「宝塚伝説のコンビ」といわれる大地真央さんと黒木瞳さん。
この記事では、二人の経歴を紹介するとともに、二人の宝塚時代から現在までの関係をまとめています。
黒木瞳さんの史上最速トップ娘役就任の裏には、大地真央さんが抱いた“新しい宝塚像”があったのかもしれません。
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大地真央の経歴
入団まで
大地真央さんは女優志望でしたが、元職業軍人の厳格な父親は娘の芸能界入りを渋っており、唯一認めてくれたのが規律が厳しいといわれる宝塚音楽学校。
宝塚受験は女優になるための選択肢が他になかったためであり、大地真央さんは入学まで宝塚の舞台を一度も見たことがありませんでした。
しかし大地真央さんは中学3年生時に初受験で合格を果たし、1971年に宝塚音楽学校に入学。
入学時の成績は49人中42番でしたが、在学中は時間が許す限り個人レッスンを重ね、2年後の学校卒業時には25番にまで上昇しています。
宝塚歌劇団時代
大地真央さんは1973年に宝塚歌劇団に59期生として入団しました。
1973年の星組公演「花かげろう」「ラ・ラ・ファンタシーク」で初舞台を踏むと、
1974年に月組に配属。
1974年~75年頃は宝塚の舞台にはあまり立たず宝塚外でアイドル活動をしていたようですが、
復帰すると独創的かつ一般人にも認められる新しいタイプの男役を目指して奮闘しました。
1980年に月組の二番手男役になると、1982年の「愛限りなく」「情熱のバルセロナ」で月組トップスターに。
1985年に退団するまで新時代の洗練された都会的なスタートして人気を博しました。
宝塚退団後
1985年に宝塚歌劇団を退団した大地真央さんは1990年から2010年まで6代目イライザ役を務め続けた「マイ・フェア・レディ」など舞台を中心に映画やテレビドラマにも出演しながら女優として第一線で活躍を続けています。
※上記の出典やより詳細な内容は【こちらの記事】
黒木瞳の経歴
入団まで
・黒木瞳さんのwikipedia
・デイリー2018年6月16日配信記事「黒木瞳 宝塚音楽学校の面接で“異例”の受け答え…「別に娘役でもよかです」」
・2020年11月11日放送「あいつ今何してる?」(テレビ朝日)
によれば、
黒木瞳さんが宝塚音楽学校を受験したのは高校3年生のとき。
既に教師を目指して熊本の音楽大学への進学が決めていましたが、「ベルサイユのばら」を観劇したことで憧れを抱いていた宝塚を両親に内緒で記念受験したそうです。
受験準備は1週間バレエに通ったのみ。
もともと合格できるとは思っていなかったこともあり、
面接でも、面接官から「(あなたは)娘役ですね」といわれて「別に娘役でもよかです」と返す、「(宝塚のライバルだった)松竹歌劇団でもよかった」と発言するなど、奔放な発言を連発していましたが
ふたを開けてみればまさかの合格(倍率は22.4倍)。
父親の反対をどうにか押し切って1979年に宝塚音楽学校に入学すると、2年後の1981年に39人中3位の成績で宝塚歌劇団に入団しています。
宝塚歌劇団時代
Wikipediaによれば、
黒木瞳さんは1981年に67期生として宝塚歌劇団に入団すると「宝塚春の踊り」で初舞台を踏み、1981年5月に月組に配属。
翌1982年には「情熱のバルセロナ」で大地真央さんの相手役を務め、入団2年目にして史上最速で月組トップ娘役に就任しました。
2年目でのトップ娘役就任は大地真央さんが相手役に指名したことによるものだったそうですが、
NEWSポストセブン2013年10月13日配信記事「宝塚時代の黒木瞳 ファンぐるみの酷いいじめにあっていた」によれば、
ファンからは「器ではない」との批判も多く、時にはファンを装った人物から砂入りのサンドイッチを差し入れられたこともあったそう。
しかしこういった声にも負けず黒木瞳さんは多数の舞台に出演し、1985年に退団するまで娘役でありながら大地真央さんに迫る人気を獲得しています。
宝塚退団後
大地真央さんが宝塚退団後舞台を中心に活動しているのに対し、黒木瞳さんは1985年に宝塚歌劇団を退団した後、映像作品を中心に女優として活躍を続けています。
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宝塚時代の関係
※コンビ結成当時の取材映像
大地真央さんと黒木瞳さんには8期の差がありますが、月組の男役/娘役トップに就任したのは同じ1982年。
黒木瞳さんの入団2年でのトップ娘役就任が大地真央さんの指名によるものであったことは先述の通りですが、
2020年3月25日放送の「あいつ今何してる?」(テレビ朝日系)で大地真央さんは黒木瞳さんの第一印象を以下のように語っています。
「娘役というよりは、普通っぽかったんです。“あ!この子、面白い”と思いました」
※テレ朝POST2020年3月24日配信記事「黒木瞳、涙!宝塚時代の恩人・大地真央が明かす勘当秘話。“最強コンビ”の絆が明らかに」より引用
【こちらの記事】にも書いた通り、大地真央さんは宝塚ファンでない人達にも受け入れられるような一般受けする男役を目指していたそうですから、
黒木瞳さんの「普通っぽさ」は自身が目指す新しい宝塚像に合致していたのでしょう。
先述の「あいつ今何してる?」内で大地真央さんは、
「自分の相手役になった以上は“運命共同体”。私が分かること、私が教えられることは惜しみなくすべて教えました」
※テレ朝POST2020年3月24日配信記事「黒木瞳、涙!宝塚時代の恩人・大地真央が明かす勘当秘話。“最強コンビ”の絆が明らかに」より引用
と語っていますが、
大地真央さんと黒木瞳さんのトップコンビは現在でも「宝塚最高のコンビ」との声が上がるほどの人気を博しました。
1982年にそろって月組トップになった大地真央さんと黒木瞳さんは、
大地真央さんが“運命共同体”と称した通り、1985年の「二都物語/ヒート・ウエーブ」でそろって退団しています。
トップ同時退団は宝塚がトップ固定制になった後初めてのことでした。
現在の関係
宝塚歌劇団を退団した後、大地真央さんは舞台中心、黒木瞳さんは映像中心、と路線の違いはありますが、二人は共に第一線の女優として活躍を続けています。
・家庭画報.com2020年12月16日配信記事「心も体もしなやかに、今を丁寧に生きること。大地真央さん×黒木 瞳さん【特別対談】」
・朝日新聞デジタル2013年11月26日配信有料記事「大地真央×黒木瞳、思い出トーク タカラヅカ100年」
など二人はたびたびメディアで対談を行っていますが、大地真央さんが黒木瞳さんとの食事の様子をインスタグラムにアップするなど、宝塚伝説のコンビの交流はプライベートでも続いているようです。
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