婚の理由は明かされていませんが、山崎育三郎さんは毎日新聞のインタビュー記事で気になることを話しています→続きを読む
山崎育三郎の記事を読む
→山崎育三郎さんの兄弟の華麗なる経歴については【こちらの記事】をご覧ください
→山崎育三郎さんの結婚生活にまつわる噂は【こちらの記事】をご覧ください
→山崎育三郎さんの子供の幼稚園学校に関する噂は【こちらの記事】をご覧ください
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