この記事では、水上恒司さん(元・岡田健史さん)の学歴及び野球歴、俳優としてブレイクするまでの経緯を紹介しています。
※2020年9月18日投稿、最終更新日はタイトル下参照
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小学校時代
岡田健史さんは2006年4月から2012年3月まで小学校に通っていました。
後述の出身中学校の通学区域から通っていたのは、
・福岡市立和白小学校
・福岡市立美和台小学校
のいずれかではないかといわれています。
野球歴は8歳から
ViVi2019年6月11日配信記事「岡田健史、情熱を語る。少年時代を捧げた野球、俳優になりたいと思ったワケ」によれば
岡田健史さんが野球を始めたのは小学校2年生(8歳)のとき。
7歳のときから両親に地元のチームに入りたいと頼み続け、ようやく本気と認められての念願の入団でした。
※所属していたのはリトルリーグのヤング福岡ライナーズではないかといわれています。
1年間おあずけをくらっていたことも影響しているのか、野球を始めた岡田健史さんの生活は野球一色に。
本人は「才能がない分周りの誰より練習していた」と語っていますが、
それまでは定期的にあった家族旅行に行くこともなくなり学校の授業以外は全て野球に費やしていたそう。
Voguegirl掲載のインタビュー「VOGUE GIRL with BOY FRIEND Guest:岡田健史」によれば、
小学校時代に全国大会に出場したこともあるようです。
中学校時代
岡田健史さんは2012年4月から2015年3月まで福岡市立和白丘中学校に通っていました。
岡田健史さんの本名は水上恒司【本名発覚の経緯等はこちら】ですが、
下のツイートに掲載された創成館高校の野球部を紹介する新聞記には、
水上恒司 ③和白丘
と書かれています。
高校時代の岡田健史くんのいた創成館のメンバー表保存してたわ
ちなみにこの上に載ってたのが自分の高校なのでたまたま保存してましたww
水上恒司くんが岡田健史くんです pic.twitter.com/YSwI0hCMry— 掛橋まさき🧸🌱 (@masachi_oO) June 6, 2020
野球
先のViViの記事によると、
小学生時代の岡田健史さんは将来プロ野球選手になることを確信していたものの、
中学校2年生の頃には「自分の実力ではプロは無理かもしれない」と考えるようになっていたそう。
しかし野球への熱意が衰えることはなく毎日練習に明け暮れ、長崎県の野球の強豪校(後述)に特待生として進学しています。
芸能事務所のスカウト
岡田健史さんが芸能界に入ったのは高校野球引退後ですが、
スポーツ報知2018年8月20日配信記事「元高校球児の岡田健史が芸能界デビュー 有村架純の相手役キャッチ」によると、
実は中学1年生の冬に現在所属(※)する芸能事務所「スウィートパワー」からスカウトされていたそう。
同事務所は桐谷美玲さんや黒木メイサさんらも所属する有名事務所です。
※正確にはスウィートパワーの男性部門「スパイスパワー」所属
ライブドアニュース2019年11月13日配信記事「この芸能界でどう転ぼうが、すべては自分次第――俳優・岡田健史のはじまりと覚悟」によると、
当時の岡田健史さんはプロ野球選手を目指していたため断りましたが、その後も社長は毎年熱心に自宅に足を運んでくれていたとのことですから、よほど岡田健史さんに光るものを感じていたのでしょう。
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高校時代
岡田健史さんは2015年4月から2018年3月まで長崎県にある創成館高校に通っていました。
これは、創成館校長ブログ2020年6月29日配信記事「俳優・岡田健史くん「A-Studio+」に主演決定!!」に
只今、俳優として大活躍してくれている卒業生・岡田健史くんが7月3日放送の「A-Studio+」に出演します😋
高校生時代を過ごした創成館にも取材カメラが入り、…(以下略)…
と書かれていることからもわかります。
野球部
Wikipediaによれば、創成高校は2013年に初出場を果たして以来、2020年1月までに春夏合計6回甲子園に出場する長崎県の強豪校。
岡田健史さんは地元福岡を離れ同校に特待生(※)として入学しました。
※Voguegirl掲載のインタビュー「VOGUE GIRL with BOY FRIEND Guest:岡田健史」参照
上記Voguegirlの記事によれば、
岡田健史さんは高校時代も野球一色で、お盆と年末年始以外は雨が降っても雪が降っても毎日練習していたそう。
また、i-voce2018年12月8日配信記事「岡田健史|ドラマ『中学聖日記』でブレイク中の美男子の素顔とは?」によれば、
岡田健史さん部員120人をまとめる副キャプテンを務めていたそうです。
ちなみに、阪神タイガースの川原陸選手は高校時代の後輩で、2017年大会ではバッテリーを組んだこともあります。
※スポニチ2019年1月7日配信記事「阪神ドラ5川原の野望 ビッグになって俳優・岡田健史先輩と再会を」参照
高校3年時には夏の甲子園の予選(選手権長崎大会)の3回戦にスタメンキャッチャーとして出場し、4打数2安打1打点の活躍を見せますが、
先述のツイートにある創成館高校野球部の新聞記事に
控え …(略)…
〃 水上恒司③和白丘
※水上恒司=岡田健史さんの本名
とあることや、
サイトSPORTS BULLに掲載された2007年(高校3年生時)創成館高校の選手権長崎大会(甲子園の地方予選)の試合結果(フル出場は3回戦1試合のみ、敗退した準々決勝は打数ゼロで終盤のみ出場の可能性が高い)を見る限り、
岡田健史さんはベンチ入りこそしているもののおそらく控え捕手だったのでしょう。
ViVi2019年6月11日配信記事「岡田健史、情熱を語る。少年時代を捧げた野球、俳優になりたいと思ったワケ」では、以下のように振り返っています。
「自分はどれだけできるかを試すつもりで高校に進学したんですが、プロになるという目標に関しては、もう諦めざるを得ない状況でした。でも、頭の中には野球のことしかなかったし、野球しかできなかったので、プロ野球選手じゃなくてもいいから、将来は野球関係でご飯を食べていけたらいいなと思っていました」
演劇部助っ人→俳優志望
岡田健史さんの高校野球最後の大会は、選手権長崎大会準々決勝敗退で幕を閉じました。
・ViVi2019年6月11日配信記事「岡田健史、情熱を語る。少年時代を捧げた野球、俳優になりたいと思ったワケ」
・ライブドアニュース2019年11月13日配信記事「この芸能界でどう転ぼうが、すべては自分次第――俳優・岡田健史のはじまりと覚悟」
・Voguegirl掲載のインタビュー「VOGUE GIRL with BOY FRIEND Guest:岡田健史」
によると、
部活引退後、岡田健氏さんは大学で野球を続け、将来は何かしら野球に携わる仕事に就こうと考えていたそう。
しかし、高校の演劇部の顧問に誘われ演劇部の大会に助っ人として参加したことが転機となりました。
野球部の特待生として入学したのに甲子園に出場できなかったという負い目もあり、少しでも学校に恩返しがしたいとこれを受けた岡田健史さん。
もちろん当初はプロの俳優になろうなどとは微塵も思っていませんでしたが、自身の演技が観客や審査員に名指して褒められたことで「俳優になりたい」という思いが芽生えます。
とはいえ、これまで野球一筋の自分を応援してくれた両親にいきなり俳優志望を告白することにはためらいがあったよう。
「本気で俳優になりたいのか?」と何度も自問自答し、自身の本気度に確信を持った時に思い切って両親に告白したものの、やはり猛反対にあったといいます。
しかし岡田健史さんは、今まで育ててくれたことには感謝しているが僕の人生だから好きなことをやらせてほしい、失敗しても自分で責任を取る、と粘り強く説得を続けました。
高校卒業後
岡田健史さんは2018年3月に創成館高校を卒業しました。
ネット上では、福岡工業大学に進学したのと情報もみられますが、
先述のVoguegirlのインタビュー記事では2018年の5月に上京したと話していますから、
仮に進学していたとしても1か月ほどで中退しているのでしょう。
※追記:文春オンライン2022年11月5日配信記事「≪進んだ道を正解にしていくのが人生≫長崎でプロ野球選手を目指していた少年・水上恒司が『中学聖日記』で輝きを放つまで 水上恒司特別インタビュー#3」内で、水上恒司さんは大学に進学したもののドラマデビュー作「中学聖日記」オーディションに受かったため1か月ほどで休学したこと、その後仕事が続き2年ほどたった時に中退したことを明かしています。
チャンスはすぐに訪れます。
岡田健史さんは応募者1000人、1年がかりで行われたオーディションを勝ち抜き、
高校卒業から約半年後の2018年10月スタートのドラマ「中学聖日記」(TBS)で主演の有村架純さんの相手役として俳優デビュー。
ドラマはおろか雑誌やCM等にも出演したことがない完全な新人がデビュー作にしてゴールデンタイムの連ドラの2番手(しかも有村架純さんの相手役)に抜擢されたことは大きな話題になりました。
同作品で岡田健史さんは「週刊ザテレビジョン」主催の第99回ドラマアカデミー賞助演男優賞を受賞。
その後も着々とキャリアを重ね、
2019年に「博多弁の女の子はかわいいと思いませんか?」(福岡放送)でドラマ初主演、
2020年には5本の映画と1本の連続ドラマに出演し、
2021年の大河ドラマ「青天を衝け」への出演も内定しています。
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